12 柏木天が演じる理由 後編



「それが頑張る理由ってことか」

「……うん。だから、私はひと枠しかない優良推薦枠を絶対にとらなくちゃいけないの……」



「でも、篠宮君と争いそうだけど」と、気まずそうに頬を掻く。


 確かに演じてる俺と柏木は、成績やその他の点から見ても、候補の筆頭にあがることだろう。

 それは間違いない。


 でも、柏木は一つだけ勘違いしてる。



「俺は大学に行く気がないから、争うことがないぞ」



 そう、俺は大学に進学するつもりはない。

 勉強も必要知識として取り入れてるだけに過ぎないし、大学に行く理由なんて持ち合わせていないのだ。


 それを聞いた柏木がきょとんとして、事態が飲み込めていないのか、何度も目を瞬かせた。



「……本当に?」

「俺はつまらない嘘はつかないよ。ホントのホント」

「そっか……。それ聞いてちょっと安心したぁ。もし、篠宮くんも狙ってたらどうしようと思ってたから」

「まぁ、演じてるのを聞いたら余計にそう思うかもしれないなぁ」

「うん、その通りよ。あなたって成績いいし、みんなからも好かれてるでしょ? 私と似たことをしてるから…………同じものを狙ってるって思ってたの」

「勘違いさせたようで悪かったな。それで無理させてたみたいで……」

「ううん。私が勝手に勘違いしただけだから。篠宮くんは何も悪くないわ。寧ろ悪いのは私……」



 言葉尻に罪悪感が見てとれる。

 特段、俺に悪いことをしているわけではないのに、この反応はなんだ?


 俺は首を傾げ、「どうして悪いと思うんだ?」と彼女に聞くことにした。


 すると柏木は俺を上目遣いで見つめてくる。

 俺を見つめるその瞳は、まるで怒らないでと訴えてくるような……そんな目をしていた。



「あなたを勝手にライバルだと思ってたから……話せなかったのよ……。篠宮くんを知って、余計に勝てないと思っちゃったから……。もし、狙ってるなら出し抜こうと思ってた」

「……なるほどな」

「はは、意地汚いわね。私って」



 眼差しが暗く陰ったかと思うと、自嘲的な笑いがその唇に浮かぶ。

 そして、彼女は俺の顔を見れないのか俯いてしまった。


 素直な性格なんだろう。

 隠し事が苦手で、秘密を共有する俺に特別推薦枠がひと席しかないのを伝えてないことに、ある種の気持ち悪さを感じたのかもしれない。


 でもそっか。

 俺を出し抜くことに後悔……。

 それが意地汚いか。


 俺は頭を掻き、思っている本心をそのまま伝えることにした。



「意地汚いってどこがだ?」

「……え?」



 そう、俺は彼女の中にあった罪悪感という葛藤や、話さないことに対して意地汚いなんて思うことはない。


 何故なら——



「俺だったら、出し抜くために徹底的にやるぞ。狙っている奴がいたら、目の前で実力差を見せつけ、諦めさせるか。わざと関わるようしにして精神的に追い詰めるとかするかもな。仲良くしてから蹴落として、嘲笑うこともするかもしれない。友情って案外脆いし、つけ入る隙はいくらでもあるし」



 俺の言葉に柏木は口をあんぐりと開け、頬が引きつっていた。

 所謂、ドン引きって奴だ。

 無理に表情を作ろうにも、引きすぎて作れないほどらしい。


 いや、確かに自分でも酷いことを言った自覚はあるよ?

 けど、これはあくまで喩えでやるつもりはないと理解して欲しいんだが……。


 そのなんとも言えない視線が痛い!



「……何、引いてんだよ」

「流石に……。そういうやり方は良くないんじゃない?」

「そうか? それなら柏木は優しいってことだな。そう思えるなら、どこも意地汚くなくねぇーよ」

「うん……」

「あのなー、こんな出し抜き程度で精神痛めてたら、モデル活動なんてやってられねぇよ? あっちの方が数倍恐ろしい、蹴落とし合いのサバイバルゲームなんだから」



 俺が普段演じてる場所は、そういう世界。

 蹴落として、有利に立ち回って、没個性でいないようにしなくてはいけない世界。


 俺と紅葉が作る“紅”というキャラの世界だ。


 それに比べれば、なんともない。

 推薦枠を争うなんて、健全じゃないかって思えるよ。


 相変わらずしゅんとした様子の柏木の頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく叩く。

 下を向く彼女に上を向くよう、そう諭すように。



「もし、それで心痛めるようなら最初からやるな。自分を信じて最後まで貫かないと、負けていった奴に対しての冒涜になる。ひと枠を、空いているただ一つを狙うというのはそういうことだ」

「………………」

「だから、最後まで貫けよ。本当にそのひと枠が欲しいのなら」



 柏木は無言で頷き、それから俺を見て微笑を浮かべた。

 まだ迷いがあるものの、少しは楽になったのだろう。さっきまでの暗い雰囲気は霧散していた。


 俺はうーんと、わざとらしく背を伸ばし空気を切り替える。

 それから、柏木の鞄からひょっこりと顔を出している課題に視線を向けた。



「でも優良推薦枠って結構条件が厳しいんだなぁ〜。色々なのが加味されるなら、当然皆勤もだろ? 明日が休日でよかったな」

「でも明日、課題を出さないと……」

「明日って学校休みだよな。それでも持っていくのか?」

「成績下げられると困るし……。こんなところで夢を諦めたくないから……」



 成績に関わる大事な課題。

 正確には、嫌がらせによって出された、本当は評価に入らないもの……。


 けど、心象という評価……つまりは内申点に直結するかもしれない。

 だから、柏木は嫌だけど我慢してやっているだ。


 学校の評定や評価は、社会の縮図と言ってもいい。

 手をコネて、尻尾を振ってご機嫌どりをする。

 そんなことをしなきゃいけない。


 真っ当な人も当然いる。

 だが、人間だからこそのも事実だ。


 今、柏木が遭っているのはそんな社会の理不尽な一面である。

 俺の嫌いな……。


「なぁ、その課題は終わりそうか?」

「終わりそうになくても終わらせる。風邪に負けてらんないし……それに」

「それに?」

「負けっぱなしは悔しいから」



 彼女は努力家だ、それは話しているだけでも伝わってくる。

 当然、言葉だけではなく彼女が持っている物がそれを証明していた。


 家にあるのも、俺の視界に収まる範囲で勉強に関するものばかり。

 使い古された参考書もいくつもある。


 それを見てると、胸が苦しくなり同時に苦いものが口に広がってくるようだ。



「わかった。じゃあ、俺も課題手伝うよ」

「え、でもそこまでしてもらうのは悪いよっ……」

「病人が何言ってんだ。もうこの際、気にすんなよ。とりあえず出された課題を見せてくれ」

「……ありがと。一応……これ」



 柏木から、課題の内容が書かれたメモと完成させた課題の束を渡される。

 ……結構な量だな、これ。



「この英作文でダメだったのか?」

「うん。字と内容が……」



 俺は内容にひと通り目を通してゆく。

 やはり……柏木に落ち度は何もないか、字も綺麗だ。


 決めつけはよくない。

 偏見と決めつけは事実を濁し、人を盲目とさせるから。


 だから、見るまでは結論を出せないでいた……。

 でもこれは――疑うまでもなく確定的だ。


 俺は渡された課題を自分の持っていたファイルに収め、それからにこりと笑う。



「柏木、この課題は俺が出してくるよ。学校に行くし」

「でも……課題を完成させなきゃ、また……」

「問題ねぇよ。とりあえずパソコン関係も任せとけ。これでもタイピングは得意なんだ」

「……本当に?」

「ああ、呼吸並にできるから大船に乗ったつもりで任せてくれ」

「うん……」



 ……これは嘘だ。


 俺はパソコンなんてそんな出来ない。

 ただ、柏木を安心させるために嘘をついた。


 負い目を感じて欲しくない。

 まぁ、この程度の嘘は許されるだろう。



「じゃあ、これは預かるから。今日はゆっくり寝とけよ」

「ありがとね。今日は色々と……」

「おう、気にすんな」



 俺は、なるべく笑みを浮かべるようにして家をでた。

 そして、クリアファイルに入れてある柏木の突き返された課題を眺めながら階段を下りてゆく。


 ……綺麗にやってるのに。

 これを注意されたくはなかったからだろうなぁ。

 文字は均一で整っていて模範と言っていいほど、丁寧に書かれている。

 一つ一つの文章から気を遣っているのが随所に伝わってくるようだ。



 これを見ていると、自分の奥底から沸々と熱いものが込み上げてくる。



 ――俺はこういうの嫌いだ。



 勝負事じゃなくて、立場を利用して貶める……そういう奴を俺は嫌悪する。

 俺は唇を噛み、暗くなった空を見上げた。




「……人の努力を踏みにじるなよ」



 俺は吐き捨てるようにそう呟き、帰路に着いたのだった。

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