第五章 白雪姫は王子様を見舞う


 息をしているのを確かめるのは何度目になるだろう。

 エリネージュは、本当に人間なのかと疑いたくなる美貌を見つめ、ほっと息を吐く。

 生きている。

 呼吸は浅く、表情も変わらないが、たしかに彼は生きている。

 しかし、目覚めるのを待つだけの静かすぎる時間が流れていた。


 ――……これは奇跡です。


 アルディン王国お抱えの医師が恐る恐る告げた言葉だ。

 生きているのが不思議なくらいの怪我だった。

 出血もひどく、その上毒を盛られたのなら、死ぬ以外の未来はなかった。

 しかし、その傷はすでに塞がっており、ただの傷跡になっている。

 問題は毒だが、何の毒が使われたのか見当もつかないという。

 だから、解毒はできていない。

 それでも彼はただ眠っているだけのように見える。

 エリネージュの力で解毒できたのかもしれない。

 それならば目覚めてもいいはずだが、レクシオンはまだ目を覚まさない。

 医師は手の施しようがない、と立ち去った。

 エリネージュの力では、傷をふさぐこと、命の灯を守ることだけが限界だったのだ。

 今、レクシオンの側には、エリネージュだけがいる。

 あんなにレクシオンから逃げようとしていたのに、彼の側から離れられずにいた。

 命は助かったのだから、今のうちに逃げればきっと、もうレクシオンに振り回されることもない。

 それに、このままエリネージュが側にいた方が危険だ。

 次に暗殺者に襲われた時、またレクシオンが助かるとは限らない。

 誰が巻き込まれるかも分からないのだ。

 だからこそ、人がほとんどいない不可侵の森で落ち着いていた。

 そう頭では分かっているはずなのに、エリネージュはレクシオンの看病をここ数日ほとんど寝ずに続けていた。


 第一王子であるレクシオンが目覚めない、となれば大ごとだが、まだ王宮で騒ぎにはなっていない。

 オルスが周囲にレクシオンの不調を隠しているからだ。

 医師にももちろん金を渡して黙らせていた。

 いくらレクシオンが変わり者だといっても、第一王子であることに変わりない。

 そんな彼が王都で襲われ、意識不明の重体だと知られれば、よからぬことを考える連中も出てくるだろう。


(どこの王宮も同じようなものなのね……それにしても)


 国王には内密にでも報せがいっているはずだ。実の父であるはずの。

 心配ではないのだろうか。


 ――きっと、消えてほしいと願われている。


 ふとそう言ったレクシオンの笑みが思い浮かんだ。

 彼はもうずっと、愛されることを諦めてきたのだろう。


「私なんて、庇う必要はなかったのに……」


 エリネージュは、自分が傷つくことはないと知っている。いや、傷ついてもしばらくすれば治ることを知っている。

 だが、普通の人間は違う。

 その傷が致命傷になることもあるのだ。

 それに、相手はただの暗殺者ではない。魔女ユーディアナお抱えの暗殺者たちだ。


「自分は消えてもいいと思ったから……私を庇ったの?」


 きれいすぎる寝顔を見つめて、胸が締め付けられる。

 レクシオンにとって自分の命はあまりにも軽いものだったのかもしれない。

 死人の側が落ち着き、墓地が安心できる場所だというのは、自分もそこに行くべき人間だと思っていたからなのだろうか。

 変な噂を否定もせず、増長させるような言動だったのは、自分の価値を下げるためだったのか。

 変わり者の第一王子ならば、消えた方が国のためだ、と思われるように……。


「レクシオン、あなたのことが分からないわ」


 誰かと手を握って歩いたこと。

 誰かと花を見て笑ったこと。

 誰かと本気の言い合いをしたこと。


「だから、教えて……」


 誰かに求められたこと。

 誰かに笑いかけられたこと。

 誰かに愛を乞われたこと。


「レクシオンのことが知りたいの」


 誰かのことを知りたいと思ったのも。


 レクシオンのキスで目覚めてから、初めてのことばかりだった。

 彼が嘘をついていたのだとしても、エリネージュが感じた感情は嘘ではない。

 レクシオンのすべてが嘘だとも思えない。

 それに……。


「ねぇ、レクシオンは私のことを知っているの?」



 ――エリネージュ。


 どうして、その名を知っていたのか。

 エリネージュの立場も、すべて知った上で彼は側にいたのだろうか。

 敵国の王女だと知っていたのならば。


 ――どうして。


 側に置いたのか。

 求婚したのか。

 花束をくれたのか。

 抱きしめてくれたのか。

 笑いかけてくれたのか。

 庇ってくれたのか。

 愛を囁いたのか。


 次から次へと、レクシオンへの問いは湧いてくる。

 ただ待つだけの時間がこんなにも苦しくて、もどかしいものだとは知らなかった。

 だからもう、待つのはやめた。

 早く目を覚ませ。

 エリネージュはレクシオンの閉じられた唇にキスをした。


 しかし、レクシオンの瞼はぴくりとも動かない。


「どうして私からのキスでは目覚めないのよ!」


 エリネージュを目覚めさせたのはレクシオンのくせに。

 我慢できなくなった涙が、黒の瞳からあふれていた。

 ぽたぽたとレクシオンの頬に、瞼に、唇に零れ落ちる。

 視界が涙で歪んで、レクシオンの顔が見えなくなる。


「……どうして泣いているの? 僕の美しい人」


 耳に届いたその声に、エリネージュは涙を拭って視界を開く。

 アメジストの瞳が自分の泣き顔を映している。

 にっこりと笑みを浮かべたレクシオンを確認し、エリネージュはさらに号泣した。

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