ちょうどレクシオンがエリネージュへの執着を口にした頃――。


 ぶるり。と悪寒を感じ、エリネージュは後ろを振り返った。

 しかしそこには美しいガーベラの花が飾られているだけだ。


(なんだか、恐ろしい気配がしたような……)


 まさか、他国の王城にまで暗殺者が入り込んできたのだろうか。

 ここ数日、暗殺者よりも何より警戒すべき変態王子がいたせいで、エリネージュの危機感が狂ってしまったような気がする。


「お嬢様、ソワソワしてどうなさったのですか?」


 カトリーヌが不思議そうに首を傾げた。


「な、何でもないの。それよりも、準備はできた?」

「はい。バッチリですわ!」


 エリネージュの問いに、カトリーヌが笑顔で頷く。

 カトリーヌの手にあるのは、王城の使用人用のお仕着せだ。


「ありがとう、カトリーヌ!」

「いえいえ、またわたくしの知らない間に抜け出される方が心配ですから」

「あはは、あの時は申し訳なかったわ」


 エリネージュは苦笑いを返すしかない。


「今度は一緒に、ですからね?」

「えぇ、分かっているわ」


 今すぐレクシオンのもとから逃げるつもりはない。

 しかし、貴賓室に軟禁状態でいたい訳でもない。

 何もすることがなくて暇で仕方がないのだ。

 そこで思いついたのが、レクシオンが仕事で不在の間だけ、王城内を出歩けないかということだった。

 もちろんカトリーヌは渋ったが、エリネージュがまた一人で抜け出すよりはましだ、と最終的には協力してくれることになった。


(カトリーヌとは離れない、という条件付きだとしても、じっとしているよりも動いている方がいいもの)


 エリネージュにとって、王女として傅かれていた記憶よりも、王城の下働きをしたり、小人たちの小屋の家事をしていた記憶の方が新しい。

 何もせずに部屋で過ごす、というのは体力と気力が回復してみれば苦痛でしかなかった。


「ここは貴賓室ですので、近くには図書館やギャラリーがありますよ。とはいえ、使用人の服では悪目立ちするかもしれませんね……」

「私は本や絵よりも、庭園が見たいわ」

「庭園、ですか?」


 王都デートの帰り道、王城の庭園が美しいとレクシオンが教えてくれたのだ。


「えぇ。人目につかない落ち着いた場所があればいいのだけれど」


 エリネージュも多くの人の目に留まることは本意ではない。

 一度誰かの目に留まると、なかなか忘れてもらえないのだ。


(私のことなんてすぐに忘れてしまえばいいのに……)


 こちらは覚えていないのに、声をかけられたことは一度や二度ではない。

 一目見たら忘れられない美しさだ、と言われたこともあった。

 エリネージュとしては即時に記憶から消してもらいたいぐらいなのだが。

 そういう訳で、無駄に目立つ容姿のため、誰かに目撃されれば面倒なことになるのは分かりきっている。


「それなら……離宮近くの庭園が良いかもしれませんわ」


 カトリーヌが悩んだ末に口にする。


「あの離宮は、レクシオン様のお母上――王妃様が亡くなられた場所で……今でも幽霊騒ぎが時々起きるので、誰も近づこうとはしないのです」


「レクシオンの、お母様が亡くなった場所……」


 母親殺し――この言葉がどれだけの傷をレクシオンに与え、彼の心の痛覚を鈍らせてきたのだろう。

 離れていかないでと抱きすくめられたことを思い出す。

 余裕を感じさせない彼は初めてだった。

 だからこそ、エリネージュは放っておけない。


「あぁ、申し訳ございません! お嬢様を案内するのに幽霊騒ぎがあった場所なんて、私ったら……」

「いいえ、是非行きたいわ。それに、もし本当に幽霊としてレクシオンのお母様がいるのなら、話を聞きたいから」


 幽霊に話を聞きたいと言い出したエリネージュを不思議そうな目で見て、カトリーヌは楽しそうに頷いた。


「さすが、レクシオン様が連れてきたお嬢様ですわ!」


 そうしてエリネージュは早速お仕着せに着替えて、カトリーヌとともに貴賓室からこっそり抜け出したのだった。

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