第35話 緋色


「ぐぅっ⁉」


 状況を把握しきる前に何かに当たって吹き飛ばされて、尻もちをついた。

 直後、何かが倒れる音が響く。


「な、何が——斧⁉」


 リードが先ほどまで身を隠していた木が切り倒され、その近くに一本の灰色の斧が突き刺さっている。

——まさかあれを投げたのか?

 反射的に斧に手を当て【亜空間庫イベントリ】に収納した直後、ウェラリーの声が脳内に響いた。


『それは危険です、マスター! 剣を前へ!』

「なっ⁉」


 大鬼オーガはリードが投げつけられた斧に気を取られている間に接近し、もう一本の斧を叩きつけた。

 ギンッッ! と金属が打ち合う音が響く。

 すんでのところで割り込ませることに成功した剣。だけどいつものように切れたりはせず、斧相手に刃こぼれ一つおこせていなかった。

 武器の頑丈さはほぼ互角。勝負を決したのは単純な腕力の差。

 リードは為す術なく吹き飛ばされた。


「くっ……がっっ⁉」


 吹き飛ばされたリードはそのまま木に叩きつけられる。

 背中を強打され、呼吸が一瞬止まる。肺から空気が抜け、目が見開かれた。


「——ガアアアァァァッッ!」

「ひっ!」


 斧を片手に迫る巨体。

 足が竦む。剣を持つ手が震える。戦意が音を立てて崩れ去る。

 リードの口から情けない悲鳴が漏れた。


『右へ! 止まらないでください!』

「う、わあああっ!」


 ピリッとした痛み。おのが頬を掠った。

——怖い


『後ろへ飛んでください!』

「くっっ!」


 胸当てが抵抗もなく切り落とされた。

——怖い


『間に合いませんっ! 剣を!』

「ギッッ!」


 宙を舞う。

——怖い

 吹き飛ばされそのまま地面を転がる。

——痛い

 ゆっくりと、リードへと近づいてくる大鬼オーガ。その目は弱者を狩る捕食者の目をしていた。

 少しでも逃げようと足掻く、藻掻く。

 震える足を手を必死に動かして少しでも距離を取る。


『立ち上がってください、マスター!』

「……っ、ぁぁ……」


——無理だ。勝てない。動けない。


『生き残ってください、マスター!』

「ぅ、ぁ……」


——無理だ。彼女がいない。守ってくれるウェルトさんがいない。


『こんなところで死んでいいんですか⁉』

「……」


——良くない。まだ終われない。


『最強になるんじゃなかったんですか⁉』

「ッッ⁉」


 消えていた蝋燭に小さな火がついた。

 震える足を奮い立たせて小鹿のように立ち上がった。

——まだ死ねない!


『右へ避けてください!』

「ふっ!」

『後ろへ!』


 格好悪くても無様でも、生きていればやり直せる。

 避け続けられる限り死なない。先に諦めた方の負け。

 なのに、

 後ろにとんだリードの足は、

 倒木に引っかかって、

 呆気なく転んだ。


(ぁぁ——)


——死んだ

 リードはそう思った。

——仕留めた

 大鬼オーガはそう思った。


『そんなっ⁉ 後ろ、いえ! 左——じゃ間に合わない! ッッ! 目を瞑ってください、マスター!』


 咄嗟に目を瞑る。

 ようやくついた蝋燭の火が静かに消えた気がした。

 恐怖が身体を硬直させ絶望が心を支配する。

 だけど、視界が閉ざされたリードが捉えたのは血の味と血の味と——鈴を鳴らすような心地よい声。


「【閃光フラッシュ】。ユリア、今!」

「——ガアアアァァァッッ⁉」

「ふっ!」

「ガァッッ⁉」


 小さいけれど心強い声が聞こえ、その直後に大鬼オーガの苦しむ声が聞こえてきた。


「遅れてごめんなさい。リードくん、無事かしら?」


 そんな声が聞こえてきてリードは目を開く。

 リードの目に映ったのは白銀ではなかった。だけど、この一週間で聞きなれた声。風に靡く紺色の髪。

 そう、彼女は。


「ユリア、さん……?」

 

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