第二章 白雪姫は王子様とデートする

「お嬢様のお肌は本当にお美しいですわね。レクシオン様が一目惚れするのも分かりますわ」


 一目惚れといっても死人に対してなのだが、あえて触れないことにする。

 目をキラキラさせて、カトリーヌがエリネージュの肌を整えていく。

 街へ行く、というのは本気だったようで、すぐにローズピンクのドレスに着替えさせられた。

 カトリーヌがエリネージュの容姿を褒めちぎり、それを否定するのにも疲れてきたところだ。

 太陽の光も届かない不可侵の森で生活していたからか、肌はまったく日に焼けていない。

 しかし、逃亡生活の中で肌の手入れなどは怠っていた。

 美しさを保つことよりも、命の方が大事だからだ。

 自分の顔を鏡で見ることもなかった。

 それでも潤いのある肌と瑞々しい唇が憎らしい。


(私のどこが美しいのかしら……こんなの、化物と変わらないわ)


 普通とは違う、特別な存在。

 そのせいで、両親からも一歩引かれていた。

 ただ、娘として愛してくれればそれでよかったのに。

 祖国から逃げて、素性を隠して小人たちと暮らしている方が楽だった。

 普通ではない自分を忘れられた気がしたから。

 しかし、自分がエリネージュとして生きている限り、そんなことはあり得ないのだろう。


「……彼にはどんな噂があるの?」


 同じく、普通ではない変わり者の王子。

 彼は一体どうしてああなってしまったのだろう。


「そうですねぇ……お嬢様はどんな噂をご存じなのですか?」

「えっ? 変わり者だということしか知らないわ」


 まさか聞き返されるとは思っていなかった。

 追加情報としては、死人に求婚する王子だ。


「でしたら、前情報なしでレクシオン様を見てくださいませ」


 噂に惑わされぬように。

 しかし、カトリーヌは噂の内容を教えない代わりに、噂を否定することもしない。

 一部事実も含まれているのではないだろうか。

 だって、死んだ人間を連れ帰り、キスをするような人なのだ。

 それはエリネージュが実際に目の当たりにした現実である。

 他の噂が事実無根だとしても、エリネージュには関係ない。


「どうしてカトリーヌはあの王子に仕えているの?」


 おかしな王子だと知っていて何故、カトリーヌは忠誠を誓っているのか。

 エリネージュはかなり失礼な質問だと思いながらも、思わず尋ねていた。


「レクシオン様には秘密にしてくださいますか?」

「えぇ」

「実はわたくし、マゾなんです」

「……は?」


 聞き間違いだろうか。

 マゾって何だ。

 もしかして、自分が虐められて興奮する、あのマゾなのか。


「レクシオン様の冷ややかな目で見つめられるのがたまらなくてっ! 他の王子様方は優しくて紳士的なのですが、ぜんっぜん物足りないのです! 洗練されたあの冷たい美しさは鋭く磨かれて、突き刺すほどに色気が増すのですよ。いつも遠くから見つめるだけでしたのに、今回はお嬢様の世話係を命じられて、レクシオン様に叱られるなんて役得でしたわ。お嬢様、ありがとうございます!」


 カトリーヌが胸の前で両手を組み、熱弁する。


(し、信じられない……っ!)


 貴族令嬢らしくおしとやかで、かわいらしい顔立ちのカトリーヌがマゾヒストだなんて。

 突然の性癖暴露に、エリネージュは戸惑う。


「え、でもあの時は王子に怒られて震えていたし、泣きそうになっていたんじゃ……」

「嬉しくて! 歓喜に震えておりましたの。お恥ずかしい姿をお見せして申し訳ございません」

「いや……え? 本当に?」

「はいっ!」


 全力でうなずかれた。

 あの時、心配して損した。

 エリネージュはがっくりと肩を落とす。

 そして、彼女の忠誠は王子個人にというよりも、冷ややかな態度に向けられているようだ。


「でも、本当に驚きましたわ。あのレクシオン様がお嬢様にだけは甘いお顔を見せるなんて。ぐふふ、氷の中に閉じ込められた甘い蜜はお嬢様だけのものなのですね……ということは、わたくしは飴とムチの両方を目にすることができるのですね……はぁ、ギャップ萌え……」


 含み笑いを浮かべてブツブツ呟きながらも、カトリーヌは完ぺきに化粧を仕上げていく。

 そして、黒髪は編み込んで後頭部でまとめ、ドレスの色に合わせた花模様のバレッタを飾る。

 こうして着飾るのは、母が生きていた頃以来だ。


「はああぁ、なんてお美しいっ! やはりレクシオン様の冷ややかな無表情を動かすことができるのはお嬢様だけですわね! もしよろしければ、お嬢様もわたくしのこと、もっと叱ってくださってもよいのですよ?」

「……遠慮します」

「やはり、お嬢様はお優しい方ですのね」


 優しいと言われて残念そうな表情をされたのは生まれて初めてだ。


(あれ? なんだか私ってけっこうまともな人間なのでは?)


 今まで自分が特別扱いをされていたから、勘違いしていたのかもしれない。

 マゾヒストな侍女とまったく喋らない従者。

 レクシオンもレクシオンだが、仕える者も個性的すぎる。


「お嬢様。デート、頑張ってくださいね!」


 そうして、すべての支度が整い、カトリーヌには期待に満ちた瞳を向けられた。


「嫌よ。私は長くここにいるつもりはないもの。せっかくきれいにしてくれたのに、期待に応えられなくてごめんなさい」


 暗殺者を捕える、とレクシオンは言っていたが、その先にいるのはグレイシエ王国の女王ユーディアナだ。

 レクシオンは四国同盟の使者として、平和条約の締結を目指していた。

 それならば、エリネージュとは関わらない方がいいに決まっている。

 王族ともなれば、王女エリネージュの存在を知っているかもしれない。

 今はまだ気づかれてはいないはずだが、側にいる時間が長ければ長いほどリスクは高まる。


(みすみすユーディアナの手先に殺されてやるつもりはないけれど、アルディン王国に匿われる状況も避けたいわ……)


 現在は休戦中とはいえ、何がきっかけで戦争になるか分からないのだ。

 自分が戦争の火種になる訳にはいかない。

 だから、いくらレクシオンに望まれたところで、エリネージュが彼を受け入れることはない。


「いえ、期待通りですわ!」


 てっきり嫌な顔でもされると思っていたのに、カトリーヌは「いい!」とガッツポーズをとっている。


「あぁ、わたくし女性には触手が働かないと思っていたのですけれど、やはり美しさは罪ですわね。お嬢様に拒絶されるのも、グサッと刺さりましたわ!」


 もう一度言ってください! とお願いされたところで、ノックの音が響く。

 正直、助かった。入ってきたのは従者のオルスだ。

 またもや無言で目配せだけで出ていった。

 慣れているのか、カトリーヌは頷く。


「レクシオン様は隣室で待っているようですわ」

「今ので分かったの?」

「まあ。彼とは付き合いが長いですから」


 そう言って笑ったカトリーヌは、先ほどまでの性癖丸出しで興奮していた人とは思えないほどに落ち着いていた。


「お嬢様。ここにいられない理由があるのでしょうが、レクシオン様にもチャンスをくださいませ。今まで、誰とも結婚しないと頑なだったレクシオン様が、初めて求婚の言葉を口にしたのです。何もできずに振られてしまうのはおかわいそうですわ」


 いきなりキスされて目覚めたら求婚されたこちらも可哀想ではないのか。

 そう思ったが、カトリーヌの性癖を思えば、エリネージュと同じシチュエーションになっても喜んで受けてしまうのかもしれない。

 誰とも結婚するつもりがなかったのなら、そのまま独身主義を貫いてくれればいいものを。


「レクシオン様のことを知るための、有意義なデートになることを祈っておりますわ」


 意味深な笑みを浮かべるカトリーヌに見送られ、エリネージュはレクシオンが待つ隣室へと向かった。

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