3
自分に与えられた部屋の扉を開けると、レクシオンの背中が見えた。
「あぁ、リーネ! とても心配したんだよ」
そう言って振り返った彼は、エリネージュを見てアメジストの瞳を見開く。
「どうしてリーネが使用人の服を? 今までどこに? カトリーヌ、これはどういうことだ?」
矢継ぎ早に、険しい表情でレクシオンはエリネージュの後ろに控えるカトリーヌに問う。
「も、申し訳ございません!」
「謝罪は不要だ。僕の質問に答えろ」
「えっ、と……」
カトリーヌがどもる。
それは怯えてではなく、真っ向からレクシオンに冷たい言葉を向けられたせいだろう。
しかし、彼女の性癖は分かっていても、自分の行動のせいでカトリーヌが責められるのは見過ごせない。
それに、アーリアの言葉がずっとエリネージュの頭をぐるぐる巡っている。
――もしかして、レクシオン様は父の死を調べるためにあなたを側に置いているのかしら?
それならそうと言ってくれればよかったではないか。
どうして愛を口にしたのか。
どうしてエリネージュに笑いかけたのか。
「私が気分転換をしたくて、カトリーヌに頼んだのよ。一人で抜け出していないのだからいいでしょう?」
危険人物だと分かっていたはずなのに、『レクシオン安心計画』なんて考えた自分が馬鹿だったのだ。
エリネージュというただ一人の自分を見てくれる人なんていないと分かっていたはずなのに、何を期待していたのだろう。
「君は自分が狙われているという自覚はないのかな?」
少し責めるような視線と、心配がにじむ声。
しかし、アーリアからの言葉で揺さぶられた思考は、その一言で限界を迎えた。
「一目惚れなんて嘯いて私を閉じ込めるあなたに言われたくないわ! 本当は、モルト伯爵の不審死を調べるために私に近づいたのでしょう!?」
爆発する感情のままに叫んで、エリネージュは部屋から飛び出した。
すぐにレクシオンが反応できなかったのはその言葉が事実だからなのか。
無我夢中で走り、途中ですれ違う使用人や騎士、貴族らしき人に声をかけられていたが、すべてを無視した。
使用人の格好をした女が全力で城内をかけ抜けているのを、誰も止めることができない。
それは、無意識にエリネージュが人を寄せ付けない魔法を使っていたからだ。
しかし、それでもすべての人々の視界から消えることはできない。
(早く、ここから逃げないと……)
誰もいない場所へ。
誰もエリネージュを知らない場所へ。
誰にも利用されない場所へ。
(でも……いつまで?)
ふと足を止めた時には、王都に出ていた。
多くの人が行き交う通りでは、誰も彼も自分の用事に忙しく、エリネージュを気にする者はいない。
ここにいる人たちには日常がある。
エリネージュにはもうない、帰る場所がある。
逃げ続けて、居場所すら失っていた。
エリネージュが逃げ延びたとして、誰が喜んでくれるのだろう。
何のために自分は逃げていたのか。
(お母様はもう、いないのに……)
ずっとエリネージュを特別な子だと言い、この力を誰にも利用させてはならないと厳しく言い聞かせていた。
それが果たして愛だったのか、エリネージュには分からない。
しかし、愛だと信じていたから、エリネージュは母が望むように自分の力を隠し、誰にも利用させまいと逃げてきた。
ユーディアナに殺される訳にはいかない、と。
一人になるといつも不安が襲う。
何故、自分はこんな力を持って生まれてきてしまったのか。
グレイシエ王国の行く末の鍵を握るほどの魔力。
それだけの力を持ちながら、エリネージュが逃げなければならない理由。
(私も、自分を守る以外の魔法が使えたらな……)
エリネージュの魔力は膨大だが、自分を守ることだけに特化している。
だからこそ、どんな攻撃も、どんな毒も、エリネージュを傷つけることはできない。
ものによって時間がかかるものもあるが、すべての害悪を排除する。
自分の意思とは関係なく。
まるで不死身だ。
だから、エリネージュは自分を化物と同じだと思う。
「とりあえず、不可侵の森へ行こう」
小人たちは生き返ったエリネージュを見て驚くだろうか。
エリネージュの身を案じてくれるだろうか。
それとも――受け取ってしまった金貨の心配をするのだろうか。
エリネージュが再び足を踏み出した時、背後から声がした。
「随分と探しましたよ、エリネージュ王女」
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