第42話 最初の一回

 15年間、ウェルトを犠牲にしてきた。

 もっと自由に、それこそ世界に羽ばたくことすらできた彼女を自分という鎖で縛り続けてしまった。

 これから生きるはずだった価値ある人生を、価値のない自分のために台無しにして欲しくない。


「もう、救われるだけなのは嫌なんです」


 もう弱いままの、誰かに守られることしかできない自分ではいたくない。

 それに。


「それに、ここで行かなかったら、僕は永遠にあの人に追いつけない気がするんです」


 脳裏に浮かぶのはウェルトの後ろ姿。

 いつも立ってたのはリードから三歩前。

 近いようでずっと遠い、たった三歩先のウェルトの背中。

 ここで逃げてしまったらきっとこの三歩は一生埋まらない。

 一生、ウェルト最強には、英雄には届かない。

 幻想の中ですら隣に立って戦う事を許されなくなってしまう。

 そんな漠然とした、でも確かな予感がリードの中にあった。


「僕の理想の英雄は、強くて優しくて、決して誰かを見捨てたりしないんです」


 思い出すのはウェルトの姿。

 優しくて、いつも守ってくれて、最後まで自分なんかのために戦ってくれたリードのヒーロー。


「もしここでユリアさん達を見捨ててしまえば、僕は一生理想を抱くことすらできなくなってしまうんです」


 ウェルトと交わした約束。

 墓の前で誓った追いつく、追い抜くという目標。

 今のリードが生きる意味。

 それら全てを失ってしまうことになる。


「そうなってしまったら、僕は一生笑えない」

「お願いリードくん。行かないで……。友達もリードくんも失うなんて嫌なの」


 ハンナは涙を流しながらリードに訴えかける。

 短い関りだとしてもハンナにとってリードは仲良くなった冒険者。リードにとってもハンナは自分を想ってくれるかけがえのない存在。

 だが、リードはゆっくりとハンナを引きはがした。


「ごめんなさい、ハンナさん」

「……何もできずに死ぬだけかもしれないんだよ?」

「もしそうだとしても、僕は行かなければいけないんです」


 誰のせいでもなく、他ならぬ自分のエゴのために。


「行かないならえっちなことでも何でもするっていっても?」

「それは、凄く魅力的ですけど、そんなことをしたら僕は一生後悔し続けちゃいます」

「そっか……」

「ごめんなさい」

「……許さない」


 どれだけ最低なことをしているのか自覚のあるリードは謝ることしかできない。

 戻ったらユリアにも叱られるだろう。そこでもきっと謝ることしかできないのだろう。


「もしも、ユリアさんもリルさんもラビさんも連れて帰ったら、許してくれますか?」

「……お守りにこれを持っていって。これを無事に返してくれたら許してあげる」


 指輪のようなリングが通されたネックレスをリードにかけた。


「では、行ってきますね」

「無事に帰ってきてね」


 その言葉に、リードは返事をしなかった。

 ハンナは手で顔を覆い静かに嗚咽を漏らした。


『マスター、無茶です。勝てるわけがありません!』

「そうだね、僕もそう思ってる」

『ならどうして……!』


 リードの脳裏に浮かぶのは他でもないウェルトの言葉。


——いいかい? 君は、君の異能を否定しなければいけない時が何度もくる。だけど最も重要なのは、たった一回だ。一回だけ間違えなければいい


 多分、これはたった一回の選択ではないだろう。

 だけど多分これが、ウェラリーを否定する最初の一回。


「正直今にも逆方向に逃げ出したいしハンナさんの誘いにも乗りたかったけど、もしもそれを選んでいたら僕は一生後悔することになるから」


 もしもここで逃げてしまったら、あの人に、ウェルトに追いつくことは一生できない。

 今も昔も割らない逃げ続けるだけの自分を変えることができないならば、もういっそここで死んでしまった方がマシだ。


「こんな人間がマスターでごめんね。僕が死んだら、ウェラリーも消滅するのかな……」

『……私はマスターの意志を尊重しますよ。マスターは死にませんし死なせません』

「そっか。頼りにしてるよ」


 きっと怒られるだろう、叱られるだろう、怒鳴られるだろう。

 失望されるかもしれない、殴られるかもしれない、罵られるかもしれない。

 だけど、リードは走り続けた。

 救われる側から救う側に行くために。

 助けられる側から助ける側になるために。

 守られるだけの弱者ではなくなるために。

 一歩を踏み出すために。


「……ハンナ」

「ねぇシルカ」

「どうしたの?」

「どうして私には戦う力が無いのかなぁ」


 冒険者と受付嬢の繋がりは太いように見えて限りなく細い。

 冒険者は突然現れたと思いきや風のように去っていく。

 その去り方の大半は、生き急いだせいでモンスターに殺されること。

 自分が担当する冒険者が引退するまで無事な可能性の方が低い。

 冒険者が最後を共にするのはほとんどが冒険者で、受付嬢は無事を祈って待つことしかできない。

 ある日突然、帰ってこなくなったことで初めて冒険者の死を知ることになる。

 それなのに。


「どうして、リードくんを行かせちゃったのかな……」


 十中八九死ぬと分かっていかせてしまった。

 その後悔が胸いっぱいに広がって涙となって溢れてくる。


「そんなの決まってるじゃない」


 ハンナを抱き止めながらシルカは言う。


「だって、彼らは、冒険者なんだから」


 冒険をしない冒険者なんて格好悪いだろう?

 待って待って、ひたすら待ち続けてやればいい。


「待つことしかできないんじゃない。待つのが仕事なのよ」


 冒険者は、待っていてくれる人がいるだけで頑張れるのだから。

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