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応接間の調度品は落ち着いた深緑色で統一されていた。
掃除が行き届いた、埃ひとつない部屋だ。
昔はこれが日常だったはずなのに、エリネージュはなんだか落ち着かない気持ちになる。
それもそのはずだろう。
目の前でにこにことティーカップを優雅に口に運ぶのは、エリネージュを軟禁中の王子レクシオンだ。
「僕に見惚れてくれるのは嬉しいけど、そろそろ口をつけてくれないかな」
「み、見惚れてないわ!」
たしかに、目が覚めた瞬間はこの世のものとは思えないイケメンだと思ったけれど。
美こそすべての王国で育ったエリネージュも、純粋に美形は好きだ。いつか素敵な王子様と結婚するのだ、と憧れを抱いていたこともある。
しかし、美しさだけではないとも思っている。
だって、エリネージュを助けてくれた下働きの使用人たちは、見目だけでいえばグレイシエ王国の基準からすれば恵まれていないことになるのだろうが、とても優しく、あたたかかった。
逆に、美しさを誇っている者ほどプライドが高く、恐ろしい。
(私も、容姿のせいで狙われている訳だし……)
容姿以外にも狙われる理由があるのだろうが、美に固執するユーディアナに狙われる一番の理由は容姿だと思っている。
艶やかな黒髪も、大きな黒い瞳も、薔薇の花弁のような唇も、滑らかな白い肌も、毎日見ていればそんなに特別なものだと思わなくなる。
少し怖いと思ったのは、毎日のように水仕事をして、本来なら肌荒れのひとつもありそうなものなのに、生まれつきの魔力のせいなのか、肌は美しいままだった。
自分が本当に人間なのか、怖くなった瞬間だ。
義母であるユーディアナからの、呪われた毒林檎。
どうやって小人たちの手に渡したのか分からないが、あの林檎はただの毒林檎ではない。
だがそれすらも、エリネージュを傷つけることはできなかった。
だから、別に毒を恐れて食べない訳ではないのだ。
目の前に用意されたサンドイッチやスコーンを見て、エリネージュは苦笑を漏らす。
誰のせいで食べられないのか、この男は本当に分からないのだろうか。
「君はここに来て、何も口にしていないだろう?」
レクシオンは心配そうにエリネージュの顔色を窺った。
そして、エリネージュのために用意されたティーカップを手に取り、一口飲んでみせた。
「うん、美味しい。カトリーヌが淹れる紅茶は僕のお気に入りなんだ。今日は特別にオレンジを入れてもらったんだよ。オレンジは好き?」
穏やかに微笑むレクシオンの背後で、カトリーヌが笑顔を張り付ける。
エリネージュが抜け出したせいで、彼女はレクシオンの怒りを買ってしまった。
一体レクシオンはカトリーヌに何を言ったのか。
カトリーヌは怯えているようだ。
きっと、エリネージュが何も口にしなければ、またカトリーヌが責められるのだろう。
エリネージュは大きくため息を吐いて、ティーカップを持つ。
カップの中をのぞくと、オレンジの果肉がカットされて入っている。
オレンジは好きだ。林檎は当分、食べる気にはならないだろうが。
レクシオンが口をつけたところは避けて、オレンジの甘い香りが漂う紅茶を飲む。
久しぶりに飲む紅茶は、緊張していたエリネージュの身体をじんわりと温めてくれる。
「……ねぇ、本気なの? 私の命を狙う暗殺者を捕えるだなんて」
「もちろん。君は僕の妻になる女性だからね」
「ならないわ」
「君を頷かせるためにも、暗殺者を捕えることは必要だろうね。それに、君に使われた毒には非常に興味がある」
こちらを見つめるアメジストの瞳には、ある種の熱がある。
それが純粋な好意だとは思えない。
「あなた、賢そうに見えて馬鹿なのね」
素性の知れない女性に求婚した上に、事情が分からないままに命が狙われている女性を助けようとする。
しかも、最初は死体だ。
そんな男を信じることはできないし、エリネージュの事情に敵国の王子を巻き込む訳にはいかない。
彼もまさかエリネージュがグレイシエ王国の王女だとは思ってもいないだろう。
正体を明かせば、今度は戦争に利用されるかもしれない。
だから、エリネージュの素性は絶対に明かせない。
王子に無礼な態度をとる女だ、ということで追い出してくれないだろうか。
これもまた不敬罪に問われる可能性の方が高いだろうが。
そんなエリネージュの胸中を知ってか知らずか、レクシオンの顔から笑みが消えた。
「リーネ」
静かに名を呼ばれて、エリネージュは固まった。
どうして先ほど幼い頃の愛称を名乗ってしまったのだろう。
不覚にもドキドキしてしまった。
「怖がらなくていい。君はもう一人じゃないんだ」
真剣な眼差しと、優しい声音。
信じたいと思わせる、危険な言葉だ。
「でも、いきなり僕を信じろっていうのも難しいよね。だからまずは、僕のことを知ってほしい」
レクシオンはそう言うと、カトリーヌを下がらせた。
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