4
「随分と探しましたよ、エリネージュ王女」
エリネージュをそう呼ぶのはグレイシエ王国の人間だけだ。
それも、自分の命を狙う暗殺者。
やはり、エリネージュが不可侵の森から出るのをずっと待っていたのだろう。
「もういい加減、諦めて欲しいものだわ」
エリネージュがにっこりと笑みを浮かべて振り返ると、見知った暗殺者が複数そこにいた。
街に馴染むためか、普通の服装をしている。
「場所を変えましょう。あなたたちも敵国で派手な動きはできないでしょう」
「いいえ。私たちはあなたの死体さえあればいい」
せっかくこの街を巻き込むまいと思っていたのに、囲まれてしまった。
どこかの誰かと同じようなことを言っていても、その声に乗せる感情はまったく違う。
(私がここで殺されて死んだら、レクシオンは本気で悲しむのかしら)
いや、それはないと瞬時に首を振る。
死体になったエリネージュの側で笑みを浮かべていそうだ。
しかしそれ以前に、レクシオンは墓騎士の仕事としてエリネージュを調べるために側に置いていたのだ。
悲しむことはないだろう。
だから、大丈夫だ。
――僕の側以外で死ぬことは許さない。
変態王子のことなんて忘れて、以前と同じようにまた身を隠せばいい。
そう思うのに、どうして彼の言葉がずっと耳に残っているのだろう。
「あなたが大人しく死んでくれればいいのです」
暗殺者の一人が世間話でもするように軽く話した。
だから、エリネージュもふっと笑って言葉を返す。
「私をちゃんと殺せたことがないくせに?」
「でも、先日の贈り物はよく効いたでしょう」
毒林檎のことだ。
あの毒林檎のせいで、エリネージュはレクシオンに拾われることになった。
そして彼らは知っていたのだ。
エリネージュがあの毒林檎を食べて数時間毒に侵されていたことを。
「それでも、私は生きているわ」
「大丈夫ですよ。眠っている間に今度は終わらせてさしあげますから」
その言葉を合図に、暗殺者たちはエリネージュに近づいた。
しかし、彼らがエリネージュに触れることはなかった。
代わりに、エリネージュの身体を抱きしめたのは……。
「勝手に終わらせるな」
今までに聞いたことがないほどのドスのきいた低い声と殺気が、暗殺者たちに向けられた。
「ど、どうして……」
「言っただろう? 僕の知らない場所で死ぬのは許さないと」
レクシオンはエリネージュに優しく笑いかける。
しかし、その額には汗が浮かび、顔色は青い。
そういえば、先ほど暗殺者たちは本気でエリネージュを殺す気で動いていたはずだ。
(まさか、私を庇ったの……)
エリネージュを抱きしめるその身体に触れると、ねちゃりと触れる液体があった。
あたたかい。
命がこぼれていくぬくもり。
しかもそれは一か所ではない。
当然だ。暗殺者は一人ではない。
「な、どうして、私を庇ったりなんか……!?」
調査のために近づいただけの存在だろう。
それとも、モルト伯爵の死を調べることにそれほどの価値があるのか。
アーリアの存在が、大切なのか。
「君にも、僕だけを見て欲しいと……思った、から」
――少しは、僕の気持ちが本気だと信じてくれた?
レクシオンの声にはいつもの余裕はない。
当然だ。今にも死んでしまいそうなほど酷い怪我なのだから。
「あなたのような化物を守ろうとする男がまだいたのですね。それも、本物の王子様だなんて、滑稽だ」
暗殺者の一人がくすりと笑う。
「あなたを殺す気で攻撃したものですから、強力な毒を使用させてもらいました。また大切な人に庇われる悲しみを与えてしまい、申し訳ございません。それもこれも、あなたが大人しく死んでくれないからですよ。では、今日のところはこれで去ります」
そして、彼らはその場を去っていく。
「くっ、逃がすわけには……」
レクシオンが動くが、エリネージュが止めた。
彼らは女王直属の暗殺集団だ。
レクシオンが手負いでなくとも、彼らには追い付けないだろう。
それよりも。
「誰か、医者を……!」
もうレクシオンの腕はエリネージュを抱きしめる力さえなくなってきている。
どうしてエリネージュの力は、自分のことしか守れないのだろう。
涙目になりながら、エリネージュは周囲を見回す。
「医者は嫌いだ」
「馬鹿なこと言わないで! 酷い怪我なのよ、それに、毒まで……このままじゃ」
確実にレクシオンは死ぬ。
医者に見せたとしても、助かるかは分からない。
「愛する君を抱いて死ねるなら、幸せだよ」
今にも消えてしまいそうなかすれた声が耳に届く。
「やめて。そんな風に言わないで……っ!」
レクシオンに死んでほしくない。
エリネージュを何故連れ帰り、側に置いていたのか、本当の理由は分からない。
けれど、彼を喪いたくない。
死なせるものか。
(私が本当に最強の魔女なら、ユーディアナの毒ぐらい解毒できるはずよ)
何ものにも穢されないこの身こそが魔力の源だとするならば。
エリネージュはレクシオンが腰に下げていた剣をとり、自分の指の腹を切った。
しかし、その傷はすぐにふさがってしまう。
レクシオンに与えることができない。
剣の柄を握るエリネージュの手にレクシオンの手が重なる。
「馬鹿な真似はやめるんだ……」
――エリネージュ。
その名を呼ばれたことに驚いた直後、彼は意識を失った。
崩れ落ちるレクシオンの身体を受け止めきれず、エリネージュも一緒に倒れる。
そして、彼がひどく血を流しているのを目に入れ、心臓がどくどくと嫌な音を立てた。
「絶対に、死なせないから……あなたには聞きたいことが山ほどあるの」
覚悟を決めて、エリネージュはレクシオンの唇に自身のそれを重ねた。
血を飲ませることが難しいのなら――唾液ならば。
エリネージュは唾液を飲ませるため、深く口付ける。
(生きて。生きて――生きなさい……っ!)
強く、強く願う。
魔女の魔法は想いが強ければ強いほど力を増すから。
自分自身が彼の薬となれるように。
ユーディアナの毒には負けない。
自分を庇って、もう誰も死なせたりしない。
だんだんとレクシオンの顔色が戻っていくのを確認し、エリネージュは唇を離した。
エリネージュ自身も集中し、魔力を込め続けたせいで身体の力が抜けていく。
そうしてようやく、近くにいた街の人が異変に気づいて悲鳴をあげた。
おそらく、暗殺者たちが目くらましの魔法でも使っていたのだろう。
彼らがいなくなったから、人々に気づかれたのだ。
野次馬が集まってくる。
近くにいた騎士団の人間が、レクシオンに気づいて血相を変えた。
そして、到着した馬車に乗って、王城へと向かう。
(でも、どうしてレクシオンは私を見つけることができたのかしら……)
倒れた瞬間からずっと、レクシオンの手はエリネージュの手を握っていた。
意識はないはずなのに、エリネージュを放そうとしないから、一緒の馬車に乗っている。
黒い騎士服のせいで赤い血は目立たないが、ぐっしょりと血で濡れているのが目に見えて痛々しい。
(私に死んでと言うくせに私を庇うなんて、本当に無茶苦茶な王子様だわ)
レクシオンは、死にかけていても美しい顔をしている。
少しだけ、ほんの少しだけ、死んでいる美しい死体に見惚れた彼の気持ちが分かった気がする。
だからといって、死んでほしいとも、死体と結婚したいとも思わないけれど。
大切だと思う人にはやはり生きていてほしい。
笑っていてほしい。
だから――。
「心から生きたいと望んでね……」
ぽつりとこぼした言葉は、意識のないレクシオンには届かない。
しかし、彼が生を望んで死の淵から戻ってきてくるように、エリネージュは彼の手をぎゅっと握った。
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