じわじわと森の中は雪と氷に覆われていく。

 つい二、三日前まではグレイシエ王国との境までだった雪は、今では森の半分を覆っている。

 これに驚いたのは、不可侵の森を住処とする小人たちだ。


「た、大変だよぉ!」

「ドゥーエ、落ち着け!」


 次男のドゥーエを三男のトリーがなだめる。

 しかし、パニックになっているのはドゥーエだけではない。


「う、うぅ、このままじゃ僕たち氷漬けにされて死んじゃうんだぁ」


 末っ子のシエンが大声でなきじゃくる。


「だから落ち着けって!」


 苛立ちのままに、トリーがどんっと壁を叩く。


「トリー、お前も少し落ち着くんだ」


 冷静に窓の外を見つめているのは、長男のインス。

 不可侵の森は、不思議な場所だった。

 森の外の事象の影響を受けず、ここだけが別世界のような。

 この森を治めることは人間には難しく、また、魔女の王国も自領とすることはなかった。

 だからこそ、どこの国にも属さない、治外法権の森となった。

 それなのに、グレイシエ王国の異常気象が、不可侵の森まで浸している。

 今までにない異常事態だ。


「グレイシエ王国では、王女エリネージュの呪いだとか」


 インスの隣に、四男のフィーが立つ。

 丸眼鏡越しに見える真剣な瞳は、きっとここにはいない一人の少女をみている。

 そしてそれは、七人とも同じだった。


「……ほんとうに、あの王子に預けてもよかったのかなぁ」


 この異常事態の中でものんびりと間延びした声を発したのは、五男のサン。

 不可侵の森で暮らしていた彼らの生活に突如として現れた、麗しい花。

 今まさに目の前にある、雪のように白く美しい。

 しかし、その美しさは恐怖も孕んでいて。


 ――助けてくれてありがとう。なんでもするから、ここに置いてください。


 初めて彼女に会った時、その美しさに皆が目を奪われた。

 そして、彼女こそが自分たちが守るべき《白雪姫》なのだとすぐに分かった。

 雪のように儚く消えてしまいそうな、美しい姫。

 七人の小人は、ずっと、この時を待っていた。

 守るべき人に出会えて、ようやく自分たちの生きる意味を理解した。


 彼女を守るためには、不可侵の森での生活に慣れてもらう必要がある。

 時々、小人たちは、商売のために人間の国や魔女の国へ出稼ぎに行く。

 生活を維持するためにはやはりお金は必要で、仕事中心の生活だった。

 だから、疎かになっていた家事全般を白雪姫に頼んだ。

 ちゃんとできなくてもいいと思っていたけれど、彼女はとてもよく働いた。

 下働きの経験があるなどと、その美しい手や肌からは想像もできなかったのに。

 本当は何もせず、笑っていてほしかった。

 彼女の求めるものを、安らぎだけを与えたかった。


 それなのに、小人たちは白雪姫に与えるよりも、多くのものを与えられた。

 白雪姫のおかげで、家がきれいになった。

 明るくなった。

 あたたかくて、美味しいご飯が食べられるようになった。

 皆でよく笑うようになった。

 仕事に行くのが楽しくなった。

 辛いことも、苦しいことも、半分くらいになった。

 『いってらっしゃい』と見送られ、『おかえり』と出迎えられることの幸せを知った。

 家族のようにさえ、思っていた。


 しかし、白雪姫の幸せを願って買ったあの林檎が、夢のような日常を壊した。


 分かっていた。分かっていたのだ。

 白雪姫がずっと一緒にいられないこと。

 だって。彼女は――。


「僕たちが、白雪姫を守れなかったからだ……」


 インスが重い声で呟き、肩を落とす。


「でもさ、白雪姫が、んま。ずっとこの森に、もごもご、いたかなんて、むぐ、分からないだろ。俺たちに、彼女を止める権利はないし」


 白雪姫のことで重くなった空気をものともせず、非常食の干し肉を口に運びながら、六男のヘクスが言った。


「それはそうだがな! おい、ヘクス! お前俺たちの分まで食ってんじゃねぇだろうな!」

「え? トリーも食べたかったの?」

「違う! この雪が続けば俺たちは食糧の確保すら難しくなるんだぞ!」


 トリーが怒鳴るが、すでに備蓄の干し肉はヘクスのたぷたぷの腹の中だ。


「あ~もう、うるさいなぁ。僕はあの王子に任せてよかったと思うよ?」


 サンがため息を吐きながら、干し肉争奪戦に突入しようとした二人を見て言う。


「どの辺がよかったと?」


 サンの言葉に食いついたのは、フィーだ。

 賢い彼は、彼女に会って、グレイシエ王国の王女だということにすぐに気づいた。

 グレイシエ王国の商人との繋がりを持っている小人たちが、王女のことを知らないはずがない。

 白雪姫の正体に気づきながらも、知らないふりをしていた。

 不可侵の森は、どこの国にも属さないのだから、と。


 しかし、白雪姫は死んでしまった。


 何も知らずに買ってしまった、毒林檎のせいで。

 王女という立場の人間が、国に属さない場所で。

 心臓が止まった後にどうしたって無駄だと知りながらも、毒林檎を売りつけてきた者なら解毒もできるのではないか、という淡い希望を抱き、グレイシエ王国へ向かったのだ。

 すでに林檎売りの姿はなく、絶望した小人たちが会ったのは人間の王子様だった。


「だって、あの王子様めちゃくちゃきれいな顔してたから。白雪姫と並んだらきっとお似合いだよ」

「うんうん。俺たちの大事な《白雪姫》に一目惚れした王子はよく分かってる!」


 ドゥーエが大きく頷いた。

 途中で出会った王子は、死んだ白雪姫を見て、一目惚れをしたから譲ってほしいと訳の分からないことを言ってきた。

 小人たちは罪悪感でいっぱいだった。

 自分たちが白雪姫を殺したのと同じだから。

 それならせめて、白雪姫が眠るのは、彼女にとって幸せになれる場所がいい。

 王子は白雪姫を婚約者にすると言い始めた。

 死んだ人間と結婚など馬鹿げているが、心から愛すると熱弁された。

 白雪姫は、グレイシエ王国から逃げてきたようだった。

 自分たちは白雪姫を守りたい。

 彼女が死んだ後も、幸せであるように願う。

 それならば、白雪姫を愛してくれるという、顔だけは美しい王子に任せてもいいだろうか。

 彼女は、この場所に留まることはない。

 それだけは最初からずっと、分かっていたから。


「もしかして、あの王子に変なことされて白雪姫が悲しんでいるのかな……?」


 シエンが震えながら、ソファに置かれていたクッションを抱きしめた。


「結局、金貨もらっちまったしな……」

「でも、白雪姫と引き換えにもらった金貨なんて、使えるはずない」


 舌打ち混じりのトリーと、うっすら涙を浮かべるインス。


「うわぁぁん、やっぱり白雪姫はぼくたちのことを恨んでいるんだぁぁ、ごめん、ごめんよぉぉぉ」


 シエンの泣き声に、皆が耳を抑える。

 そして、耳を抑える皆の目からも涙がボロボロこぼれてくる。

 白雪姫の笑顔と、白雪姫の死に顔が、脳裏に焼き付いている。

 七人の小人は体を寄せ合って泣いた。

 おもいきり、鼻水がたれても、ぐぇぐぇと嗚咽をもらしながら。

 だから、気づかなかった。

 自分たちの家の扉にノックの音がしたことも、誰かが勝手に入ってきたことにも。


「みんな! どうして泣いているの?」

 

 振り返った小人たちが見たのは、身なりを整えてさらに美しさを増した白雪姫の姿だった。

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