天使の裏の顔を掴んだら、俺も捕まれていた

紫ユウ

第一章 演じる二人の契約

01 見てはいけないもののを見てしまった。



「……なんでこんなところにいるんだ?」



 篠宮桜士しのみやおうじが彼女――柏木天かしわぎそらを見たのは人気ひとけのない林にある、枯れ井戸の前だった。



 高校二年生となった俺の学校には、形容し難い美しさをもつ少女がいる。

 それが今、俺の視線の先にいる柏木天だ。


 喩え辛いと言っても、周囲の人間はよく“天使”だの、“聖女”だの、“女神”だの……とにかく、純真無垢な存在としての表現で評している。


 その比喩は実際に冗談とも言えず、すらっとした脚に出るところは出ている。彼女を構成している要素全てが、芸術品のような精巧な作りに見えてしまう。


 そんな——見目麗しい美少女なわけだ。



 俺もこの彼女の評価は間違っているとは思えない。

 天使や女神、聖女って言われることだけはあり、誰にでも分け隔てなく接している。

 人が嫌がることも率先して行い、嫌な顔ひとつしない。

 そして性格のみならず、勉強、スポーツにも秀でている超人っぷりとくれば、当然モテるわけで彼女の話を聞かない日はないほどだ。


 色々な噂が流れてくるが、マイナスの話は一切聞かないというのも隙がなさすぎる。


 才色兼備でスポーツ万能、文武両道の権化と言っても過言ではないだろう。


“天は二物を与えず”って言うが、彼女を見ていると嘘だろってツッコミたい気持ちだ。



 だかそんな、美少女が何故こんな場所に?



 井戸の前で佇む彼女。


 ……もしかしたら“貞◯”の生まれ変わり?

 そんな馬鹿みたい考えと、好奇心から俺は咄嗟に木の裏へ姿を隠した。


 こっそりと顔を覗かせ、彼女の様子を窺う。


 風が吹き、彼女の長い黒髪が風に靡く。

 キューティクルが完璧なその髪は、少し離れた所にいる俺から見ても、一本一本がサラサラと見てとれるようだ。



 井戸の淵に捕まる彼女。

 その顔は、憂いを帯びた表情や寂しげな微笑みを浮かべているように見えた。



 ——まさか!?



 脳裏に浮かぶ、考えたくもない嫌な予感。


 そう、こんな人気のない。

 誰も通らないような場所に来る理由——それは考えられる最悪の理由だ。



「何やってんだよ……っ!」



 彼女は、井戸に身を乗り出した。

 それを見た俺は、慌てて彼女の元に駆け寄ろ——




「このぉ……糞ビ◯チーーっ!!」




 ……え?


 天使と評される美少女から発せられた、耳を疑うような言葉に俺は脚を止める。



「断らないからってあのオバさん、なんでも押し付け過ぎなのよ〜っ!! 少しは私のこと考えてよねっ! 可愛い男子やかっこいい男子には、やけに優しいし、そんなんだから四十歳過ぎても独身なのよっ! 化粧も濃い! ついでに香水はつけすぎて臭いぃぃっ!!」



 止まらない愚痴と罵声に、俺の顔は自然と引きつっていく。


 井戸の底に向かって叫んでるせいで、どうやら俺のことに気付いてないみたいだ。


 うん……。

 天使や聖女というのは表の面……。

 いやー、美少女の二面性ってゆうのは怖いね、本当……。


 ——これは見なかったことにしよう。

 その方がお互いに幸せだ。


 まぁ誰しも抱えるものはあるってことで、早々に退散するのが良さそうだなぁ。


 俺は踵を返して、来た道をこっそり戻ろうと脚を進める。


 だが、ここは林の中……。

 気が動転していたせいで、そのことをすっかり忘れていたのだ。


“パキッ”


 枝が折れる音が林に響く。


 ……やべ。

 タイミングが悪かったのは、柏木が不満を叫び終わった後だったのだ。

 そのせいで叫び声により消されることがなく、彼女の耳までその音が届いてしまうのは、必然と言えるだろう。


 俺は恐る恐る彼女の方を振り返る。



「「……………………」」



 真顔で無言。

 なんとも気まずい雰囲気が俺達の間を流れた。



 ——逃げよう。



 そう思った時には、すでに行動していた。

 後ろから、「あ、ちょっと! 待ちなさいよ!!」という声が聞こえ走り音が聞こえる。


 俺は、振り返らずにただただ走った。


 ここで逃げ切れさえすれば、がある。

 だから、脇目をふらずにとにかく脚を動かした。



 林から抜け出した時には、後ろに彼女の姿はなかった。



「この秘密は墓まで持って行くかぁ……」



 関わることのない人間。

 だから、俺が何もしない限り話すことはないだろう。


 この時は、そう思っていた。


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