「リーネ、はぐれたら危ないから僕の手を握って」


 にっこりと微笑んで、レクシオンが手を差し出す。

 貴公子然としたシャツにベスト。

 すらりと長い脚が映えるシルエットの紺色のパンツ。

 その上、神が作り上げた芸術かと思うほどの美貌に、太陽の光をはじく金色の髪。

 目の前にいるレクシオンは、見た目だけで言えば完ぺきな理想の王子様だった。

 今回の外出は、王子である彼にとってお忍びのはずなのだが、何故こんなにも眩しいのだろう。

 その上、デートを楽しみたいからという理由で、護衛もつけずに本当にエリネージュと二人きりだ。

 浮かべている甘い笑顔も、今までの彼の言動を忘れ去ったら、頷く以外の選択肢はない。

 エリネージュも思わず見た目に騙されて頷きかけるが、死体に求婚する変人であることを思い出し、慌てて首を振る。


「……嫌ですっ!」


 エリネージュはぷいとそっぽを向く。

 絶対にレクシオンの手をとるものか。

 こちらとしては、ぜひともはぐれたいと思っているのだから。


「君という人は、本当に可愛いね」


 レクシオンはくすりと笑って、拒絶するエリネージュの手を強引に取った。

 触れたその手が一瞬震えているように感じたのは、きっと気のせいだろう。


(すぐに手を出す王子様が、女の子の手を取ることに緊張している……なんてことはあり得ないでしょうし)


 振りほどこうとしても、ぎゅっと握られた手は頑なにエリネージュを捕らえて離さない。

 はあ。大きなため息を吐いて、エリネージュは次の逃亡の機会を狙うことにした。


 アルディン王国の王都ディルランシアは多くの人でにぎわっていた。

 あちこちから音楽や客寄せの声が聞こえてくる。

 別名、花の都と呼ばれるだけあって、街には色とりどりの花が飾られているし、視線を向けた先にはだいたい花屋がある。


「……すごい」


 思わず、エリネージュは感嘆のため息をこぼす。

 こんなに楽しそうな場所に来たのは生まれて初めてだ。

 グレイシエ王国の王城で過ごしていた時はもちろん、逃亡中の身で人の多い街には怖くて行けなかったから。


「最近、新しくできたカフェテリアがあるから一緒に行こう」

「え、いや、私は……っ」

「君の瞳はすごく好奇心で輝いているよ。今だけは、自分の心に素直になって楽しめばいい。君の生きている姿にも、僕はとても興味があるから」

「……最後の一言は余計よ」


 普通の人間は生きている姿に興味を持ってくれるものだと思う。

 エリネージュはむっとしながらも、レクシオンのエスコートに素直に従うことにした。

 正直、強がってはいたものの空腹だった。


(この変態王子から逃げるにしても、空腹のままじゃ途中で力尽きてしまうもの)


 噴水と緑がある広場を抜けて、かわいらしい看板が目立つ通りに出た。

 店の外で街の景色を楽しみながら軽食を味わえるテラス席を兼ね備えている店が多い。

 それもそのはず、この通りには色とりどりのガーベラが美しさを競い合っている。

 花を眺めながらのティータイムは最高だろう。


「なんて素敵な場所なの! 私、こんなにも美しい花を見るのは初めてだわ!」


 グレイシエ王国では、色のある花は咲かない。

 魔女の王国故なのか、土地柄なのかは分からない。

 だから、自分の手を握っている相手が変態だとか誘拐犯だとか、そんなことは関係なしに満面の笑みで興奮してしまった。


「……ぐぅっ! これは反則だろう」


 レクシオンが手を握っていない方の手で顔を覆う。

 耳まで真っ赤になっていた。


(あ……やってしまったわ)


 エリネージュの容姿は美しい。それは生まれた時から予言されていたこと。

 それ故に、感情をあまり表情に乗せると、他者への破壊力がすごいらしいのだ。

 グレイシエ王国ではあまり気にしていなかったが、小人たちに指摘されて気を付けるようにしていたのに。


「あの、大丈夫……?」

「あぁ、僕の妻の可愛さに殺されるところだったけれど、問題ない……喜んでもらえて何よりだよ」


 まだ少し赤みが残る顔で、レクシオンが笑う。

 断じて妻ではない。しかし、否定を聞き入れてくれないのは学習済みだ。

 エリネージュも流すことにした。


「ここは、通称ガーベラ通りと呼ばれていて、女性に人気のカフェテリアが多く立ち並ぶ、ディルランシアの観光名所でもあるんだ」


 そして、レクシオンはその中でも比較的新しい白壁のかわいらしい店にエリネージュを案内した。

 店内は茶色を基調とした落ち着いた雰囲気で、壁や天井には様々な花が飾ってある。

 レクシオンが声をかけると、女性の店員はうっとりと数秒ほど見つめてからテラス席に案内してくれた。

 今は昼食の時間をとうに過ぎた、アフタヌーンティーの時間帯。

 他の客のテーブルをみると、サンドイッチやスコーンなどの軽食や甘いお菓子、花柄のティーカップでお茶の時間を楽しんでいる。

 女性同士で。


(いいなぁ……)


 対してこちらの相手は、見た目は超絶イケメンだが、中身がかなり変態な王子様。

 お茶やお菓子、お花を楽しみながら会話が弾むとは思えない。


「お待たせいたしました。アフタヌーンティーセットでございます。本日の茶葉はキャンディです。レモンティーでお楽しみください」


 しかし、実際に目の前に可愛い見た目のお菓子が並べられると気分が上がった。

 いつの間にか注文されていたのは、アフタヌーンティーセット。

 三段のスタンドには下からサンドイッチ、スコーン、ケーキが乗せられている。

 サンドイッチは、トマト、卵、生ハムの三種。

 焼き立てのスコーンにはクロテッドクリームと苺ジャムが添えられている。

 ケーキはすべて一口サイズで、苺のタルト、ショートケーキ、マカロンが食用花とともに盛り付けられて見た目からとても可愛い。


(うわぁ、美味しそう! 可愛い!)


 ぐぅ、と小さくお腹が鳴った。


「ふふ、美味しそうだね。僕も仕事が終わったばかりで何も食べていなかったから、実は空腹なんだよ」


 レクシオンがくつくつと喉を鳴らして笑う。

 本当に楽しそうに笑うものだから、エリネージュもつられて笑みを浮かべていた。

 食べよう、とレクシオンに促されて、エリネージュは生ハムのサンドイッチを手に取った。

 レタスのシャキシャキ感と生ハムの塩気が程よく、小さめのサンドイッチはあっという間に口の中に消えていった。


「ん~っ! 美味しい!」


 トマトも新鮮だし、卵のタルタルは白身と黄身の割合が絶妙で、空腹も相まって、目の前のレクシオンのことなど忘れてエリネージュは食べることに夢中になっていた。

 そんなエリネージュの様子を、柔らかな眼差しでレクシオンが見つめていた。

 そして。


「んっ……!?」


 お茶を飲むことも忘れて食べていたせいで、スコーンが喉に詰まりかけてしまった。


(やばい……苦しい!)


「そんなに慌てて食べなくても、これは全部君のものだからゆっくり食べて」


 そう言って、レクシオンがエリネージュの手に水が入ったコップを持たせる。

 ごくごくと水でスコーンを流し込み、ふうとエリネージュは大きく息を吐く。


「……ありがとう。それより、あなたも空腹だったのでしょう?」


 エリネージュの目の前で笑みを浮かべているレクシオンは、空腹だと言いつつ何にも手をつけていなかった。


「リーネが食べる様子を見ているだけでお腹いっぱいになったから」

「空腹だなんて嘘だったのね」

「いや、仕事が終わって何も食べていないのは本当だよ」


 レモンティーを一口飲んで、レクシオンが肩をすくめる。


「……仕事って、王子ではなく騎士の?」


 エリネージュの問いに、レクシオンは頷いた。

 レクシオンは黒の騎士服を着ていた。

 第一王子でありながら騎士団に所属しているのだ。


(第一王子だからこそ、なのかしら……?)


 戦争はいつ再開されるか分からない。

 戦場で兵の士気を上げるためには、王族の指揮が必要だ。

 戦えない王子は、戦場では役に立たない。

 とはいえ、魔女の魔法にそう簡単に立ち向かえる人間もいないが。


「きっと、君が想像しているような騎士じゃないよ」

「どういうこと?」

「僕は、変わり者の王子だからね」


 含みのある笑みと言葉に、エリネージュの頭には疑問符ばかりが浮かぶ。

 しかし、そんなエリネージュに構わず、レクシオンは話を進める。


「どう? この国の王都は」

「活気があって、華やかで、素敵なところだと思うわ」


 食べ物も美味しい。いたるところに花が飾られていて、本当に美しい街だ。

 素直にエリネージュは王都ディルランシアに抱いた感想を口にした。


「それはよかった。それなら、これから先もこの王国で、僕と一緒に過ごしてくれるよね?」

「それとこれとは話が別よ!」

「う~ん、どうすれば君は頷いてくれるんだろう」

「あなたこそ、どうすれば諦めてくれるの? 私はあなたの妻にはならないし、暗殺者をあなたに捕まえてほしいとも思っていないわ。こんな風にデートに誘われても、私の気持ちは変わらないから」


 何故、レクシオンがエリネージュに執着するのかが分からない。

 仮死状態のエリネージュを好きになったのなら、生き返ったエリネージュへの興味は失いそうなものなのに。

 レクシオンはエリネージュを手放そうとしない。


(それに、私の死に顔に惚れたという人の妻になんてなりたくない……)


 ちゃんとエリネージュを愛してくれる人に出会いたい。

 特別な魔女でも王女でもない、ただのエリネージュを。


「君が、ずっと止まっていた僕の心を動かしてくれたから」


 まっすぐに、レクシオンはエリネージュを見つめた。


「君と一緒なら、僕はきっと人間らしくいられる気がするんだ。だから、僕に君を愛させてほしい」


 その言葉は真剣そのもので、すぐに否定することができなかった。

 それどころか頬が熱を持ち、心臓がどくどくと脈打つ。

 愛している、ではなく、愛させてほしいと請われたのは初めてだ。

 しかし、彼を受け入れる訳にはいかない。


「…………」

「すぐにとは言わないよ。君を美しく眠らせた毒の秘密を暴いてからでも遅くはないからね」


 先ほどまでの空気を一変させて、レクシオンは爽やかに笑った。

 エリネージュは、何と答えていいのか分からずに、ひたすら甘いお菓子を頬張った。

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