44 こういう所が。
アルバイトの帰り、私は並木道を走っていた。
……早く行かないと、閉まっちゃう。
私は焦っていた。
その焦りは妙な胸騒ぎと共に日々増長している。
もう時間がない。
あの子と出会ってから約半年が経っていたのだ。
大切にされている雰囲気があるし、きっと看板犬になるのだろう。
そう思っていた。
そんなことを思っていたある日、テレビの特番であることを見てしまった。
それは、売れ残りのペットを待つ運命の話。
“商品”と生まれた動物を待つ過酷な話のことを……。
私はそれを知った時、かなり慌てた。
同時に自分の無知を責めた。
どうして早く気づかなかったのだろうと。
もう少し早く気がついていれば、なんとか出来たかもしれないのに……。
だってあの子は、ずっとあそこにいる。
いつ、テレビのような運命を辿るかわからない。
だから……私はこの子を助けたかった。
疲れていた私の支えとなった、この子を。
でも、簡単には救えない。
世話をするにはそれだけ費用がかかる。
ただ、購入して終わりではない。
元値よりは安くなったとはいえ、安く見積もっても十万はかかる。
そんなお金、高校生の私にはすぐ用意できるわけがなかった。
でも、いつになるかわからない運命を防ぐために、急いで飼えるだけのお金を集める必要があった。
日々の生活費を切り詰めても足りるものではない。
早急に集めるには、もっとバイトをしなければならなかった。
でもそんな時、紅葉がアルバイトに誘ってくれたのだ。
私には一筋の光明が見えた気がした。
もしかしたら間に合うかもしれないと……。
バイト終わりは、いつもあの子の様子を見に行った。
まだあの子が残っているかどうかを。
売れていたら、それはそれでよかった。
もし、相変わらず売れていないなら、私が買うまで待ってて欲しい。
今日はそれを言うつもりだった。
そう思って私はとにかく急いだ。
なのに――
「嘘……よね」
今日、店の前に着いた私に待っていたのは——残酷な結果だった。
つい先日まで、あの子がいたショーケースには別の子犬が入っていたのだ。
あの子がいた痕跡をカケラも残さずに……。
そう、私は間に合わなかった。
「ごめんね……。ごめんね、間に合わなかったよ……私」
私はその場でしゃがみ込む。
目から大粒の涙が溢れ落ちていた。
辛かった時期に、勇気をくれたあの子を。
泣きたい時に、癒しをくれたあの子を。
本当にごめ——
“わんっ!”
不意に私の耳へ、あの子が吠える声が届いた……気がした。
辛すぎて、幻聴でも聞こえたのだろうか。
私は自嘲気味に笑う。
そして、恐る恐る声のする方向を向くと——影が差し込み、犬が私に飛び掛かる寸前だった。
「きゃっ!? え、な、何!?」
私は避け切れず尻餅をつく。
口からは、ちょっとだけ高めの恥ずかしい悲鳴が出ていた。
「どういうこと? 痛いんだけど……」
そう、文句を口にした私の手に何やら温かい感覚がある。
私はそれを確かめるように手を見ると、あの子が私の手をペロペロと舐めていた。
どう……して?
あの子を見た私は驚きのあまり、声が出なかった。
それも無理もないこと、間に合わなかったと諦めていた……私が買おうとしていたその犬が……目の前にいたのだから。
「いや〜、こいつが潤んだ瞳で見るからさ。なんつーか、断り切れなくて、つい買ってしまったんだよ」
王子様演技をしていない。
聴き慣れた裏で見せる彼の声が、私の耳に届く。
私に演技だとわかるぐらいの、わざとらしい喋り方だ。
「篠宮くん。嘘でしょ……なんで?」
「なんでって……まぁ、衝動買いだよ」
「衝動買いで買うものじゃ……」
「いやいや〜、買い物ってそういうもんだぞ。ほら、無性にカップ焼きそばを食べたくなると同じだ」
「それと、犬を買うことは一緒にならないでしょ……」
私のツッコミに対して頭をぽりぽりと掻き、何やら悩んだ素振りを見せる。
それから「あ」と少し間抜けな声を漏らすと、大根役者っぷりを出し始めた。
「あーでもやってしまった! 俺の家ってペット禁止だったんだ……。いや〜マジで困った。誰かいないかなぁ〜、こんな残念な相手じゃなくて、ちゃんと世話をしてくれる人がどこかにいないかなぁ〜」
あなたの家、戸建てなのに……。
ペット禁止って……。
嘘も嘘。
大嘘だ。
アドリブが上手いのに、なんでこういうのは下手なのよ。
「ふふ……バカだなぁ、ほんと」
思わず笑ってしまった。
大袈裟に身振り手振りする彼を見て、思わず笑みが溢れたのだ。
私が篠宮くんを見ると、気まずそうに私から視線を逸らし、それから恥ずかしそうに頰を染める。
紅の時とはまるで違うその様子が……なんだか、可愛らしく見えた。
「それなら……私が貰ってあげるわよ」
『ありがとう』のひとつも言えばいいのに、私から出たのは可愛げのない言葉だった。
だけど、これでいい。
彼はわざと押し付けがましくやっているのだから。
恩を感じないようにさせようとした配慮なのだろう。
だったら、私が返答するのが正しい。
そして、私が同じような立場になった時に何食わぬ顔で手伝えばいい。
私と篠宮くんは協力関係。
あくまで契約によって成り立つ関係なのだから……。
「おお〜! それは助かる!! 流石は慈愛に満ちた天使様だ〜。やることが憎いね〜」
「何言ってんのよ、全く。でも、よくわかったじゃない……もし、違ったらどうするのよ」
「うん? まぁ……柏木はわかりやすいからな。そこらへんは外さねぇよ」
ニカッと笑い、彼は微笑んだ。
あー、なんで彼はこうなんだろう。
あなたが何を抱えてるのか、私にはわからないけどギリギリなこと、今にも崩れそうな危なっかしさがあることぐらい……馬鹿な私にもわかる。
この前だって自分のことで手一杯で……。
私のことなんて気にかける余裕なんてなかった筈なのに……。
なんで、気づいちゃうのかなぁ。
なんで、わかっちゃうのかなぁ。
ずるいよ、ほんとに……。
どうして、そんなにお人好しになれるのよ。
どうして、あなたはそう出来るのよ。
そんなあなたを——私は知りたい。
脳裏をそんな思いが過った時。
とくんとくんと……。
私の心臓が音を立て跳ねた気がした。
『応援してくれますか?』
私は、そう朱里に言われた時、苛立ちを覚えた。
前は、何故だろうって分からなかった。
危なっかしい彼が、放っておけないだけなのだろうと思ったりもした。
言い合いをした後だったから、対抗心を燃やした結果なのだろうとも考えた。
でも……それは違う。
これはまるで——。
あー、そうか……そうなんだ。
でも、その理由がやっと分かった。
こういう所なんだ、こういう所を私は……。
——私、こいつのこと好きになったんだ。
☆あとがき☆
これにて二章終了です。
お読みいただきありがとうございます!
明日、明後日で
『俺はその日、紅になった』
と『弟を紅にしてしまった日。』
を投稿します。
こういう色々と抱えている子たちの恋愛模様を書けたらと思っています!
三章は制作中のため、出来上がり次第の投稿となります。
予定では、朱里が本格参戦してきます!
またお付き合いいただければ幸いです。
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