アレックスがもたらした、レクシオンの婚約話。

 何が何だか分からないうちにレクシオンに手を引かれて、エリネージュは部屋を出ていた。


「ちょっと! どういうつもり!?」

「このままだと僕は強制的に婚約させられる。だから、二人で逃げるんだ」


 戸惑うエリネージュの手をしっかりと握って、レクシオンはまっすぐに前を向いて走る。

 半ば引きずられるようにして、必死にエリネージュも足を動かすが。


「本気なの!? あなた仮にも王子でしょう?」


 聞くところによると、王命だというではないか。

 当然、王子であるレクシオンの結婚が自由恋愛であるはずがない。

 もちろん、エリネージュも王女としての立場を持っていたなら、国のための結婚をしたはずだ。

 それを当然だと思っていたし、自国のためになるのなら喜んで結婚しただろう。

 しかし今は。

 レクシオンが別の誰かに愛を囁くのかと思うと、胸がモヤモヤする。

 鈍い痛みまで感じてしまう。


「僕の妻になる女性はリーネ以外にいない」


 はっきりと告げられた言葉に、胸の痛みは引いていく。


(どうして、ホッとしているのよ……)


 モルト伯爵令嬢はレクシオンに好意を抱いていた。

 根気強くレクシオンと向き合えば、二人は寄り添っていけるかもしれない。

 そうすればレクシオンはエリネージュに執着することはなくなり、自由になれる。

 『レクシオン安心計画』の完遂だ。

 このままレクシオンの婚約話を進める方がいい。

 そう自分に言い聞かせれば、また胸がきゅっと締め付けられる。

 本当は、一緒に逃げようと言われて嬉しかった。レクシオンの本気は嫌というほど伝わっている。

 そんな彼を放っておけないと思っているのもまた事実で。

 しかし、王妃の死と不審死にグレイシエ王国が関与しているという話を聞いた時から、考えていることがある。


「はぐらかさないで。逃げても解決しないでしょう」


 レクシオンの手をぐっと引き、エリネージュは無理やり立ち止まった。

 緑豊かな前庭には心地よい風が吹いている。周囲には幸い人はいない。

 レクシオンが見つめる先には、城門がある。あと少しの距離だ。

 しかし、エリネージュがその歩みを止めた。

 このままではいけないと思ったから。

 これは、自分へ向けた言葉でもあった。


(私はずっと逃げていた。逃げる理由も、狙われる理由も、ちゃんと知らずに)


 だからこそ、逃げ続ける日々には終わりがない。

 逃げても、必ず向き合わなければならない時はくる。


「リーネ?」


 振り返り、レクシオンが何故だと目で問う。


「レクシオンは、国王陛下とちゃんと話し合うべきだわ。今回の婚約は、あなたのためを思ってのことかもしれないじゃない」

「それはあり得ない。父は、心を読まれるのを恐れて僕と顔を合わせないんだよ」


 レクシオンの表情と声には苛立ちがにじんでいた。

 それでも、エリネージュは言葉を重ねる。


「婚約のことだけじゃない。不審死にグレイシエ王国が関わっているのなら、国際問題よ。国王陛下が知らなければ、対応が遅れるわ。グレイシエ王国との戦争はまだ終わっていないのよ?」


 水面下で、戦争の火種はくすぶっている。

 グレイシエ王国が関わっている不審死がいい例だ。


「父には書面で可能性は伝えたが、返事はなかった。僕では相手にもされない」


 レクシオンは乾いた笑みを漏らした。

 しかし、その言葉でエリネージュはある可能性に思い至る。


「それって、いつ頃の話? 私に出会う前?」

 エリネージュの前のめりな質問に、レクシオンは「あぁ」と頷いた。

「だからではないの?」

「何が?」

「レクシオンがグレイシエ王国への使者に選ばれたのは……グレイシエ王国を探ってこいということだったのではないの?」


 レクシオンからの書面を読み、必要だと感じたから、レクシオンを使者に選んだのではないか。

 死んでも構わないと思われていた訳ではなく。

 現に、レクシオンはグレイシエ王国に向かったことでエリネージュと出会い、これ以上ない確信を得た。


「だからきっと、レクシオンのことを思ってくれているはずよ。話し合えば、きっと分かってもらえるわ」

「ごめんね、リーネ。愛する君の頼みでも今回ばかりは聞けない」

「どうして?」

「王族の婚約が正式に決まればどれほど面倒なことがあるか分かるだろう? リーネとの婚約なら喜んで雑用でも何でもするけど……」


 大きなため息を吐いて、レクシオンがふっと笑う。

 エリネージュを安心させるような優しい眼差しで。


「婚約で僕を縛って自由に動けなくするのが目的だろうから。僕の行動を制限して何を企んでいるのか分からないけど、リーネに手を出される訳にはいかない」


 痛いくらいにぎゅっと手が握られる。それだけ、レクシオンが本気だということだ。

 そして、再びレクシオンが足を踏み出した時。


「レクシオン殿下、どこへ行くおつもりですか?」


 城門の方からまっすぐにこちらに歩いてきたのは、モルト伯爵令嬢のアーリアと宰相シーノだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る