第九章 白雪姫と王子様と七人の小人
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グレイシエ王国へと向かうための最短ルートは、不可侵の森を通ることだ。
しかし、不可侵の森はどこの国にも属さず、一度足を踏み入れれば身体の一部に刻印が刻まれ、どこの国の人間でもなくなる。
それが一般認識として浸透したのは、数百年も前からだ。
だからこそ、何故そうなったのかは誰も知らない。
不可侵の森で刻まれる刻印は、まず魔法によるもので間違いないだろう。
戦争中、人間側がグレイシエ王国に攻め込むことができなかったのもまた、不可侵の森のせいでもあった。
それでも、不可侵の森はグレイシエ王国のものでもない。
魔法に耐性がある魔女であっても、その身体には刻印が刻まれる。
だからこその、不可侵であったのだが。
「リーネの身体には刻印が刻まれなかったんだよね?」
不可侵の森の前で、エリネージュはレクシオンの問いに頷いた。
「私の魔力が関係しているのでしょうね」
暗殺者から逃げるために足を踏み入れた時も、小人たちと過ごしていた時も、エリネージュの身体に刻印が刻まれることはなかった。
小人たちの手の甲にはたしかに刻印が刻まれていたから、刻印の魔法が消えてなくなった訳ではないのだろう。
だからこそ、エリネージュは隣のレクシオンを見て心配になる。
「本当に、何の対策もせずに不可侵の森を通るつもりなの? やっぱり、私だけで」
「それは駄目だよ。君を一人で行かせるような男じゃ、きっと結婚なんて認めてもらえないからね」
レクシオンは微笑んで、片目をつむってみせる。
「でも……」
以前、不可侵の森へ行こうと約束した時には、刻印対策が必要だと言っていた。
しかし今は、レクシオンは何もせずにエリネージュとともに不可侵の森へ来た。
ここへ来るまでに、エリネージュは今分かっている情報をレクシオンに伝えた。
エリネージュが逃げたために、グレイシエ王国が危険な状態にあること。
父から一刻も早くグレイシエ王国へ戻るよう言われたこと。
母も同じく仮死状態で生きているかもしれないこと。
そして、現女王ユーディアナがすべての元凶である可能性が高いこと。
推測の部分が大きいし、確証もない。
それでも、レクシオンは話を聞くやすぐに馬を用意し、全速力で不可侵の森へ連れてきてくれた。
アルディン王国の王子である彼を敵国であるグレイシエ王国の問題に巻き込んでもいいのか。
それも、レクシオンは不可侵の森へ生身で通り抜けようとしているのだ。
やはりエリネージュ一人で行くべきではないか、という思いが強くなる。
「僕は、もう失ったと思っていたものをリーネに取り戻してもらった。だから、僕もリーネの力になりたいんだ。そのためなら、アルディン王国の王子という肩書もいらない。刻印が刻まれて、国外追放されたとしても、君を守るための盾にはなれるかな?」
「レクシオン……」
何が待ち受けているか分からないグレイシエ王国に行くのが怖かった。
向き合うことを決意しても、あの場所には辛い記憶の方が多かったから。
でも、レクシオンが一緒にいてくれるだけで、震える足は前に進んだ。
今も、レクシオンが手を引いてくれている。
「さぁ、急ごう」
「……レクシオン、ありがとう」
敵国の王子という立場でグレイシエ王国に来るのはとても危険なことなのに。
一緒に来てくれて。手を引いてくれて。
(どうか、彼に刻印を与えないで……)
握った手にぎゅっと力を入れて、レクシオンに刻印が刻まれないことを祈る。
不可侵の森のせいでレクシオンがせっかく取り戻した居場所をもう一度失わせたくない。
「……っ!?」
不可侵の森を二、三歩進んだところで、レクシオンの体が止まった。
「レクシオン?」
「これが、刻印か」
レクシオンは繋いでいない方の手をじっと見つめている。
その手の甲には、雪の結晶のような印が刻まれていた。
その色は模様に反して血の色をしていて、かなり痛々しい。
小人たちのものはもっと身体に馴染んでいたように見えた。
レクシオンの場合は、刻まれたばかりだからだろうか。
「痛む? 大丈夫?」
「不思議と痛みはないよ。ただ、熱い」
それを聞いて、エリネージュはその刻印に触れる。
たしかに、熱をもっている。
「私のせいだわ……こうなることは分かっていたはずなのに」
もしかしたら、自分と一緒にいれば大丈夫なのではないかと心のどこかで思っていた。
(特別な力なのだと、過信していたせいだ……)
仮死の人間を目覚めさせる、そんな奇跡を起こした力だから。
自分が願えば、力が応えてくれるのではないか。
今までまともに魔法を使ったことがないくせに、どうしてそんな期待を抱いてしまったのだろう。
そのせいで、レクシオンの体には刻印が刻まれてしまった。
エリネージュは彼から何もかもを奪ってしまったような心地になって、絶望する。
「そんな顔をしないで。僕は嬉しいよ」
「どうして……?」
「だって、とてもきれいじゃないか。これまで、不可侵の森に入って刻まれる印なんて、どんなおどろおどろしいものかと思っていたけれど、とても美しい模様だ。まるで、リーネのようだ」
「私?」
「だって、リーネは白雪姫だろう? 小人たちがリーネのことをそう呼んでいた」
レクシオンからは絶望も、悲しみも、怒りも感じない。
本当にうれしそうに笑っている。
白雪姫と呼ばれていたエリネージュを象徴する印だから、と。
そして、レクシオンは自らその印にキスを落とした。
「なんだか、僕がリーネのものだという証のようだね」
グレイシエ王国で《白雪姫》と呼ばれるのは、あまり好きではなかった。
それは、エリネージュ自身を指す言葉に思えなかったから。
不可侵の森に住む小人たちに《白雪姫》と呼ばれるのは、嫌ではなかった。
それは、彼らがちゃんとエリネージュを大切にしてくれたから。
「僕の愛しい、白雪姫」
レクシオンから呼ばれる《白雪姫》は、甘い響きを持っていて、エリネージュの胸を熱くする。
絶対に、この人を手放したくないと強く思った。
エリネージュはレクシオンの手をつかんで、その刻印に唇を寄せた。
「レクシオン、あなたは私のものよ。だから、グレイシエ王国でもアルディン王国でも、あなたに手出しはさせないわ」
赤い雪の結晶に口づけると、少しだけ血の味がした。
痛みはないと言っていたが、その瞬間、彼はぴくりと手を震わせた。
「ごめんなさいっ、やっぱり痛かった?」
「いや、違うんだ。まさかリーネに受け入れられると思ってなくて、動揺しただけ……情けないけど、今ものすごくドキドキしてる」
「えっ……」
顔を上げると、耳まで真っ赤にしたレクシオンと目が合った。
今まで散々恥ずかしいことやとんでもない行動をとっていたのに、こんなことで動揺されるとは思わなかった。
だって、すでに自分たちはキスも交わしているのだ。
状況が状況ではあったが。
そして、自分が言った言葉を思い出し、エリネージュは羞恥に襲われる。
いつの間にかレクシオンの口説き文句に感化されていたようだ。
(だめ、まともにレクシオンの顔が見られない……っ)
こんなことをしている場合ではないというのに、エリネージュの顔も熱くなる。
それでも、互いにつないだ手は放すことはなく、二人は真っ赤な顔のまま歩き出した。
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