5
幽霊騒ぎが起きる、と聞いていたので、どんな幽霊屋敷かと思っていたが、そこはとても美しい場所だった。
離宮の石壁はほのかなピンク色で、赤や白のつる薔薇が装飾のように巻き付いている。
地面には緑の絨毯が広がり、柔らかな風に揺れる花々が可愛らしい。
観賞用の小さな噴水もあり、とても穏やかな時間がそこには流れていた。
「とても素敵な庭園ね」
想像以上の庭園に、エリネージュは感嘆のため息を吐く。
この庭園のメインは白薔薇のようだ。
そして、白薔薇に寄り添うように黄色やピンクの草花が咲いている。
噴水には色とりどりの花弁が浮かんでいた。風に乗って飛んできたのだろう。
「でも、これだけ美しい場所と幽霊なんて結びつかないわね」
エリネージュが不思議に思って呟くと、カトリーヌは苦笑して頷いた。
「実は、この離宮は誰も手入れをしていないはずなのです」
「え?」
「離宮の主であった王妃様が亡くなってから、ずっと放置されているのです。それなのに、花々は美しく咲き、王妃様が健在であった時のように手入れは完璧となると……」
「王妃様の幽霊がいるから、ということにつながるのね」
「はい。王妃様はこの庭園を自ら手入れされるくらい花がお好きな方でしたから」
目の前に広がる美しい景色を見て、カトリーヌは少し表情を曇らせた。
「カトリーヌは王妃様のことをよく知っているのね」
エリネージュがいた貴賓室からこの離宮まで、人目を避けた裏道を通ってきた。
それはすべてカトリーヌの案内によるものだ。
彼女の足取りはとても慣れているように思えた。
「はい。わたくしは、王妃様にお仕えしておりましたから」
カトリーヌは少し目を伏せて、言葉をこぼした。
「……と言っても、この離宮にお仕えしていただけで、直接王妃様と接したことは数えるほどしかありませんわ」
そう言って顔を上げたカトリーヌは、すでにいつもの笑みを浮かべていた。
何らかの関わりはあったのだろうと思っていたが、まさか本当に亡き王妃に仕えていたとは驚きだった。
「……ちょっと待って。王妃様が亡くなったのっていつ?」
「十年前ですね」
「カトリーヌ、あなた何歳なの!?」
「ふふ、秘密ですわ」
カトリーヌの意味深な笑みに、エリネージュは衝撃を受ける。
てっきり自分とそう変わらない年齢だと思っていたが、とんでもない勘違いだったのかもしれない。
にこにこと微笑むカトリーヌは見た目だけでいえば、十代後半か二十代後半だ。しかし王妃に仕えるとなるとそれなりの経験と身分とが必要になってくるだろう。
二十代で仕えていたと仮定するならば、カトリーヌは今三十代ということになる。
実年齢を言われたとしても信じられる気がしない。
エリネージュは年齢について追及するのはやめた。
(……でも、十年前か)
エリネージュの母、女王マリエーヌが死んだのも十年前だ。
敵対していた王国の女王と王妃が同じ歳に亡くなっている。
これは、偶然なのだろうか。
せめて、レクシオンの母が亡くなった理由だけでも知ることはできないだろうか。
「こんなことをカトリーヌに聞いても困らせてしまうと思うけれど……」
「わたくしでお答えできることでしたら何なりとお申し付けくださいませ」
遠慮がちに口を開いたエリネージュに、カトリーヌは大きく頷いてみせた。
「どうして、王妃様は亡くなったの?」
「ご病気だと伺っております。わたくしは側仕えの下っ端でしたから、王妃様の最期は見ていないのです。王妃様の最期のお姿を見たのは……」
そこで、カトリーヌは目を伏せて言葉を切った。
「レクシオンなのね」
王妃が亡くなった時に、レクシオンが側にいた。
だからこそ、母親殺しの噂が立ってしまったのだろう。
しかし、その噂がまことしやかに囁かれるのにも理由があったはずだ。
「レクシオンと王妃様の関係は、母親殺しの噂が立つほどに悪かったの?」
強い風が吹き、エリネージュとカトリーヌの間に花弁がぶわっと舞う。
思わず目を閉じて、めくれ上がるスカートを押さえる。
なかなか風は収まらず、お仕着せとセットの白いキャップが飛び、エリネージュの黒髪が風に弄ばれる。
まるで、エリネージュの問いに王妃の幽霊が怒っているようだ。
「申し訳ございません、お嬢様。それはわたくしにも分からないのです。ですが、王妃様がレクシオン様を遠ざけていたことは間違いありません」
強風から庇うようにカトリーヌはエリネージュの前に立つ。
カトリーヌの言葉にはっとして顔を上げると、彼女には珍しく顔を歪めていた。
「あなたは、何を知っているの?」
「わたくしは……何も知りません。知ってはいけなかったのです」
カトリーヌの声は風にさらわれて、エリネージュには届かない。
ただ、カトリーヌの表情から、これ以上踏み込むことは難しいと判断した。
「……せっかくきれいに咲いていたのに、ほとんど散ってしまったわね」
横目で庭園をみると、ほとんどの花が散っていた。
その分、噴水や地面に花弁の絨毯が広がっている。
「きっとまた咲きますから大丈夫ですわ」
カトリーヌがそう言ってにっこりと微笑んだ時、ようやく風は弱まった。
足を進めると、休憩用のベンチが見えた。
「まだ時間はあるかしら?」
「はい。レクシオン様が戻られるのは夕刻ですから」
そうしてエリネージュはベンチに腰を下ろした。
侍女だからと遠慮するカトリーヌを無理やり隣に座らせて、エリネージュは別の質問を投げかける。
「アレックス様に聞いたのだけれど、レクシオンは墓騎士をしているのよね?」
「はい。レクシオン様は王侯貴族の墓地を守っています」
「墓地も騎士が守らなければならないの?」
「王侯貴族は埋葬時、故人が大切にしていた宝石や装飾品も一緒に埋葬します。ですが、墓荒らしにとっては、金銀財宝が無防備に埋まっているようなものですから」
墓騎士と初めて聞いた時には意味が分からなかったが、カトリーヌの説明を聞いてなるほどとエリネージュは納得する。
しかし、それならばレクシオンは第一王子として恥ずべき仕事をしていないはずだ。
「墓騎士も立派な騎士なのでしょう? それなのにどうして、アレックス様はあんなに怒っていたのかしら……」
「墓騎士は、騎士団の中でも位が最も下なのです。本来であれば、レクシオン様は近衛騎士団の団長になるべき実力者ですから」
それだけの実力を持ちながら、権力からは遠い最下位の墓騎士団に所属した。
「もしかして、王侯貴族の墓地ということは、王妃様もそこに眠っているの?」
エリネージュの問いに、カトリーヌは静かに頷いた。
そして、エリネージュは墓地が一番安心する場所だと言ったレクシオンを思い出す。
アレックスの言葉も。
――兄上は……自らが愛されるために、母上を殺した……。
たしかに今、レクシオンは生前遠ざけられていた母と一番近い場所にいる。
亡くなって初めて母親の側にいられたのかもしれない。
レクシオンは母親殺しと言われながら、墓騎士としてずっと死んだ母を側で守ってきたのだ。
どんな思いで、彼は墓地が安心する場所だと言ったのだろう。
(私は……母の死を受け入れられなかった)
抱きしめて欲しかった腕はもうない。
エリネージュにとって母は母であったのに、マリエーヌから見るエリネージュは“特別な子”だった。
ずっと寂しかった。
ただ側にいてくれれば、それでよかったのに。
だから、少しだけなら、レクシオンの気持ちも分かるような気がする。
エリネージュと一緒にいて楽しいと笑ったレクシオンの笑顔が、頭から離れない。
「……それじゃあ、もう少し散策したら戻りましょうか」
自分の内側に芽生えた感情に蓋をして、エリネージュは立ち上がる。
先ほどまでは、ただ美しいと楽しめていた庭園の景色が、今は花も散って、切なくて苦しかった。
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