2
夢をみていた。
ずっと、あたたかな手が自分を抱きしめてくれる夢を。
化物だと誹られ、怯えられ、誰にも触れられることのなかった少年の期待と希望がみせた夢だ。
――死んでくれ……お前が死ねばよかったのに。
自分が他の誰とも違うのだと知ったのは、いつだっただろう。
当たり前のように聞こえている声が、普通の人には聞こえないのだと知ったのは、いつだっただろう。
心の声を聞いてしまったら、罰として地下牢に閉じ込められた。
この力のことは誰にも言ってはいけないのだと。
冷たい場所で一人ぼっち。
助けを呼んでも誰も来てくれない。
心が死んだのはきっとあの時だ。
そして、もう心の声は聞こえなくなったと嘘を吐いた。
しかし、その言葉が真実かどうかは関係なく、周囲の人間との間には溝ができていた。
修復は不可能だった。
せめて、王子として国の役に立ちたいと努力した。
学問や教養だけでなく、剣術も、芸事も、すべてにおいて完璧であろうとした。
――あなたを産まなければよかった。
いつかは愛してくれる。いつかは認めてくれる。
いつかは抱きしめてくれる。
いつかは……いつかは。
その“いつか”が来る前に、母は死んだ。
そして、母を喪った父は、自分を責めた。
何故、お前が生きているのだ、と。
苦しい。自分でも、分からないのに。
何故、こんな風に生まれてきてしまったのか。
でも、どうしたって愛されないのなら、もういっそ。
魂のない死体からは、心の声は聞こえない。
初めて触れた母の冷たい手を思い出す。
冷たいその手は、自分を撫でてくれる。
触っても、逃げたり、怖がったりしない。
受け入れてくれているような気がした。
だからずっと、このまま死人と生きていこうと思っていたのだ。
――彼女に出会うまでは。本気で。
黒檀の艶やかな長い髪、大きな黒真珠の瞳。雪のように白く美しい輝きを放つ肌。
薔薇の花弁のような、甘い唇。
彼女の存在を思い出すと、どくどくと心臓が動き出す。
心なしか、顔も赤くなる。
でも、どこからどこまでが夢なのか。
ずっと、夢の中をぐるぐるしている。
どうやったら目覚めることができるのだろう。
彼女に会いたいのに。
会って、誤解を解きたい。
彼女を手に入れたいと望むのは、仕事のためでも他の誰かのためでもない。
自分自身が本気で、愛したい、愛している、そう思ったから。
愛なんて自分には縁のない感情だと思っていたのに。
ぽたり。ぽたり。熱い雫が落ちてくる。
冷たい心をじんわりとあたためて、それは全身に広がった。
意識が現実に戻ってくる。目覚める。
覚醒してすぐ、泣き声が聞こえた。
なんてかわいい声だろう。
「……どうして泣いているの? 僕の美しい人」
自分でも驚くほどに掠れた声が出た。
しかし、そんなことはどうでもいい。
目の前で愛しい人が、涙を流しているのだ。
可愛い姫の涙を拭うのは、騎士である自分の役目だ。
「もっと早くに目覚めなさいよ!」
涙でぐちゃぐちゃの顔で、レクシオンを睨む。
心配してくれたのだろうか。
(誰かに心配されて、こんなに泣かれたのは初めてだ……)
心配されるという経験がないため、何と返せばいいのか分からない。
レクシオンは分からないなりに、エリネージュの手を引いてその身体を抱きしめた。
寝台に倒れ込む形になったエリネージュは真っ赤な顔でうろたえていたが、その反応が可愛くて、嬉しくて、胸があたたかくて、レクシオンはそのままベッドに引きずり込む。
「な、な、何するの!? もう、離してっ」
「駄目だ。リーネのぬくもりがないと、僕は死んでしまうよ」
夢ではないのだと、確かめたくて。
「……大丈夫よ。もう元気そうだもの!」
「それは、リーネが側にいてくれるから」
「…………」
「逃げずに僕の側にいてくれてありがとう」
「……わ、私のせいで怪我をしたから、放っておけなかっただけよ」
「そうだとしても」
やんわりと包み込むように抱きしめて、彼女の髪に手をうずめる。
たしかに彼女がここにいることを確認して、レクシオンはまた胸があたたかくなる。
まだ身体は重い。
最高の抱き枕を手にしてしまったからか、レクシオンの意識は再びぼやけてくる。
「もう少しだけ、眠らせてね」
「えっ!? ちょっと待って! このまま!?」
本気で焦る彼女はかわいそうだが、離してやることはできない。
レクシオンの意識がないうちに逃げておけばよかったものを、人の好い彼女は側にいてくれた。
手放せるはずがない。こんなにかわいい人を。
いっそのこと既成事実でも作ってしまおうか。
なんてことも頭によぎるが、今は本気で身体は休息を欲していた。
「ちょっと、本気で寝てる!? 嘘でしょ! 起きてよ!」
なんていう彼女の声を子守唄にして、レクシオンは瞼を閉じた。
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