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「リーネ! 大丈夫?」
茫然とするエリネージュと、足元に倒れている暗殺者を見て、レクシオンが真っ青な顔で駆け寄ってくる。
エリネージュに怪我がないことを確かめると、レクシオンはようやくほっと息を吐いた。
「何があったの?」
「お父様と、話をしたわ。私は、グレイシエ王国へ戻らなくちゃいけない……」
エリネージュは、自分の手の中にある金の懐中時計を握りしめた。
「分かった。じゃあ、僕も一緒に行くよ」
「え?」
「不安でたまらないって顔してるよ。そんな君を一人でなんて行かせられない。でも、少しだけ待って」
優しく、レクシオンが微笑む。
そして、彼は振り返り、ただの男となっていたジルモンドを見据える。
「父上、僕の言葉は信じられずとも、母上の言葉があれば信じられるでしょう。十年前からずっと、我々はシーノの手のひらの上で踊らされていたのですよ」
レクシオンの冷ややかな声が響く。
「毒を使われた者たちに聞きました。十年前、シーノは、自分には才覚があるはずなのに、次男だから家督を継ぐこともできず、自分を認めない貴族社会にひどく腹を立てていたようだと。毒を使われた者たちは皆、シーノを良く思わない者たちばかりだったようですね」
それを聞いて、シーノは心底おかしいというように笑いだす。
「ふははははっ、そうだ! 皆、私よりも馬鹿のくせに、爵位があるというだけでふんぞり返りおって! だから、ひっくり返してやろうと思ったんだ! 魔女様はとても美しく、私の野望を素晴らしいとほめてくださり、特別な毒と、特別な懐中時計をくれた……その日から、私は周囲の人間よりもはるかに特別な人間になったのだっ! はははは、私にこのようなことをすれば、私に期待をかけてくれた魔女様がお怒りになるぞ……っ! この国はもうおしまいだ。魔女様が、こんな、見る目のない人間どもなど、皆殺してくれる!」
あまりにも大きすぎる承認欲求が暴走し、自分を認めない者たちを排除しようとした。
(くすぶっていた強い劣等感を、ユーディアナは利用したのね。でも……)
自分勝手で、同情の余地はない。
この場で彼の主張を聞いている誰もが、そう感じたはずだ。
そして、シーノ自身もそれが分かっているからこそ、狂ったように笑い続けているのだろう。
ユーディアナが、魔女が、この国を終わらせてくれると信じて。
「これだけ自白がとれれば十分だ。さっさと連れて行け!」
異常な光景に動けずにいた近衛騎士も、レクシオンの命で動き出す。
シーノは捕縛され、どこかへ連れて行かれた。
反逆罪を犯した彼が行きつく先は、地獄だろう。
「兄上……俺、何がなんだか、分からないのですが」
シーノの姿が見えなくなって、アレックスが両親にちらと視線を向けて言う。
王妃フェリエが何故ここにいるのか。
当然、エリネージュとレクシオン以外で状況を把握している者はいない。
だからこそ、アレックスは戸惑っている。
「お前が気にすることではない。これからも変わらず、国王と王妃を支えてくれればそれで」
「良くないでしょうっ!」
「リーネ?」
思わず割り込んだエリネージュに、レクシオンは驚いた顔をしていた。
「どうしてちゃんと話そうとしないの? レクシオンが何も言わないから、誤解されて、遠ざけられて、変な噂も多くなって……また、独りになってしまうじゃない!」
せっかくアレックスは歩み寄ってくれようとしているのに。
母の死で罪悪感を覚えていた心も、目覚めたフェリエの姿を見て薄れようとしているのに。
レクシオンのせいではないと、国王の目の前で証明できたのに。
『レクシオン安心計画』がようやく実現する未来があるのに。
「一緒にハッピーエンドを目指すんでしょう? レクシオン自身の幸せを諦めないでよ!」
エリネージュは、レクシオンに幸せになってほしい。
笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いてほしい。
辛くて、苦しい、その痛みをもう独りで抱え込まないでほしい。
レクシオンがエリネージュのすべてを受け入れてくれたように。
「ジルモンド国王陛下、フェリエ王妃殿下。そして、アレックス殿下。ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。グレイシエ王国第一王女エリネージュ・ワイトリーと申します」
エリネージュは、皆の前で王女として初めて挨拶する。
アレックスはぎこちなく王子として一礼を返した。
そして、ジルモンドはフェリエを腕に抱いたまま、険しい顔でエリネージュを見つめていた。
「フェリエ王妃殿下が目覚めることができたのは、レクシオンがずっと王妃様の死に疑問を抱き、その御身を大切に守ってきたからです。本来であれば、死した身体は地に還されてしまいます。しかし、レクシオンは王妃様と同様の不審死についても調べ、その眠りを守っていました。いくら私が魔女で、彼らを目覚めさせる力を持っていたとしても、レクシオンが守ってくれていなければ、あの毒のことも、こんな恐ろしいことが起きていたことも、知ることはなかったでしょう」
もしも、レクシオンが不審死に疑問を持たなかったら。
もしも、死体を調べようと思わなかったら。
もしも、死体を保管しようと思わなかったら。
レクシオンが死体愛好家と噂されながらも、守り続けた結果が、生きた証として今目の前にある。
彼らを本当の意味で生かしたのは、レクシオンだ。
エリネージュはただ、そのきっかけを与えただけに過ぎない。
「ジルモンド国王陛下、この度のグレイシエ王国が関わった毒事件について、王女である私からお詫びいたします。謝罪だけでは足りないほどの大罪と心得ております。ですから、アルディン王国はじめとする四国同盟の条件をすべて呑み、平和条約を締結することをここに誓います」
エリネージュは深く、深く頭を下げる。
グレイシエ王国の女王であるユーディアナが主犯であることは間違いない。
再び戦争になってもおかしくない事件だ。
しかし、これ以上は誰も、戦争を望んでいないと願いたい。
「エリネージュ王女、そなたは国の長ではない。そのような決定権はないはずだ」
ジルモンドが重い口を開く。
その言葉は事実だ。今のエリネージュには、何の権限もない。
グレイシエ王国では、死んだことにされている王女なのだから。
やはり公的な立場を持たないエリネージュでは、相手にもされないのだろうか。
そう、唇を噛んだ時。
「だが、フェリエを私のもとへ帰してくれたことには心から感謝している。そして、グレイシエ王国との平和条約も、叶うならば実現したい」
ジルモンドはまっすぐにエリネージュを見た。
その瞳には、警戒心は消えている。
エリネージュの言葉はジルモンドに届いたのだろうか。
「わたくしからも、改めてお礼を申し上げます。エリネージュ王女、本当にありがとう。わたくしたちが独りにしてしまったレクシオンを助けてくれて、わたくしを愛する人たちのもとへ帰してくれて、本当に、ありがとう……」
フェリエが堪えていた涙をあふれさせる。
そして、そのきれいなアクアマリンの瞳には、レクシオンが映っていた。
「レクシオン、ごめんなさい。あなたに母親らしいことが何もできずに、逃げ続けて、愛して、いることさえ分からなくなって……そんな母親を、十年もずっと、守ってくれて……ありがとう」
ジルモンドの腕から離れて、フェリエが足を踏み出す。
ゆっくりとレクシオンとの距離を縮めて。
「レクシオン、愛しているわ」
そっと、フェリエは震える手でレクシオンを抱きしめた。
「は、母上……」
レクシオンは初めての母のぬくもりに戸惑い、固まっている。
「レクシオン、ぎゅってしても、いいのよ。レクシオンのお母様なんだから」
エリネージュがそう言うと、フェリエが大丈夫だと示すようにレクシオンを抱く腕に力を込めた。
「……僕は、愛されても、愛しても、いいのでしょうか?」
「いいの。私たちが、臆病だっただけなの。あなたは何も、悪くなんてないのよ」
「母上……母上っ!」
長年の想いをすぐに伝えることはできない。
しかし、触れられなかった母に触れて、愛を伝えられた。
きっとこれで、『レクシオン安心計画』の完成に一歩近づいたはず。
親子の抱擁を見て、エリネージュは胸を熱くする。
「兄上~、母上~っ! うわぁぁん」
そこへ、顔を涙でぐちゃぐちゃにしたアレックスが走り寄ってきた。
兄と母に抱き着いて、すり寄っている。
(ふふ、本当に、アレックス様はかわいいわね)
ほほえましい家族の姿に見える。
ただ一人、遠くから三人を見つめるジルモンドを除いては。
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