閑話 先生が変だった


「はぁ……。行きたくないなぁ」



 私は髪型を整えながら、鏡に写る自分にため息をつく。


 今日は休日明けの月曜日。

 体調は良くなったけど、この後のことを考えると不安なのよね……。


 私は、スマホのアプリに届いているメッセージに視線を落とす。

『先生は快く受け取ったぞ。安心してくれ』

 これが篠宮くんからこの前、届いた内容……。

 そう、私のために……嬉しい。

 嬉しいけど――



「安心できないわよ~っ!!」



 私は頭を抱えて、叫んだ。


 篠宮くんは、あの厚化粧おばさんの性格を知らないのよ!

 表と裏を使い分けて、篠宮くんの男には優しくてきっと彼の目からは、いい先生にしか見れない。


 私に対しての対応も人がいない時間を徹底的に選んでる節があるし……。

 だから、今回みたいに篠宮くんだから素直に受け取ってくれても、私の前では態度が変わるに違いない。



「渡してくれたのは有り難いけど……はぁ。またネチネチと言われるよね……きっと」



 顔に出さないように気を付けないと。

 せっかく、わざわざ届けてくれたのだから……。



「よっし! 頑張ろ」



 私は、頬を両手で何度か叩き気合を入れた。




 ◇◇◇



 案の定、いつも通りの放課後を過ごしていると人が少ない廊下で遠藤先生に会った。

 手には見覚えのある課題が握られている。


 ……頑張れ、私。


 この後に起こることを想像し、体が自然と身構えてしまう。

 私はそれを隠すように、腰を折って頭を下げた。



「ごごご、ご機嫌よう! きゃしわぎさん!」

「えっと、はい。こんにちは?」



 どうしたの先生、めっちゃ噛んでるし。

 それにさっきから、周りをきょろきょろと……。


 私も先生につられて、周りを見渡す。

 全く人の気配はないけど、なんか外が騒がしいような……うわぁ、なんかたくさん鳥が飛んでる。


 私がそんなことを考えていると先生が「まさか目って鳥のこと……? 確かにそれは警戒してなかった」と、驚愕していた。



「先生、今日はどうかしましたか?」



 私がそう声を掛けると、ハッとした様子で窓からこちらに視線を移す。

 そして、手に持った課題を差し出してきた。


 はぁ……。いつも通りやり直しだから、他のを作らないと。

 黙ると怒るし、すぐに謝らないとね。



「この課題を見たわっ!! もうほんとーに素晴らしい出来ねっ!」

「……はい。直ぐにやり直して……ふえ?」



 予想外の褒め言葉に私はきょとんとした。


 いつものように怒られると思っていたから、変な声出ちゃったじゃない!



「どど、どうかしたかしら!? もしかして破けて……。も、もし破けても故意じゃありませんからっ! 誓って本当に!!」

「いえ、破れてませんよ。寧ろ、シワひとつありません」

「良かったぁあ。ガラスで挟んで保存していた甲斐があったわ……」

「ガラス?」

「ううん。こっちの話よ、気にしないで!」



先生は曖昧な笑みを浮かべ、背中にガラスのような物を隠した。

それから、機嫌を窺うような顔になり私を見つめる。



「それより体調は大丈夫かしら? 病院に行って診断書とかを取りには……」

「特に行ってません。もう体調もよくなりましたし」

「精神的なものは、その大丈夫……かしら?」



 精神的なもの?

 確かに疲れてはいたけれど、そこまで病んでいたわけじゃないし……。


 流石に、先生も言い過ぎたと思ったのかな……?


 でも、この先生は裏があるから信用出来ない。

 だから、安易に大丈夫と言って、言質をとられて後々に面倒が起きても困るから——うん、少し濁しといた方が良さそうね。



「まだ疲れはありますが、私の知り合いが良くしてくれましたので少しだけ楽になりました」

「……知り合い?」

「はい。もう至れり尽くせりの心配性で、私のために色々やってくれたんです」



 これで正解な筈。

 篠宮くんの名前は出すべきじゃないし、当然マネージャーさんも出せないわよね……。


 だからこの言い回しでいい筈なんだけど……先生の表情に影あるように見える。


 可能性として考えられるのが、“疲れ”と“精神的”そして“健康上の問題”を盾に……私の内申点アップの動きを妨害してくる。


 これが一番考えられる。

 だったら——その芽を潰さないと。


 私は、先生の目を真っ直ぐに見つめ姿勢を正す。

 何故だか、先生はびっくとして生唾を呑み込んだ。



「問題ありません。いつ何が起きてもいいように、万全の準備をしてますから」

「じゅ、準備ですって!?」

「はい。備えあれば憂いなしですので」

「本当に……嘘とかは?」

「嘘はつきません。証拠もありますけど、見せましょうか?」

「………………」



 先生は難しい表情で黙り込んだ。

 薬を見せるつもりだったんだけど、変だったのかな?

 次に風邪をひいて、迷惑をかけるわけにはいかない。

 だから、日々の体調管理、それから薬。

 篠宮くんに強がって準備してない、って思われるのは嫌だからちゃんと持ってきた。


 全て揃えたから向かうところ敵なしっ!!


 と、言っても篠宮くんの……正確には“紅”のマネージャーさんが準備してくれたものだけどね……。


 お金、稼がないと。

 篠宮くんに恩返しも出来ていないし。



「何をしようかな……」



 ぽろっと出た素の一言。

 気をつけないといけないのに、迂闊なことをまたしてしまった。


 私のバカっ! アホっ!

 何で学習しないのよっ!


 頭の中で何度も自分に対して悪態をつく。


 これじゃ、また篠宮くんに迷惑をかけてしまう。

 慌てて口を押さえたけど、これは誤魔化しきれ——



「お願い柏木しゃん!! 裁判だけは裁判だけ許してぇ〜!」

「せ、先生!? 大丈夫ですか!」



 その場で震え出し、泣き噦る先生。

 私は、先生が落ち着くまで優しく背中を摩る。


 そもそも裁判って何!?

 どこからそういう話しになるのよっ!


 でも、嘘言ってるような演技にも見えないし……。



「きゃしわぎしゃん(柏木さん)は、優しいのねぇ〜」

「とりあえず落ち着いて下さい。水がありますから、これでも飲んで……」

「ありがどぉ〜……」



 化粧が涙で濡れて……うわぁ、なんとも言えない感じに。


 一体、何に恐怖してるの?

 わからない。

 わからないけど……。


 突き返された筈の課題に、丁寧なコメントと添削。

 今までの先生からは考えられない面倒の良さ。


 はぁ。

 これはどう考えても、そうよね……。

 これを渡して採点させたのは、間違いなく彼の仕業に違いない。



「あいつ、何したのよ。後で問い詰めてやるんだから」



 わんわんと泣き喚く先生によって、私の呟きは消え去った。


 ちなみに、この日を境に先生は私に親切になったのだけど……。

 これは言うまでもないことね。

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