14 何かしたでしょ?
「ねぇ、篠宮くん? どういうことか説明して欲しいだけど?」
今日は休日明けの月曜日。
風邪がすっかり治って元気になった柏木に、俺は呼び出されていた。
勿論、いつも通りの枯れ井戸の前である。
女子に呼び出されるシチュエーションというのは悪くない。
男なら誰しも心躍らせることだろう。
だが、待ち合わせ場所にいる美少女の顔に怒りが張り付いていたら、ドキドキも何もあったもんじゃない。
まぁそれはそれで、ある意味ドキドキするかもしれないが。
生憎、俺は至ってノーマル、ドMという性癖を持ち合わせていない。
「いや~。ここで詰め寄られると、あの日を思い出すなぁ。柏木が俺のことをストーキングしていたことが分かって――」
「勝手に記憶の捏造をしないでくれる!?」
「それからファンだったってことを、カミングアウトされたんだよなぁ~。うんうん、まだひと月も経っていないけど感慨深いものがあるよ」
「あー、たしかにそれは懐かしくあるかも」
「だろ? こういうのを『いとをかし』って言うんだろうなぁ~」
「ふふっ。そうかもしれないわね」
互いに笑顔を交わし、なんとも和やかな空気が――
「話を逸らそうとしても無駄だから」
「えー……」
残念ながら流れることはなかった。
柏木がじとーっとした目で俺を見つめてくる。
「あんたって、話を逸らそうとする時はあからさまなのよっ。そんなんじゃ誤魔化すことなんて不可能」
「別に誤魔化す気はさらさらないんだが。つか……えーっと、その前に何で怒ってんの?」
「……………………」
俺が恍けたように軽口を叩くと、なぜが返答がない。
そのまま次の言葉が続かないので、どうしたのかと見れば柏木は顔を真っ赤にして身体を強張らせたままぷるぷると震えていた。
そして、たっぷり溜めに溜めてから、「そりゃあ怒るわよ~っ!!」と絶叫した。
「なんなのあの先生の変わりようは!? 私に対する接し方が最早別人なんだけど!」
「へぇ~。良かったじゃないか。ずっと煙たがってたわけだし、いい変化だろ?」
「逆に気持ち悪いわよっ!! 前は口を開けばネチネチと嫌味しか言わなかったのに、今日とかは会って早々にべた褒めだし、課題もしっかりと見てくれて丁寧なコメントまでくれるし。体調まで心配もして……なんか普通にいい先生になってるのよ!! おかしくない!?!?」
「”男子三日会わざれば刮目して見よ”って奴だな。人の成長って素晴らしい」
「あの先生、四十歳のおばさんなんだけど!? 今更、人格が百八十度変わる成長なんてある!?!?」
「偏見はよくない。きっとインドに行って人生が変わったんだよ」
「確かにそれで価値観変わる人もいるけどぉ!」
まぁ、人は影響されて変わりやすい。
先生に何があったかは見当がつかないが、変わるキッカケがあったのだろう。
そう納得してもらうしかない。
これで納得してくれれば楽なのだが、残念なことに柏木はこの程度では納得してくれない。
柏木は俺のネクタイを掴むと、頭を下に動かしたらおでこがぶつかりそうな距離まで詰め寄ってきた。
「ねぇ、篠宮くん。お願い、教えてよ……」
柏木は涙声で、下から顔を覗き込むように見つめてきた。
距離が近いせいで、彼女から香る甘い匂いは、やたらと俺の鼻孔を刺激する。
「私、知らないままでいたくない。何かあったなら、ちゃんと恩を返したい……。あなたとは対等な関係でいたいのよ……」
「………………」
「お願い」
彼女の頬を涙が伝う。
はぁ、やめてくれよ。
俺は涙には弱いんだから。
すすり泣く彼女を見て、俺は大きなため息をつく。
泣き落としはせこいって……。
「あーわかったから、泣くな。先に行っておくと、別に大したことしてない。ただ、契約が乱れて余計な面倒を引き起こしたくなかったから行動しただけだから、他意はないからな」
「うん……わかった。嘘は言わないでね?」
「言わない言わない。男に二言はないから……。だからその、いい加減その手を離せ。マジでメンタルにくる」
これ以上、泣かれたら。
そんなことを考えていたら、柏木はあっさり俺のネクタイを放した。
そして背を向けたまま数歩だけ進んだとこで止まり、俺の方を向く。
彼女の顔を見た途端、表情筋に力が入り顔が引きつるのを感じた。
「じゃあ、約束だからねっ! それじゃあ、さっそくだけど話のほうをよろっ」
「嘘泣きかよ……」
「ふふっ。篠宮くんはこうすれば効果があるというのがわかったわ」
「お前なぁ。女の武器を使うのはズルいぞ……」
「女はズルい生き物よ、使えるものは使わないとね~。私なんかの演技に気づかないなんてぇ、篠宮くんもまだまだじゃない?」
「言わせておけば……」
「精進したまえ、この似非王子~」
……はめやがったなぁ。
すっかり忘れていたよ。
こいつも学校では演技している。
ってことは、この程度の演出はお手の物だったっというわけだ。
泣く仕草も、男を挑発するような動作も……。
見破れなかったことが、かなり悔しい。
俺は頭を掻き、嘆息する。
「……決めた。もう意地でも話さねぇ」
「あっ、ちょっと! 男に二言はないんでしょ!?」
俺はカツラを被り、胸にタオルを入れる。
そして即座に声を作った。
「私は今、女ですから。女は基本嘘つきな生き物なのですので……」
「セコイわよっ!! それって屁理屈じゃない!」
「女性はズルい生き物ですよ?」
「それさっきの私が言った……って、あんたは男でしょうが!!」
「文句ばかりですね。怒りすぎると、肌によくありませんよ」
「怒ってない! あ、これってもしかして……話し方は違うけどテレビで聞いたことのある紅の声……?」
「そうですよ。あなたが好きな紅の声です」
「でも紅はもっとクールでカッコよくて……。でも、これはこれで……ちょっと嬉しいかも」
まぁ声だけは紅。
態度や立ち振る舞いは同じ仕事仲間をトレースしている。
本当の紅はクールでさばさばして、カッコよさを追求しているからな。
普段はこんな丁寧なしゃべり方はしない。
そのことに対して柏木は葛藤があるらしい。
さっきから「う~ん」と悩み始めている。
これなら……もう、一押しか。
「良かったら、サインでも書きましょうか?」
「本当に!? やったぁ~!」
目を輝かせて、ぴょんぴょんと跳ねる。
普段の態度からは考えられない、実に無邪気で可愛らしい反応だ。
俺は紙にサインを書いて、それを柏木に手渡した。
「これ、一生大事にするわ!」
「家宝にしてくださいね」
「勿論よっ」
「えへへ~」と、サインを掲げながら嬉しそうに笑う。
もう問い詰めてくるような空気は、消え去ったな。
でも、これでいい。
話したら、柏木は余計に後ろめたさを感じるだろう。
だから俺が何をしたか話す必要はない。
ただの貸した借りた程度にして、そういう風に勘違いしてもらった方が契約関係でいられる。
俺は背を伸ばし、空に向かってふぅと息を吐いた。
「んじゃ、帰るぞー。週初めなのに夜更かししたら明日に響くからな~」
「勝手に行かないでよ。まだ話は途中で――」
「明日にでも話すよ」
「はぁ……。どうせ話す気がないくせに、よく言うわよ……」
「なんのことだか」
煙に巻こうっていう魂胆が見え透いてた。
でも、俺に何を言おうと口を割る気がないことも柏木は理解したのだろう。
「なんか悔しい」とだけ呟いていた。
「じゃあ、篠宮くん。これだけは言わせて」
「うん?」
「助けてくれてありがとう。この恩は絶対に忘れないからっ! 今度、恩義には絶対に報いるから!!」
「お前は武士か」
強い意志が込められたような目に、俺はため息をつく。
もう何言っても聞かないんだろうなぁ。
俺は、ふと夜空を仰いだ。
木々のざわめきの中から、彼女に会ったあの夜、初めて開いた言葉がよみがえってきた。
『私と契約しない?』
この言葉から始まった関係。
でもこれは、まだ序章に過ぎないかもしれない。
そんなこと思ったのだった。
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