夢をみていた。

 ずっと、あたたかな手が自分を抱きしめてくれる夢を。

 化物だと誹られ、怯えられ、誰にも触れられることのなかった少年の期待と希望がみせた夢だ。


 ――死んでくれ……お前が死ねばよかったのに。

 

 自分が他の誰とも違うのだと知ったのは、いつだっただろう。

 当たり前のように聞こえている声が、普通の人には聞こえないのだと知ったのは、いつだっただろう。

 心の声を聞いてしまったら、罰として地下牢に閉じ込められた。

 この力のことは誰にも言ってはいけないのだと。

 冷たい場所で一人ぼっち。

 助けを呼んでも誰も来てくれない。

 心が死んだのはきっとあの時だ。

 そして、もう心の声は聞こえなくなったと嘘を吐いた。

 しかし、その言葉が真実かどうかは関係なく、周囲の人間との間には溝ができていた。

 修復は不可能だった。

 せめて、王子として国の役に立ちたいと努力した。

 学問や教養だけでなく、剣術も、芸事も、すべてにおいて完璧であろうとした。


 ――あなたを産まなければよかった。

 

 いつかは愛してくれる。いつかは認めてくれる。

 いつかは抱きしめてくれる。

 いつかは……いつかは。

 その“いつか”が来る前に、母は死んだ。

 そして、母を喪った父は、自分を責めた。

 何故、お前が生きているのだ、と。

 苦しい。自分でも、分からないのに。

 何故、こんな風に生まれてきてしまったのか。

 でも、どうしたって愛されないのなら、もういっそ。

 魂のない死体からは、心の声は聞こえない。

 初めて触れた母の冷たい手を思い出す。

 冷たいその手は、自分を撫でてくれる。

 触っても、逃げたり、怖がったりしない。

 受け入れてくれているような気がした。

 だからずっと、このまま死人と生きていこうと思っていたのだ。

 

 ――彼女に出会うまでは。本気で。

 

 黒檀の艶やかな長い髪、大きな黒真珠の瞳。雪のように白く美しい輝きを放つ肌。

 薔薇の花弁のような、甘い唇。

 彼女の存在を思い出すと、どくどくと心臓が動き出す。

 心なしか、顔も赤くなる。

 でも、どこからどこまでが夢なのか。

 ずっと、夢の中をぐるぐるしている。

 どうやったら目覚めることができるのだろう。

 彼女に会いたいのに。

 会って、誤解を解きたい。

 彼女を手に入れたいと望むのは、仕事のためでも他の誰かのためでもない。

 自分自身が本気で、愛したい、愛している、そう思ったから。

 愛なんて自分には縁のない感情だと思っていたのに。


 ぽたり。ぽたり。熱い雫が落ちてくる。

 冷たい心をじんわりとあたためて、それは全身に広がった。


 意識が現実に戻ってくる。目覚める。

 覚醒してすぐ、泣き声が聞こえた。

 なんてかわいい声だろう。


「……どうして泣いているの? 僕の美しい人」


 自分でも驚くほどに掠れた声が出た。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 目の前で愛しい人が、涙を流しているのだ。

 可愛い姫の涙を拭うのは、騎士である自分の役目だ。


「もっと早くに目覚めなさいよ!」


 涙でぐちゃぐちゃの顔で、レクシオンを睨む。

 心配してくれたのだろうか。


(誰かに心配されて、こんなに泣かれたのは初めてだ……)


 心配されるという経験がないため、何と返せばいいのか分からない。

 レクシオンは分からないなりに、エリネージュの手を引いてその身体を抱きしめた。

 寝台に倒れ込む形になったエリネージュは真っ赤な顔でうろたえていたが、その反応が可愛くて、嬉しくて、胸があたたかくて、レクシオンはそのままベッドに引きずり込む。


「な、な、何するの!? もう、離してっ」

「駄目だ。リーネのぬくもりがないと、僕は死んでしまうよ」


 夢ではないのだと、確かめたくて。


「……大丈夫よ。もう元気そうだもの!」

「それは、リーネが側にいてくれるから」

「…………」

「逃げずに僕の側にいてくれてありがとう」

「……わ、私のせいで怪我をしたから、放っておけなかっただけよ」

「そうだとしても」


 やんわりと包み込むように抱きしめて、彼女の髪に手をうずめる。

 たしかに彼女がここにいることを確認して、レクシオンはまた胸があたたかくなる。

 まだ身体は重い。

 最高の抱き枕を手にしてしまったからか、レクシオンの意識は再びぼやけてくる。


「もう少しだけ、眠らせてね」

「えっ!? ちょっと待って! このまま!?」


 本気で焦る彼女はかわいそうだが、離してやることはできない。

 レクシオンの意識がないうちに逃げておけばよかったものを、人の好い彼女は側にいてくれた。

 手放せるはずがない。こんなにかわいい人を。

 いっそのこと既成事実でも作ってしまおうか。

 なんてことも頭によぎるが、今は本気で身体は休息を欲していた。


「ちょっと、本気で寝てる!? 嘘でしょ! 起きてよ!」


 なんていう彼女の声を子守唄にして、レクシオンは瞼を閉じた。


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