第47話 終 貴女に届ける英雄譚

——……ド! ……ド…………して……さい!

 

『リード様! 返事をしてください! マスターは、こんなところで終わるような人ではないんです!』

 

 必死で呼びかけるウェラリーの声が聞こえる。

 目を開けると——息ができない!?

 

「——ガフッ! けほっ、けほっ、けほっ! はぁ、はぁ、ッ!? いつつ……。【ヒール】、【ヒール】。ウェラリー、僕は、どれくらい気を、失ってた?」

 

『凡そ数分です。流された先で運よく、岸に引っかかりました。大鬼が追ってくるまでしばらく時間があります。逃げましょう、マスター!』

 

 大分流されたようで、確かに大鬼の姿は見えない。

 しかし遠くから木々を薙ぎ倒すような音がどんどん近づいてくる。

 確かに、今なら大鬼からも逃げ出せるかもしれない。いや、破砕王のローブを着たリードならば確実に逃げ切ることが可能だろう。

 だが。

 

「僕は、逃げない」

 

 その選択を選ばない。

 

『どうしてですか!? マスターが大鬼を倒さなくてもユリア様たちは逃げられます! もうマスターが戦う意味はありません!』

 

 大鬼はリードに留めを差すためにこちらへと向かっている。

 ユリア達のことなど既に眼中にないだろうし一度見逃した相手を再び追いかけるようなことはしないだろう。

 それでも戦う理由を何故、と問われてリードはたった一言。

 

「ウェルトさんに会ったから」

 

 それだけ答えて、両方の足でしっかりと立ち上がった。

 

『なっ……! どういうことですか!? 彼女はもう——』

「——グルアアァァァァッッ!」

 

 大鬼の叫び声が聞こえる。

 それと同時に、大鬼が姿を現した。

 先ほどまでは怯えていた、地面を震わせるような大絶叫。

 だけどもう、リードの中に恐怖心なんてものは存在していなかった。

 あるのは純粋な闘志のみ。

 目の前の運命を倒すこと、それだけがリードの脳内を占めていた。

 大鬼は咆える。

 獰猛に本能に従って、リード一人を殺すためだけに牙を剝いた。


『無茶です! マスターの身体はもう限界です! 戦えるような身体ではないんです!』


 血が足りない、体力も足りない、ついでに言うと服だってローブ以外弾け飛んでいる。

 それでも、今にも倒れそうな足取りでも、リードはたった一言。


「大丈夫」

 

 そう言って一歩踏み出した。

 

「ウェルトさん、力を貸してください」

『一体何を……』


 ウェラリーが訝しげにリードを窺う。

 深く、深呼吸。

 遠くから近づいてくる大鬼を見据えてリードは、その言葉を唱えた。


「【ライブラリ、検索サーチ、H3893406】」

『何を言って——ッッ!? これは、この機能は一体何ですか!?』

 

 リードの身体から魔力が溢れ出る。

 

「これは、ウェルトさんからの大切な贈り物。さあ、続けるよ」


 リードは簡潔に答える。

 ウェラリーが驚愕しているのが伝わってくるが、細かく説明するほど多くの時間は残されていない。

 

「合言葉は、【私の英雄】。インストール申請!」

『しょ、書籍コードと合言葉を照合! 特定の書籍が検出されました! 申請理由を!』

 

 申請理由は、決められていない。

 思いを叫べとウェルトは言っていた。

 だから——


「大鬼に勝つために。倒すために。……違う」

 

 リードの想いはその程度ではない。

 

「運命を乗り越えるために! 英雄になって、僕のため・・に生きてくれたウェルトさんに誇れる自分であるために!」

『申請許可! ッッ!? スキル書【プロッシモ流剣術】をインストールします! スキル書って何ですかッッ!?』

 

 リードの目の前に白銀の光が集まり、次第に一冊の本を形作る。

 温かく、そして優しい白銀の光から感じるのは、力強いウェルトの魔力。

 ウェラリーは【世界図書館ワールド・ライブラリ】の司書。

 ウェラリーが知らない本をリードが知るはずがない。

 だけど、

 

「こんな方法でなんて。やっぱりウェルトさんは凄いよ」

 

 知らずとも伝わった。

 これは、魔導書と似て異なる、ウェルトが新しく作り出した概念。

 リードはスキル書に魔力を注ぎ込む。

 

「ぐっ……ガッ――はぁ、はぁ」

『なっ、何なんですかこれは!?』

「スキル書は、魔導書の技能バージョン。僕は今、ウェルトさんの剣術を身に付けることができたんだ」


 全部じゃないけどね、と付け加える。

 

『そんな無茶苦茶なことが——ッッ!』

 

 無いと言い切ることはできなかった。

 ウェラリーが言う滅茶苦茶が今、リードの中で実際に起きているのだから。

 リードの中で剣を振るうための知識、技術が突如芽生えたことをウェラリー自身が確認してしまったのだから。

 全ての本の司書をしていながら、知らない本が存在していた事実がたまらなく悔しい。だが、それ以上に。

 

『勝てます! これなら勝てますよ! マスター!』

 

 大鬼に勝てる、その希望が勝った。

 

「さあ行くよ、ウェラリー。これで決着を付ける!」

 

「——グルアアァァァァッッ!」

 

 大鬼が走り出す。

 リードはトップスピードで、駆け出した。


「す、ぅ————」

 

 限界まで息を吐きながら、リードは剣を鞘に仕舞った・・・・

 集中力を最大まで高めた極限状態。

 周りの音すら耳に入らなくなっていく中、足に魔力を溜め身体強化をし、更にスピードを上げる。

 破砕王のローブと身体強化の相乗効果。

 足から嫌な音が響いてこようが、鈍い痛みが走ろうが気にしない。そんなものは後から治してしまえばいい。

 リードが繰り出そうとしているものは技。

 型にはまった剣術しか知らなかったリードが初めて繰り出す技は、速度によって切れ味を高めるだけのシンプルな一撃。

 目指す目標は大鬼の首。

 リードが狙うは回復能力も何もかもを無視した急所への必殺の一撃。

 ウェルトはこの技を、朝焼けの如く一瞬の出来事に例えた。

 

「プロッシモ流剣術。『霞桜』!」

 

 キンッ! という音が響いた。

 リードの姿が消えた。

 

「ッッ!? ——ガアアアァァァッッ⁉」

 

 手ごたえは、あった。

 大鬼の首から血が噴き出した。

 普通ならば即死の攻撃。

 だが。

 

(はず、した——!)

 

 大鬼は普通ではない。

 リード自身が早すぎるスピードについていけなかったのかはたまた大鬼の野生の勘なのか、大鬼の首は切断には至らなかった。

 首を避け、肩から袈裟切りにされ千切れかけた腕。それさえも斧の力は大鬼を回復させる。

 それでも、これまでで与えられた傷の中で一番の深手。

 右腕が千切れかけたからなのか、回復は遅い。

 だが。

 

「っ、ぐああああっ! ——ヒ、【ヒール】! はぁ、はぁ、はぁ」


 リードの足も無事では済まなかった。

 一度技を放つだけで粉々になるほどの負荷。

 リードは既に心身ともに限界だ。できれば一度で決めたかったが、大鬼は未だに健在。

 寿命が切れることもなく、回復し終えた身体でリードを睨みつけ斧を振るう。

 数度脚に【ヒール】をかけ、フラフラと立ち上がり斧を受け流す。

  

「ぐっ——! これで一番下、かよッ!」

 

『これが、ウェルト・プロッシモ……!』

 

 これほどの代償を払って発動させた技は、ウェルトの技の中で最も弱い。

 だが、リードの実力では『霞桜』一つ発動させるのが限界だった。

 

「は、はは。これが、ウェルトさんとの、差」

 

 その差があまりにも遠すぎて笑いが込み上げてくる。

 

——リードくん、大丈夫かい?

——遅くなったね、リードくん

——ふぅ、危ないところだったよ

 

 思い返してみればウェルトが助けてくれる時、現れるのはいつも突然で、モンスターもモンスター自身が気がつかぬまま切られ死んでいた。

 きっとあれは全て、『霞桜』だったのだろう。

 

「やっぱり、凄いなぁ」

 

 技一つ繰り出すだけで近づくどころか更に遠く感じる彼女との差。

 今なら分かる。

 ウェルトはリードにウェルトの剣術を教えていなかったのではない。教えることができなかったのだ。

 単純に見えて緻密に計算された技。

 簡単に見えて多大な負荷がかかる技術。

 彼女がどれほどの領域に、どれほどの高みにいたのかは分からない。

 それでも。

 

「僕は、ウェルトさんを越えてみせる」

 

 目標が遠くなっても変わらないその想いを言葉にし、誓いを胸に刻み込む。

 襲い掛かってきた大鬼の拳を躱し蹴りを往なし斧を受け流しながら、彼女に追いつくための最初の一歩を踏み出そうとする。

 

『マスター、後2回が限界です。3回目を発動すれば、マスターの脚は過大負荷によって自由に動かすことができなくなります!』

 

 要は、回復のし過ぎ。

 短い時間に負傷と回復を繰り返しすぎたことによる回復過多オーバーヒール

 だが。

 

「まだ、二回もあるじゃないか」

 

 少し前まではダメージを与えることすら敵わなかった。

 でも今は、決めれば必殺の一撃が二度も使える。

 ならば勝機はあると、リードは嗤った。

 ウェラリーも、もう逃げようだなんて言わなかった。

 

「壁は、高い」

 

 剣も技術も最上級。

 足りないものはリードの身体能力。

 だがそれも、魔道具によって一時的に補える。

 それでも、それでも尚。

 目の前の壁は未だにそびえたったまま。

 

「だけど」

 

 大鬼は隙を作らない。

 首と腕を守るように立ち回り、しかし攻撃の手は緩まない。

 ウェルトが息をするように使っていた『霞桜』。

 原理が分かっても、使い方が分かったとしても、リードはまだその域には至れない。

 発動させるには数瞬だけ致命的な隙を晒すこととなる。

 大鬼はそれを狙っていた。

 戦いは完全に膠着状態。

 このままでは『霞桜』を撃つ前にリード自身に限界が訪れてしまう。

 だから、リードは敢えて。

 

「プロッシモ流剣術」

 

 剣を鞘にしまった。

 

『マスター何を!? ッッ!』

 

 突如現れた致命的な隙。

 それを見逃す大鬼ではない。

 漸く終わる戦いに大鬼はニィっと口角を吊り上げる。

 この一撃で決めるためか、戦闘を繰り広げたリードに敬意を表してか、大鬼は斧を大きく振りかぶりリードに向かって叩きつけた。

 だが。

 

「【ウィンド・ストーム】!」

 

 リードの手には剣も鞘も握られていなかった。

 斧は空を切り地面に突き刺さる。

 斧に合わせて下がる頭。

 突如現れた大鬼の致命的な隙。

 直後、虚空から剣が現れる。

 

「プロッシモ流剣術!」

 

 意識を集中させ、最大まで高めた極限状態。

 大鬼も、ウェルトですら忘れていた【亜空間庫イベントリ】。

 プロッシモ流剣術には含まれない、リードが戦闘で身に付けた駆け引きフェイント

 大鬼はそれに引っかかった、ただそれだけだ。

 狙うは大鬼の首。

 一人の英雄は必殺の技を、繰り出した。

 

「『霞桜』!」

 

 それでも尚、

 

『そんな——これを避けるのですか!?』

 

 壁は崩れない。

 大鬼は斧から手を離し、身体をのけぞらせ必殺を回避した。

 大鬼は瞬時に学習したのだ。

 リードが繰り出した駆け引きを。

 だから、隙を見せたら必ず『霞桜』を使うということに賭けたのだ。

 だが。

 

「プロッシモ流剣術!」

 

 リードは構えた。

 ウェラリーは気がついた。

 

『マスター、貴方という人は——!』

 

 リードは大鬼を信じていた。

 大鬼がリードが『霞桜』を使うことに賭けたように、リードも大鬼が必ずこの必殺を避けると信じていたのだ。

 リードが越えるべき壁は、聳え立つ高い目標は、打ち破るべき運命は、こんなものでは越えられないのだと。

 フェイントにフェイントを重ねた先の本命。

 リードの魔力が、その脚に収束する。

 ウェルトは勝てるとは言わなかった。

 ウェルトは負けるとは言わなかった。

 代わりに、

 

「『霞桜』——二連ッッ!」

 

 勝てと行った。

 

「——ガッ、ァ」

 

 大鬼の首がずれ落ちる。

 血が噴き出し、辺りを赤に染め上げる。

 手に斧は無い。

 回復も、しない。

 重量感のある音を立てて、大鬼の身体は倒れた。

 

「か、った……?」

 

 ただ一言、呆然と呟く。

 壁を、運命を越えることができた。

 その実感が徐々に湧き上がってきて、脚のことも忘れて飛び跳ねる。

 

「勝った……! ウェラリー! 勝ったよ! ——いてててて……。【ヒール】」

 

『ウェラリーは感動しました! 『霞桜』が避けられた時は終わりかと思いましたがまさかあれがフェイントだったなんて! マスターはいつの間に駆け引きを覚えたのですか! あ、それと【ヒール】は念のため今日はもう使用しないでください!』

 

 これ以上の【ヒール】は毒になる可能性が高い。

 後遺症などが残ることはないが、数日は動くことができないだろう。

 

「何となく、あいつは必ず避けるって予感がしたんだ。あの大鬼に通じた二発目の攻撃は無かったからさ」

 

『その勘は、大切にしてください。少なくとも私は避けられるとは思っていませんでした。さあさ忘れないうちに大鬼と斧を回収しちゃいましょう!』

 

「正直もうへとへとだよ。今すぐにでも眠れそう」

 

 破砕王のローブを脱いで【亜空間庫イベントリ】に収納する。次いで大鬼の斧を収納。

 

『うわぁ。マスター、これ片手斧って書いてありますよ。こんなもの振り回せる人なんているんでしょうか?』

 

 大きすぎて気がつかなかったが持ち手が短い。

 片方ならまだしも、この斧は大鬼が振り回していた物とリードが収納していた物の二本セットだ。

 余程の怪力でない限り使いこなすことは不可能だろう。

 回復に寿命が使われるのは生命力が極限まで使われてからだ。生命力は回復するのだから途中まではデメリットなどあってないようなもの。

 リードの破砕王のローブと同じように、上手く使えばデメリット無しで使えるだけに勿体ない。

 

「僕はこの剣以外使うつもりは無いし、まぁいつか斧を使えそうな仲間ができたらあげることにするよ」

 

『さて、最後は大鬼ですね! 大鬼自体はあまり高く売れるようなモンスターではありませんが、この大鬼は希少種です! 希少種の角はかなり価値があるそうですよ!』

 

「じゃあ今日——はきつそうだから回復したらユリアさん達も呼んでパーティーだね!」

 

 リード自身お金に余裕があるわけではないが、一度くらいは豪遊しても構わないだろう。

 これほどの激闘を越えたのだ。

 むしろ祝勝会くらいせずにいつ騒ぐのだという話だ。

 そんなことを考えながら、大鬼に触れようとして——

 

「よし、これで最後……ぇ?」

 

 グラリと視界が揺れる。

 何かが流れ込んでくるような感覚に襲われ、意識が一気に遠くなる。

 

『あぁっ! 申し訳ありませんマスター! あれほどの戦闘を繰り広げて魂の位階が上がらないはずがありませんでした……!』

 

「そんなの、想定外だ、よ……」

 

 まずい、と思いつつも既に限界を超えた体は耐えられない。

 辛うじて大鬼を収納した直後、前のめりに倒れていく。

 意識が飛ぶ直前、リードが最期に見たものは、大量の水だった。

 ジャボンッ!

 

『マスターッ! レ、レベルアップおめでとうございます!』

 

 リードは、凄い勢いで川に流されていった。

 斧も大鬼も収納され、森に残ったのは激しい戦闘痕だけだった。

 大鬼とリードの戦いの結果を知るのはリードとウェラリー、それと木陰に隠れる三つの影の持ち主のみだった。

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