「外界の影響を受けないはずのこの森が、ここまで雪に浸食されているなんて……」


 不可侵の森を進んでいくほどに白い雪が氷に変わり、エリネージュとレクシオンの歩みを遅くしていた。


 この森に住む七人の小人たちは無事だろうか。

 エリネージュが一瞬表情を曇らせたのを、レクシオンは見逃さなかった。


「彼らの様子を見に行こう」

「え、でも……」

「彼らの無事を確認するだけだ。そんなに時間はかからないよ。心配事を抱えたままでは、満足に戦えないだろう?」


 にっこりと、安心させるようにレクシオンが笑う。

 つないだ手のぬくもりに、その言葉に、優しさに、背中を押された。


「ありがとう。小人さんたちの家はこっちよ」


 右も左も分からない深い森の中、普通なら迷子になってもおかしくはない。

 しかし、エリネージュには小人たちの家の場所が分かる。

 不思議と、分かるのだ。

 この森に初めて逃げ込んだ時も、安全な場所を求めて無意識に足が動いていた。


(彼らの家は、私にとって安心できる“家”だったのね……)


 グレイシエ王国の王城よりも、過ごした時間が短くても、エリネージュにとって小人たちの小屋はどこよりも安心できる場所だった。

 だからこそ、目覚めた時に金貨と引き換えに手放されたのだと知ってショックだった。

 しかし、本当は小人たちはエリネージュの幸せを願ってくれていた。

 ともに過ごした時間を大切だと思っていたのは自分だけではないのだと知れて嬉しかった。


 そんな彼らの家には難なくたどり着いたのだが。


 コンコン。

 ノックをしても返事がない。


「留守、なのかしら……?」


 エリネージュが首を傾げた時、扉の奥からは大きな泣き声が聞こえてきた。

 泣き虫のシエンだけなら、いつものことだと思うだろう。

 しかし、七人全員の泣き声が聞こえてきたのだ。

 何かあったのではないか。

 扉に鍵はかかっていなかった。

 エリネージュは勢いよく扉を開けて、小人たちの姿を見つけた。


「みんな! どうして泣いているの?」

 

 涙でぐちゃぐちゃの七人の顔が、一斉にエリネージュを振り返る。

 そして。


「白雪姫、ごめんなさいぃぃ~っ!!!!」


 七人が声をそろえて白雪姫に謝りながら縋りついてくる。


「え、何、どうしたの?」


 突然謝られて、エリネージュは戸惑う。


「うっ、うぅ、ごめんね。本当に、あんな変態王子に白雪姫を預けて」

「死体に一目惚れするなんて、やっぱりおかしい人だった」

「そのせいで、きっと白雪姫が辛い思いをしているかもしれないって……」

「あの変態王子から金貨を押し付けられたけど、使ってないから! だから、もう一度、白雪姫を取り返そうかって」

「ぼくたち、白雪姫に幸せになってほしいだけだったんだ」

「それなのに、あんな、顔だけイケメンの変態王子に……っ」


 小人たちは口々に泣きながら訴えてきたが、彼らが主張できたのはそこまでだった。

 絶対零度の笑みを浮かべたレクシオンが、小人たちの輪からエリネージュを抱き上げたからである。


「レクシオン!?」


 いわゆるお姫様抱っこだ。何度目だろう。


「君の小人たちが無事で何よりだね」


 ふっと笑い、レクシオンが小人たちに視線を向ける。

 レクシオンのことを散々「変態王子」と連呼しまくった小人たちは、涙も引っ込んで、顔を青白くして震えていた。

 神の采配のごとく整ったその美貌は、怒りを帯びるとかなりの威圧感となる。

 果たしてこれは無事といえるのか。

 小人たちがなんだか可哀想になってきた。

 だって、エリネージュだって最初は小人たちと同じ思いを抱いていたから。


(ここは、私がフォローしないと……っ!)


 エリネージュの中で彼はもう、ただの変態王子ではない。

 変態だと思うこともあるし、多少強引なところもあるけれど、とても繊細で優しく、愛情深い人だ。

 たくさんの傷を抱えて、自らに無関心な彼を側で支えたい、幸せにしたいと思う。


 エリネージュの――好きな人なのだ。


「あのね、小人さんたち。レクシオンは――っ!?」


 エリネージュが小人たちの誤解を解こうと口を開いた時、レクシオンが顔を近づけてきて。


 ――ちゅっ。


 優しいキスが、額に落とされた。


 瞬間、エリネージュの顔は林檎のように赤くなる。

 そんなエリネージュの反応を満足気に見て、レクシオンは口を開いた。

 とても幸せそうな表情で。


「君たちには心からの礼を言いたい。僕とリーネを出会わせてくれてありがとう。僕たちの結婚式には招待させてもらうよ」


 小人たちは、レクシオンの言葉にぽかんと口を開けて固まっていた。

 白雪姫が生きていることも、変態王子が森の中にいることも、色々と頭の中で処理が追い付いていない小人たちに、これまたとんでもない爆弾発言である。

 そんな中、ただ一人吞気に口を開いたのは、おっとり者のドゥーエだった。


「白雪姫、結婚おめでとう! お幸せにねぇ」


 結婚宣言に対する言葉として、きっと間違ってはいないのだろう。

 間違ってはいないのだろうが、皆がドゥーエの言葉に驚いた。

 そしてそれは、エリネージュも。


(そっか……おめでとう、なんだよね)


 好きな人に愛されて、人生をともにしたいと願われて。

 一緒に幸せになりたいと思い、思われること。

 目の前には問題だらけで、素直にレクシオンとの幸せだけを考えることもできなかったから、こんな風に祝ってもらえることなのだと初めて今、実感した。


「あぁ。絶対に、幸せにするよ」


 ドゥーエの言葉に返事をしたのはレクシオンで、愛おしそうにエリネージュを見つめて頷く。

 胸がきゅっと締め付けられた。

 今起きている問題なんて関係なく、レクシオンに気持ちを伝えたい。

 レクシオンの瞳に映る自分は、もう恋する乙女の顔をしていた。

 きっと、言葉にしていないだけで、この気持ちはバレバレだろう。

 だからこそ、レクシオンはこんなにも結婚を口にするのかもしれない。


「レクシオン、私も……」


 好きだ、と告げようとした時、小人たちのざわつく声が聞こえてハッと我に返る。

 人前で告白しようとしていたなんて恥ずかしすぎる。

 人生初めての告白だ。こんな勢いのままにはやっぱり言えない。

 それに、グレイシエ王国の現状も分からない中では、安心してこの恋心を育てることもできない。


「リーネ? どうしたの?」

「そろそろ、下ろしてもらえないかしら……」


 間近にレクシオンの美貌やたくましい腕を感じるせいで、心臓がおかしなことになりそうだ。

 感情の制御ができないのも、きっとそのせいだ。


「あぁ、ごめんね」


 ゆっくりとレクシオンはエリネージュの体を下ろす。

 自分から望んだくせに、彼のぬくもりが離れたことに寂しいと感じる自分もいて、恋は本当によく分からない。

 しかしいつまでも恋心に振り回されている場合ではない。


「みんなが無事でよかったわ」


 小人たちを見て、エリネージュは改めてほっとする。


「白雪姫こそ、生きているんだよね!?」

「えぇ」

「よかった、本当に……僕たちが、あの林檎を買ったりしなければ」


 幸せになれる林檎だと騙されて、毒林檎を食べさせてしまったこと。

 小人たちは裁きを受ける罪人のように思いつめた顔をしている。


「もういいのよ。それに、私は知らないことが多すぎたもの」


 ただ、自分の命を守ることに必死で、何も守れずにただ逃げていた。

 しかし、レクシオンと出会って、自分の力が誰かのためになることを知った。

 ユーディアナがアルディン王国で仮死の毒を試していたことも、母の死に関わっていることも、エリネージュの命を狙う理由も。

 そして、誰かに愛されるということも。

 小人たちに守られる生活の中では知ることはなかっただろう。

 だから、あの時毒林檎を口にしたことで、小人たちを責めるつもりはない。

 ただ、知ったからこそ、疑問も出てくる。


「もし、小人さんたちも私のことで何か知っているなら、教えてほしいの」


 小人たちは暗殺者に追われてボロボロになっていたエリネージュを受け入れてくれた。

 何も聞かずに、守ってくれた。

 家の仕事を任せてくれて、家族のように過ごしていた。

 安心をくれた。

 見ず知らずで、誰かに狙われているような危険な人を、当たり前のように大切に扱ってくれた。

 それは、見ず知らずではないからだ。

 レクシオンの時もそうだった。

 彼は、エリネージュの正体を知った上で接していたのだ。

 つまり、小人たちもエリネージュのことを知っていたのではないか。

 エリネージュの問いに、七人の小人たちは顔を見合わせて、頷き合った。

 そして、エリネージュの前に跪く。


「我らは、《白雪姫》の守り人です」


 小人たちを代表して、長男であるインスが慎重に口を開いた。

 

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