第36話 現実

 希望、疑問、困惑。

 様々な意識が渦巻く。


「ど、どうして……」

「リードくんに出した試験を見守るためにみんなで遠くから見てたんすよ。したら大鬼オーガがいきなり現れたもんっすから急いで駆けつけたってわけっすよっと!」


 リードに答えたのはラビ。

 だけどその表情はいつもと違って真剣そのもの。両手に構えた短剣で大鬼オーガに一歩的に攻撃を仕掛けている。

 大鬼オーガは先ほどの【閃光フラッシュ】によってまだ目が見えていないようだ。


「ん。間に合ってよかった【火槍ファイアランス】」


 ユリアたちから一歩下がる位置にリルが立っていた。

 リルはいつものように淡々としゃべりながら、時折魔法を大鬼オーガに浴びせている。


「そうよ。でもまさか大鬼オーガが出るとは思わなかったわ。よく耐えたわね」

『申し訳ありません。後ろに石があると予測することができませんでした』

(ウェラリーは悪くないよ。もし励ましてくれなかったら僕はとっくに……)


 とっくに殺されていた。

 心が折れていようがなかろうが、ウェラリーの指示なしでは生きていられなかっただろう。

 文字通り身も心もボロボロの状態で、リードは震える足で何とか立ち上がった。


「僕は、何をすればいいですか?」

「そうね……。今すぐ逃げなさい」

「え?」


 今、ユリアは何と言った?

 逃げて?

 聞き間違いではないのか?


「あら、聞こえなかったかしら? 今すぐここから離れなさいって言ってるのっ!」


 ユリアも大鬼オーガへの攻撃に加わる。

 視覚が戻りつつあるようで、ラビだけでは抑えきれなくなってきたのだ。


「なっ……。ど、どうしてですか⁉」

「ん。足も震えっぱなし。剣を持つ手も覚束ない。そんな逃げ腰で一体何ができる

の?」


 リルが言うのは明らかな正論。

 大鬼オーガは格上で、リードが適う相手ではない。本来大鬼オーガの出現すら異常事態イレギュラー。出会ってリードが生きているだけで奇跡。

 今も身体中が泣き叫びたいくらい痛いし、手に持つ剣先すら定まっていない。

 心はぽっきりと折れたままで今すぐ逃げ出したい気持ちが心に満ちている。

 でも、それでも……。


「でも! 遠距離から魔法を打つくらいならできます!」

「はっきり言わなきゃ分からない? リードは足手まとい。魔法使いは私で充分」

「ッッ……」

「分かったらとっととギルドに戻って」


 リルの本物の気迫に気圧されて足が一歩下がる。

 生まれる迷い。

 戸惑う意識。

 逡巡する。

 そこに大鬼オーガに一通りダメージを与えたユリアが戻ってきた。


「リル、言葉が足りないわよ。全く……。リードくん、思い出しなさい。貴方の受けたクエストは何? 採取依頼とビッグボアの討伐依頼よ。大鬼オーガとの戦闘はクエスト内容には含まれていないわ」


「そ、それは……」

「違うとは言わせないわよ。精々森に起きた異常を見つけて報告するところまでが貴方のやるべきこと。戦うのはリードくんを守る義務がある私たちの仕事よ。だから、今すぐギルドに戻って報告に言ってちょうだい。私たちが大鬼オーガの変異種と戦闘中と。この場合、ビッグボアは大鬼オーガに殺されていたのだから討伐扱いになるわ。あと、この危険に首を突っ込んだことは減点よ。でも生きて帰ることができた時点で冒険者としては合格。先に言っておくわ。合格おめでとう」

「……どうして、今そんな説明をするんですか」


 リードの問いを無視してユリアは続ける。


「それと、リードくんは信用できる仲間を、自分の異能を明かしていいと思えるような人を見つけてパーティを組みなさい。最後に、絶対に死なないで。無様でもカッコ悪くても、見苦しく逃げたとしても、生きていれば何度だってやり直せるのだから」

「なんで、最後なんて言うんですか……?」

「いつか、君がたどった道の記憶に私たちが忘れられずに残っていたら、嬉しいわ」


 そんなことを、ユリアは笑顔で言った。

 声が震える。

 そんな可能性、信じたくない。

 似たような光景を見たことがある。

 あの日、リードがウェルトを失った日、彼女との最後の記憶。


——だけど最後に、これだけは忘れないで欲しい。誰が言おうと君は私の唯一の弟子だ。そして、大切な息子だ。君は私の宝物だ。だから、笑顔で見送ってくれよ。そんなに、泣きそうな顔をしないでくれよ


 彼女の笑顔が、ユリアの笑顔に重なる。


——また僕は何もできずに大切な人を失うのか?

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