13 王子じゃなくて悪魔じゃない
休日の昼下がり、誰もいないこの職員室で優雅に紅茶を飲む。
——これが私の至福の瞬間。
でも、この後のことを考える気が滅入ってしまうわ。
きっと来るのよねぇ~。
目障りで、鼻につく……、全てを持っているような子供が……。
あー、考えただけで胃がムカムカしちゃう。
いくら教育しても響かないし。
まぁでも、私が指導してるお陰で私の評価も上がってるのよねぇ。
早く改心してくれないかしら。
私の教育を受けて、現実をわかってくれればいいのだけど。
――柏木天。
神からの寵愛を一心に受けたような恵まれた子。
そんな子が、優良枠とか更に何かを得ようとしているなんて間違っているわ。
自信過剰で、愛想ばかり振り撒いて……。
何でも引き受けて、嫌な顔もしないなんて……。
きっと、自分が有能で選ばれた人間だと思って調子に乗っているに違いないわ。
そんな傲慢な生徒の思い上がりを正してあげる……それが私の仕事。
社会の厳しさを教えてあげているのだから、これも立派な教育よ。
そう、自負しているわ。
さて、いよいよ来月は昇進の検査もあるし、気合を入れてプレゼンの準備をしなきゃ。
ストレスが溜まるし、今日もあの子に社会の厳しさを——
「失礼します」
透き通るような綺麗な声が私の耳を通過する。
声のする方を向くと、目の合った生徒が丁寧に腰を折り、柔らかい笑みで微笑んだ。
こんな日に来るなんて珍しい……。
いつも、私しかいないし……もしかして会いに来たのかしら?
予期せぬ生徒の登場と期待が、私は胸を高鳴らせる。
「あら、篠宮君どうしたの?」
猫なで声を出し、こっちに来るように手招きした。
流石は私の王子様。
誰に対しても優しくて謙虚で、調子に乗るような行動を一切しない。
芸能関係で休みがちだけど、それを引けら明かすようなことはしないし、調子にも乗っていない。
これが今、一番お気に入りの生徒――篠宮桜士。
彼の完璧さは嫌味がないところがいいわよねぇ。
体が弱いっていうのも、保護欲を掻き立ててきて素敵。
はぁ~、見ているだけで癒されるわ~。
目の保養ね~、何時間でも見てられちゃう!
「遠藤先生。今、お時間いただいても大丈夫ですか?」
「もちろん大丈夫よ。何かしら?」
「ありがとうございます。先生に渡したい物がありまして、こちらです」
見覚えのある課題に自然と頬が引きつるのを感じた。
これは……あの子に出した課題よね。
これをどうして篠宮君が?
考えられる可能性は二つね。
一つは見られていた可能性。
でもこれはあり得ない。
時間も場所も、人が通らない時間帯と場所を選んでいたわ。
万が一を考えて、誰も来ていないことをチェックした筈……けどじゃあ、なんで彼がこれを……。
私は彼が差し出しているファイルに書かれている文字を見る。
そこには彼の名前が書かれていた。
「どうかしましたか?」
私が中々受け取らないこと不思議に思ったのか、きょとんとしていた。
その瞳にはなんも曇りがなく、たた純粋に疑問に思っただけに見える。
考えすぎかもしれないけど、彼女から何か聞いてるかもしれないから探る必要がありそうね。
「どうして篠宮君がこれを?」
「えっと、言うのが恥ずかしいんですけど……」
「気にせず言いなさい」
私は彼の口が滑らかになるように、優しく問いかける。
これで、話してくれればいいんだけど……。
やっぱり言い辛そうね。
「ですが……」
「ここには、他に誰もいないから安心していいわよ。もちろん、誰にも言わないわ」
「ありがとうございます」
篠宮くんは周りをきょろきょろと見渡し、深呼吸をする。
それから小声で話し始めた。
「実は、僕も勉強したかったので、柏木さんに教えてもらって自分でもやってみました。次は学年一位も狙いたいですし、勝ちたいと思っていて……。それに僕も推薦枠を狙ってますから、負けてられなくて……」
彼の話を聞いた途端、頭でモヤモヤと渦巻いていた疑念が消えてゆくのを感じた。
ふふっ、なるほどねぇ。
あのひと枠しかない推薦枠を篠宮くんも狙ってると……。
そうなれば、柏木天が関わっていることはあり得ないわ。
何故なら、毎年推薦枠の争いは勝負相手の蹴落とし合いになるのよ。
誰しもライバルは減らしたいからねぇ〜。
だったらこれは単なる彼の向上心。
そう判断出来るわ……。
あー、いけないいけない。
思わず笑っちゃいそうよ。
こんなにも世の中が上手くいくなんて〜!
篠宮君が目指してくれるなら、嫌いなあの子を落とすことがやりやすくなる。
そうと決まれば、私は篠宮君を全力でサポートするだけねぇ。
そして、彼の信頼とハートをゲットしてあげるわぁ〜。
私は、彼の肩に手を置き笑顔を向ける。
すると、はにかみながら照れ臭そうに頬を掻いた。
あーもうっ!
可愛いわねっ!
「自主的にやるなんて偉いわねぇ」
「いえ、これでも頑張りが足りないぐらいです。今日、来たのは先生が土曜日ならいるかもと聞いていたので……。お忙しいと思いますが、見ていただけますか?」
「えぇ。もちろんいいわよ」
彼から受け取った紙に視線を落とす。
本当に綺麗で丁寧な字、流石は王子様ね。
字からも気品が溢れてくるようだわ。
「篠宮君は本当に丁寧ね~」
「ありがとうございます、先生。でも僕は字に自信がなくて……見えづらい所とかありませんか?」
「とんでもない。誰かさんと違って、すっごく見やすくて最高だわ」
「誰かさんって?」
あ……。
思わず口を滑らしそうになり、私は口を閉じた。
危ない危ない。
名前を出したら、秘密にしてる意味がなくなっちゃうわ。
「ううん。こっちの話よ。それにしても、あなたのは美しいぐらい綺麗ねぇ」
「ふふ。褒めてもらえて嬉しいです。内容も頑張ってみたんですけど……」
「勿論見るわ。ちょっと、時間をもらうわね?」
内容を読んでいく。
文章の使い方、作り、ミスもなく素晴らしい出来だった。
不安そうに私を見る彼に、私はわざとタメを作る。
このタメをすることで不安感を煽り、その後に褒められることで快感が倍になるの。
そして、私に褒められることが中毒になり、病み付きになるわぁ。
私の目論見通り、彼からは焦りの色が見えてくる。
「どうでしたか……?」
「こんなの書けるなんて素晴らしいわ!」
「本当ですか!?」
「ええ、文句なしの満点よ。最高評価あげちゃう」
「やった!」と無邪気に喜ぶ彼を見てると、気持ちが洗われるようだわ。
普段、見せてくれないあどけない表情。
大人びたように見えて、まだまだ子供ってことねぇ。
私だけの表情をいただきっ!
これは脳内に永久保存ね!
「あ、先生すいません。僕としたことが……」
「どうしたの?」と私は首を傾げる。
あれ?
さっきまでの表情は……?
彼から、いつの間にか少年のような笑みが消え失せ、ただ空虚な瞳が私を見つめていた。
さっきまで幸福の絶頂にあった心が、一瞬にして冷え固まるぐらいの雰囲気の違和感が私を包み込んできたようだ……。
「僕、うっかりしてて――間違えて柏木さんのを渡してました」
彼から発せられ言葉を聞いて、私は持っていた紙を床に落としてしまう。
……聞き間違いよね?
私は彼の顔をもう一度見て、聞き返した。
「……聞き間違い?」
「あ、聞こえませんでしたか? 僕、間違って柏木さんの課題を先生に渡しちゃったんですよ」
「え、何で……どうして?」
混乱して思考が追いつかない。
「でも、柏木さんの課題提出は今日までですから、結果的に間に合ったみたいで良かったです。それも文句なしの満点なんて! いや~、僕には真似できないなぁ」
「……………………」
「流石は先生! 慧眼ですね。いいものはいいと偏見なく見ることができるなんて、先生の鏡ですよ。あ、ついでにこっちが僕のです。忙しいと思いますが後日、僕のも見てくれると嬉しいです。受け取って――いただけますか?」
「も、もちろんよ……」
捲し立てるように喋る彼に、いつもの面影はまるでない。
まるでピエロを相手にしているかのように、彼が私を馬鹿にして嘲笑っているように見える。
相変わらずにこやかな笑みを浮かべる彼が、更にニヤリと笑い。
口が弧を描く。
「時に先生。世間話をしてもいいですか?」
「……何でしょうか? 時間がないので手短にお願いします」
「また、いじめ問題が再発してるみたいなんです。生徒間でのトラブルは以前からもありましたが、最近では少し毛色が変わっているようで」
急に話しを始めた内容に、私の脳内が危険を知らせるアラートが鳴り響く。
聞いてはいけない。
ここから逃げなくてはいけない。
そんな予感がするのに、目の前に立つ彼は退路を塞ぐようにしていた。
ダメだ。
これは逃してくれない……。
私は生唾を飲み込み、もう一度彼を見る。
「どういうことかしら?」
「僕が聞いた話ですが、先生から生徒に対しても行われてるようなんです。無駄に課題を多く課したり、意地悪な採点をしたり、自分がやらないといけない仕事を押し付けたり、それから——故意に評価を下げようとしたりと」
もう、誰のことを言ってるか明白だった。
私の動揺を気にすることなく、彼は言葉を連ねてゆく。
「中々に酷いですよね? 僕がそんなことを知ったら許せません」
「許せない場合は……どうするの、かしら……?」
「先生って僕が休んでる理由を、先生だから当然知っていると思いますが……。なので、僕はその手の話題を欲している人に情報提供します」
額から汗が噴き出すように、嫌な汗がだらだらと流れる。
背筋には、まるで刃物を突き立てられたような冷たいモノを感じた。
「そ、そんなことをなんで!?」
「勿論、いじめは少しでも止めるためですよ。話題になれば、多少なりとも現場は動きます。聞き取り調査も行われることでしょうね」
「……そこまでは流石に」
「僕、これでも顔広いんで。歯止めになることを祈って頑張りますよ。びしばしと責任追及をしてみせます」
「やり過ぎはよくないわ……」
反論しようにも言葉が出ない。
いや、彼が次々と喋るせいで反論を許してくれないのだ。
「さっきから先生は止めてばかりですね。いじめは良くないと思わないんですか?」
「思うけど……でも……」
私のどもった迷うような態度。
それを待っていたかのように、彼が私に一歩近づき——
「あの、まさかとは思いますが。もしかして、何か心当たりがあるんですか?」
と、見開いた目を向け、私を見透かすように言ってきた。
言葉が出ない。
私はただ必死に首を左右に振って否定する。
すると彼は数歩下がり、いつものような爽やかな笑みを向けてきた。
「そうですよねっ。先生に限ってそんなことあったら大問題ですし、ないに決まってますよね! 先生の反応で不安になっちゃいましたよー」
「……そうよ」
「ところで、先生。今度昇進をかけた大事な査定があるそうですね。普段の態度や生徒からの心象や評価、成績の伸びとか色々な項目があるとか。正しく判断ができているか……とか」
「それが……何?」
「いえ、何も。ただ、頑張って下さいね。今はまだ応援してますから……」
ここで私を糾弾してこない。
彼の笑みが、何を考えてるかわからず、私の恐怖心をひたすらに煽る。
踵を返し、職員室を彼が出ようとする。
そして、入ってきたと同じように一礼をした。
「では先生、失礼しました。また授業を楽しみにしてます。これからも公平な判断をお願いしますね。……どこに目があるかわかりませんから」
私は机で項垂れ、大きなため息をつく。
これは間違いなく脅迫……。
あの口振りは、間違いなくすべてを知っていた。
逆らえば、どうなるか……子供だから大丈夫と侮れない空気があった。
あのやりとり……演技だなんて微塵も思えなかった。どこまでが本当か、私にはわからない。
でも、これだけは言える。
彼には私の行動が看破されているということ……。
今までの彼はすべて偽り。
すべてからすべてまで……。
夢から覚めた途端、私の方に現実が重くのしかかってきたような気がした。
「何が王子よ。悪魔じゃない……」
私はそう呟き、頭を乱暴に掻き毟る。
気持ち落ち着かせようと飲んだ紅茶は、いつの間にか冷め切っていた。
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