地面にたたきつけられる痛みを覚悟し、ぎゅっと目を閉じたが、誰かに抱きとめられた。


「僕の美しい人は、随分とお転婆なようだね」

「あ、あなたは……っ!」


 エリネージュを軽々と横抱きにしているのは、黒の騎士服を着たレクシオンだ。

 サイドの髪を後ろになでつけているため、その美しい顔がよく見える。

 とてもさわやかな笑顔である。


「とりあえず部屋に戻ろうか。こんな無防備な姿を他の男に見られてはいけないからね」


 そう言われて、シュミーズ・ドレス姿でいる自分が恥ずかしくなってきた。

 別に素肌を見られている訳ではないのに、じっと見つめられると頬が熱くなる。

 というか……。


「あなたにだって嫌よ! 離して! 私は森へ帰るのよ!」


 エリネージュはレクシオンの腕の中で暴れる。


「でも君、毒を盛られたんだろう? そんな危険な場所には行かせられない」


 笑みを消し、真剣な表情でエリネージュを見つめる。

 本気で心配しているのだろうか。


「僕の知らない場所でうっかり死なれたら困るからね。君の美しい死に顔を一番に見るのは僕でなければ」

「あなたの側も危険じゃないの!」


 一瞬でもときめきそうになった自分が馬鹿だった。

 エリネージュは再びレクシオンの腕から逃れようと暴れるが、鍛えているのかびくともしない。

 中性的な美しい顔立ちから、顔だけの男だと思っていたのに。

 抵抗するのにも疲れた頃、すでに王城内の一室に着いていた。


「カトリーヌ!」


 部屋に入るなり、レクシオンはカトリーヌを呼んだ。

 レクシオンに横抱きにされたエリネージュを見て、カトリーヌは顔を青くする。


「僕は君に、彼女の世話を頼んでいたはずだよね?」

「は、はい……」

「では何故、彼女がテラスから落ちてきたのだろうね」


 レクシオンは冷ややかにカトリーヌを見下ろす。

 そこにエリネージュに向けていた優し気な雰囲気はなく、ただただ冷たい。


「も、申し訳ございません!」


 涙目になりながら、カトリーヌが頭を下げる。

 逃げ出そうとしたのはエリネージュだ。

 自分のせいで彼女が叱責されている。

 罪悪感がこみあげてきて、エリネージュは思わず叫んでいた。


「私が、体調が悪いって嘘をついたから! 彼女は悪くないわ」

「君が何と言おうと、君を危険な目に遭わせないように、彼女をつけていたんだ。これでは職務放棄と変わらない」

「私のことを殺そうとしているのはあなたでしょう!?」


 エリネージュは感情のままに、レクシオンの胸を拳で打つ。

 しかし、その拳はレクシオンの大きな手に包み込まれてしまう。


「ふっ、僕が君を殺す? 面白い冗談を言うんだね」


 口元には笑みを浮かべているが、レクシオンの纏う空気が変わった。


「カトリーヌ、君はもう下がれ」


 レクシオンがカトリーヌに命じ、彼女は青白い顔で部屋を出た。

 本気で怒っている。

 どういうことか、意味が分からないのはエリネージュの方だ。


「……だ、だって、私にもう一度死ねって言ったじゃない」

「そうか、ちゃんと僕の気持ちが伝わってなかったんだね」


 ふっと冷たい笑みを浮かべると、レクシオンは寝室へ直行した。


「ちょっと! 何するの!?」


 ベッドに下ろされ、何をするつもりなのかとエリネージュはレクシオンを睨みつける。


「まだ身体が辛いだろう」


 妙な気遣いはいらない。エリネージュは起き上がる。


「平気よ! それよりも……どういうつもり?」

「僕は、死んでいる君に一目惚れした。だからといって、君を殺すつもりはない。まあ、僕が知らない場所で死ぬことは許さないけどね」

「……あなたには関係ないでしょう」

「ひどいな。僕はもう君に夢中なのに」

「あなた、王子なんでしょう? 私のこと何も知らないくせに、そんなこと言っても大丈夫なの? 変な噂が広まっても知らないわよ」


 王子としての体面が保てなくなってもいいのか。

 そう脅したつもりだったが、レクシオンは声を出して笑った。


「君も、僕のことを何も知らないみたいだね。すでに僕は変な噂でいっぱいだから、これ以上何が増えても誰も気にしないよ」


 他国にまで変わり者の噂が届いていたのだから、国内では知らぬ者はいないのだろう。

 完全に開き直っている。

 死体を連れ帰った噂が広まったところで、痛くもかゆくもないのだ。


(私をどうするつもりなの……?)


 エリネージュに死んでくれと言いながら、殺すつもりはないと言う。

 レクシオンの意図が読めない。

 当然だ。エリネージュはレクシオンのことを何も知らないのだから。


「あなたはそれでいいの?」

「君との噂なら喜んで広めたい」


 レクシオンはうっとりとエリネージュを見つめている。


「……私は森に帰りたいの」

「駄目だ。君は命を狙われているんだろう? だったら……」


 守らせてほしい、とでも言うのだろうか。

 君を守る。守りたい。

 今までに何度聞いた言葉だろう。

 誰一人としてエリネージュを守ることはできなかった。

 だから、この言葉を聞くと心が凍り付いたように冷たくなる。


「私の死体が欲しいのよね? それなら、私が殺されて、死体を手に入れた方が早いわ」


 だから、もう放っておいてくれ。

 誰にも自分を守らせる気はないし、誰にも頼るつもりはない。

 それが敵国の王子ならば尚更だ。

 エリネージュにレクシオンの言葉を聞く気はなかった。

 しかし、両肩に手を置かれ、レクシオンが真剣な眼差しで言う。


「僕と一緒に君の命を狙う暗殺者を捕えよう。そして、君をあれほど美しい仮死状態にできた毒の秘密を聞くんだ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 この王子は、顔は良いが馬鹿なのかもしれない。

 死体にキスをしたり、見ず知らずの訳アリ女性の事情を聞かずに懐に入れたり。

 挙句、エリネージュを仮死状態にした毒のことを知りたがる。

 そういえば、レクシオンは美しい死体だったから、エリネージュを連れてきたのだ。

 しかし。

 

(暗殺者を捕えて知りたいことがそれ?)


 思わず、エリネージュは噴き出していた。


「あはは、ははっ……」


 こんな反応は初めてだった。

 おかしくて、エリネージュは状況も忘れて声を出して笑う。


「あぁ、笑っている君も美しいな。死に顔よりも、やはり生き生きしている」

「当たり前でしょ! 私は生きているんだから」

「そうだね」


 レクシオンが嬉しそうに微笑む。

 なんだかもうこの王子を警戒する気が失せてしまった。


「改めて自己紹介させてもらおう。僕は、アルディン王国第一王子レクシオン・クロディースト。君を妻にしたいと思っている男だ」


 そう言って、レクシオンはエリネージュの前に手を差し出す。


「私はリーネ。あなたの妻には死んでもなりたくない女よ」


 にっこりと笑みを浮かべて、エリネージュはレクシオンの手を叩いた。

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