「随分と探しましたよ、エリネージュ王女」


 エリネージュをそう呼ぶのはグレイシエ王国の人間だけだ。

 それも、自分の命を狙う暗殺者。

 やはり、エリネージュが不可侵の森から出るのをずっと待っていたのだろう。


「もういい加減、諦めて欲しいものだわ」


 エリネージュがにっこりと笑みを浮かべて振り返ると、見知った暗殺者が複数そこにいた。

 街に馴染むためか、普通の服装をしている。


「場所を変えましょう。あなたたちも敵国で派手な動きはできないでしょう」

「いいえ。私たちはあなたの死体さえあればいい」


 せっかくこの街を巻き込むまいと思っていたのに、囲まれてしまった。

 どこかの誰かと同じようなことを言っていても、その声に乗せる感情はまったく違う。


(私がここで殺されて死んだら、レクシオンは本気で悲しむのかしら)


 いや、それはないと瞬時に首を振る。

 死体になったエリネージュの側で笑みを浮かべていそうだ。

 しかしそれ以前に、レクシオンは墓騎士の仕事としてエリネージュを調べるために側に置いていたのだ。

 悲しむことはないだろう。

 だから、大丈夫だ。

 

 ――僕の側以外で死ぬことは許さない。


 変態王子のことなんて忘れて、以前と同じようにまた身を隠せばいい。

 そう思うのに、どうして彼の言葉がずっと耳に残っているのだろう。


「あなたが大人しく死んでくれればいいのです」


 暗殺者の一人が世間話でもするように軽く話した。

 だから、エリネージュもふっと笑って言葉を返す。


「私をちゃんと殺せたことがないくせに?」

「でも、先日の贈り物はよく効いたでしょう」


 毒林檎のことだ。

 あの毒林檎のせいで、エリネージュはレクシオンに拾われることになった。

 そして彼らは知っていたのだ。

 エリネージュがあの毒林檎を食べて数時間毒に侵されていたことを。


「それでも、私は生きているわ」

「大丈夫ですよ。眠っている間に今度は終わらせてさしあげますから」


 その言葉を合図に、暗殺者たちはエリネージュに近づいた。

 しかし、彼らがエリネージュに触れることはなかった。

 代わりに、エリネージュの身体を抱きしめたのは……。


「勝手に終わらせるな」


 今までに聞いたことがないほどのドスのきいた低い声と殺気が、暗殺者たちに向けられた。


「ど、どうして……」

「言っただろう? 僕の知らない場所で死ぬのは許さないと」


 レクシオンはエリネージュに優しく笑いかける。

 しかし、その額には汗が浮かび、顔色は青い。

 そういえば、先ほど暗殺者たちは本気でエリネージュを殺す気で動いていたはずだ。


(まさか、私を庇ったの……)


 エリネージュを抱きしめるその身体に触れると、ねちゃりと触れる液体があった。

 あたたかい。

 命がこぼれていくぬくもり。

 しかもそれは一か所ではない。

 当然だ。暗殺者は一人ではない。


「な、どうして、私を庇ったりなんか……!?」


 調査のために近づいただけの存在だろう。

 それとも、モルト伯爵の死を調べることにそれほどの価値があるのか。

 アーリアの存在が、大切なのか。


「君にも、僕だけを見て欲しいと……思った、から」


 ――少しは、僕の気持ちが本気だと信じてくれた?


 レクシオンの声にはいつもの余裕はない。

 当然だ。今にも死んでしまいそうなほど酷い怪我なのだから。


「あなたのような化物を守ろうとする男がまだいたのですね。それも、本物の王子様だなんて、滑稽だ」


 暗殺者の一人がくすりと笑う。


「あなたを殺す気で攻撃したものですから、強力な毒を使用させてもらいました。また大切な人に庇われる悲しみを与えてしまい、申し訳ございません。それもこれも、あなたが大人しく死んでくれないからですよ。では、今日のところはこれで去ります」


 そして、彼らはその場を去っていく。


「くっ、逃がすわけには……」


 レクシオンが動くが、エリネージュが止めた。

 彼らは女王直属の暗殺集団だ。

 レクシオンが手負いでなくとも、彼らには追い付けないだろう。

 それよりも。


「誰か、医者を……!」


 もうレクシオンの腕はエリネージュを抱きしめる力さえなくなってきている。

 どうしてエリネージュの力は、自分のことしか守れないのだろう。

 涙目になりながら、エリネージュは周囲を見回す。


「医者は嫌いだ」

「馬鹿なこと言わないで! 酷い怪我なのよ、それに、毒まで……このままじゃ」


 確実にレクシオンは死ぬ。

 医者に見せたとしても、助かるかは分からない。


「愛する君を抱いて死ねるなら、幸せだよ」


 今にも消えてしまいそうなかすれた声が耳に届く。


「やめて。そんな風に言わないで……っ!」


 レクシオンに死んでほしくない。

 エリネージュを何故連れ帰り、側に置いていたのか、本当の理由は分からない。

 けれど、彼を喪いたくない。

 死なせるものか。


(私が本当に最強の魔女なら、ユーディアナの毒ぐらい解毒できるはずよ)


 何ものにも穢されないこの身こそが魔力の源だとするならば。

 エリネージュはレクシオンが腰に下げていた剣をとり、自分の指の腹を切った。

 しかし、その傷はすぐにふさがってしまう。

 レクシオンに与えることができない。

 剣の柄を握るエリネージュの手にレクシオンの手が重なる。


「馬鹿な真似はやめるんだ……」


 ――エリネージュ。


 その名を呼ばれたことに驚いた直後、彼は意識を失った。

 崩れ落ちるレクシオンの身体を受け止めきれず、エリネージュも一緒に倒れる。

 そして、彼がひどく血を流しているのを目に入れ、心臓がどくどくと嫌な音を立てた。


「絶対に、死なせないから……あなたには聞きたいことが山ほどあるの」


 覚悟を決めて、エリネージュはレクシオンの唇に自身のそれを重ねた。

 血を飲ませることが難しいのなら――唾液ならば。

 エリネージュは唾液を飲ませるため、深く口付ける。


(生きて。生きて――生きなさい……っ!)


 強く、強く願う。

 魔女の魔法は想いが強ければ強いほど力を増すから。

 自分自身が彼の薬となれるように。

 ユーディアナの毒には負けない。

 自分を庇って、もう誰も死なせたりしない。


 だんだんとレクシオンの顔色が戻っていくのを確認し、エリネージュは唇を離した。

 エリネージュ自身も集中し、魔力を込め続けたせいで身体の力が抜けていく。

 そうしてようやく、近くにいた街の人が異変に気づいて悲鳴をあげた。

 おそらく、暗殺者たちが目くらましの魔法でも使っていたのだろう。

 彼らがいなくなったから、人々に気づかれたのだ。

 野次馬が集まってくる。

 近くにいた騎士団の人間が、レクシオンに気づいて血相を変えた。

 そして、到着した馬車に乗って、王城へと向かう。


(でも、どうしてレクシオンは私を見つけることができたのかしら……)


 倒れた瞬間からずっと、レクシオンの手はエリネージュの手を握っていた。

 意識はないはずなのに、エリネージュを放そうとしないから、一緒の馬車に乗っている。

 黒い騎士服のせいで赤い血は目立たないが、ぐっしょりと血で濡れているのが目に見えて痛々しい。


(私に死んでと言うくせに私を庇うなんて、本当に無茶苦茶な王子様だわ)


 レクシオンは、死にかけていても美しい顔をしている。

 少しだけ、ほんの少しだけ、死んでいる美しい死体に見惚れた彼の気持ちが分かった気がする。

 だからといって、死んでほしいとも、死体と結婚したいとも思わないけれど。

 大切だと思う人にはやはり生きていてほしい。

 笑っていてほしい。

 だから――。


「心から生きたいと望んでね……」


 ぽつりとこぼした言葉は、意識のないレクシオンには届かない。

 しかし、彼が生を望んで死の淵から戻ってきてくるように、エリネージュは彼の手をぎゅっと握った。


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