11 柏木天が演じる理由 前編
マネージャーの車で柏木の家まで来た俺は、彼女を抱き抱え運んでいた。
自分で歩いてくれれば良かったが、思ったよりも症状が悪かったらしい。
車に乗ってからはすぐに眠ってしまったのだ。
本当は家の前まで送り届けて終わりのつもりだったが……。
こうなってしまっては、放置しても目覚めが悪い。
だから、仕方なく運んでいるってわけである。
「相変わらず、ぐっすり寝てんのな……」
柏木の息はやや荒い。
だが、その寝顔はあどけなく、普段のツンケンした様子がないから普通に美少女に見えてしまう。
内面は天使からほど遠いのに、こういうのは反則だ。
男っていうのは、そういうギャップに弱い。
さっきまでは、運ぶことに必死で意識してなかったから気づかなかった。
しかし、少し余裕が出来たせいで、背中に担ぐ彼女の大きくて柔らかい感触が後頭部に当たり、意識しないようにしても、否応なく持ってかれてしまう。
マジで困る……。
正直、理性がゴリゴリと削られ気が気ではないんだよ。
モデルで他人を見ることは慣れていても、触れることには慣れていないんだから……。
俺はため息をついた。
はぁ、百聞は一見にしかずとは言うけどさ……。
あーでも、この場合は“百見は一触にしかず”というべきなのかもしれ——
「……私、どうして。……え、あれ? なんで篠宮くんの背中に!?」
目覚めてからすぐに覚醒した柏木は、「なんで? どうして?」と動揺した様子を見せる。
そのせいで、背中に乗っているのにも関わらず身をよじりバランスを崩して、背中から落ちそうになってしまった。
「病人は暴れんなよ」
「あ、え、ごめん……」
素直に謝り、やはり体が風邪で怠いのか。
背中に体重をかけてきた。
「……意外とたくましかったんだ」
甘えるような、それでいて挑発するような声で耳元で囁いてきた。
……勘違いさせるような言い方をすんなよ。
俺は内心で悪態をつき、はぁと息を吐く。
「まぁ一応男だからな。体が歪まない程度には鍛えてるし。ってか、意外とは余計だ」
「だって、見た目だけだと不健康そうな、幸薄い優しそうな人にしか見えないから」
「そう見えたなら、俺の演技は成功だな」
「中身は真っ黒だけど」
「褒めてくれてありがとよ」
軽口を叩く余裕があると見るべきか?
いや、こいつの性格を考えると話すことで気を紛らわせている可能性の方があり得るけど……。
どっちにしろ、家に置いて「はい、終わり」としたらまた無理をするのは間違いないだろう。
「さて、着いたことだし家にあがるぞ」
「あんたには、遠慮というのがないの? 仮にもレディーの部屋にあがるのよ?」
「残念ながら、遠慮という言葉を昔に捨ててきたからなー。ってことで、あがるわ」
「はぁ……。もう、勝手にして」
俺は、柏木の家のドアを開けて中に入る。
そして、そのままされるがままになっている彼女をベッドの上に寝かせた。
……綺麗な部屋だな、物がなくて。
あるのは、勉強道具ぐらいだし。
後は、干してあるのはバイトの制服……かな?
賃貸マンションの三階の階段前の部屋。
それが彼女から聞いた家の場所だ。
駅からは距離があり、外装もそんなに新しくない。
どちらかというと小汚い、きっと家賃も安いんだろうなって思える外観である。
「掃除してんだな、意外だ」
「……何を期待してたのよ」
「いや、一人暮らしで高校生と来れば部屋が汚いのが相場かなーって」
「何よ、その偏見は……。自分が暮らす場所だから掃除ぐらいするわ」
一人暮らしの女性の家にあがるというのは、ドキドキとするものと聞いていた。
初めて家にあがる緊張感は、何にも言い難いものがあると……。
いい匂いがして、男であるならば何かしらの期待をしてしまうって……。
そんなことはないと思ってたが……。
俺も意外と動揺するんだな、変な緊張感で気持ち悪いし。
仕事とは違う緊張に辟易としてしまう。
「ねぇ篠宮くん」
「なんだ? 風邪用のスポーツ飲料とリンゴを擦った奴は冷蔵庫に入れて置くから心配すんな」
「その話じゃないんだけど……って、なんか準備よくない?」
「マネージャーに頼んで、迎えに来る前に買ってきてもらったんだよ」
「あなただけじゃなくて、他の人にも迷惑を……はぁ」
柏木は頭を抱え、大きなため息をついた。
迷惑をかけたとか、どうして私はみたいな後悔の色が顔に現れている。
後は、秘密が早速バレた……って思っているんだろう。
いちいち、気を遣い過ぎだな……。
でも少しは安心させとくか、心労で風邪が長引くのも悪いし。
「ちなみにマネージャーは、柏木の性格について知らないから大丈夫だぞ。まぁ今度お礼ぐらいは言った方が礼儀としてはいいだろうけど、それ以外は不要だから」
「もちろんお礼ぐらいは言うわよ。そこまで恩知らずじゃないし。でも、いいのかな? そんなに甘えちゃっても……」
「いいも何も、本人がそう言ってるからいいんだよ。だから、安心しとけ」
「うん……」
「それにあの人は無類の美少女好きで、”美少女は宝”っていうのを信条に働いている人だしな、柏木は何にも心配する必要ないぞ」
「え……。それは逆に心配なんだけど」
柏木は顔をひきつらせた。
確かに、情報だけを聞いたらやばそうに聞こえるけど、実際は良い人なんだよなぁ。
ただ、可愛い子にめっちゃデレデレなだけで無害だ。
まぁその分、男に対しては苛烈な態度だけど……。
でもそう言った内容を言わなくてもいいか。
これ以上、柏木に情報を与えると、勘違いで大変なことになりそうな気がするしね。
「まぁとりあえず、柏木は寝とけって。また元気になったら、今後の動きを考えよう」
「……うん、そうする。色々とごめんね」
「気にすんな。心配する必要はないよ」
柏木はこくりと頷き、そのままベッドへ横になった。
柏木に『心配する必要はない』とは言ったものの……もしかしたら、今日のことを誰かに見られてるかもしれない。
学校内だし、どこに目があるかわからないからな。
最悪な事態は、これから考慮してかなきゃいけないだろう。
けど、今は病気の柏木に不安を煽るようなことは言いたくない。
今は、俺だけが対策を考えれば十分だ。
「ねぇ、篠宮くんは聞かないの? なんで一人暮らししてるのかって」
俺が色々と思考を巡らせていると、柏木が顔だけをこちらに向け、そう言ってきた。
不安そうに顔だけを布団からちょこんと出し、なんだかミノムシみたいである。
それにしても一人暮らしの理由か。
部屋を見て、なんとなく察しはついてるが……。
俺はどこまで踏み込んでいいか分からず、訊ねることにした。
「柏木は、聞いて欲しいのか?」
「積極的に言いたいわけじゃないけど。話さないといけないかなーって……」
「いや、言いたくないことを無理して言わなくていいぞ」
「ううん。これは私のけじめ……。ここまでして貰ってるのに、不義理なことはしたくないから」
首を振り、大きな瞳が俺を見つめてくる。
「私の家ってすっごく貧乏なの……」
「まぁそんな気はしてた。物とかも最低限だし、土地的に家賃も安そうだもんな」
「あなたって、わりと遠慮ないわよね。同情されるよりはましだけど……」
呆れたような表情をしながらも、どこか嬉しそうにくすっと笑う。
俺もそれに対して微笑みで返した。
「ここって事故物件だから家賃も安いのよ。なんと、破格の二万円。すごくない?」
「へぇー。それは確かに破格だ」
どんな事故物件なのか聞くのが怖いな……。
部屋を見渡すと所々に壁紙を張り替えたような跡がある。
それに天井には変なシミも……。
これって、経年劣化によるものだよな?
俺が視線を柏木に戻すと、何故か目を逸らされてしまった。
「見て見て、このスポーツ飲料は鉄分が豊富だって」
「話の逸らし方が雑だな、おい」
「けど、住めば都っていうけど?」
「ゴーストタウンには住みたくねぇからな!?」
「大丈夫よ。たまにパチって音がするぐらいだし。慣れればBGMと一緒よ。色々な音が聞こえるから、混声三部合唱のようなものだと思えば悪くないわ」
「うわぁ、慣れたくねー……」
俺は嘆息し肩を竦めてみせた。
すると、「ねぇ篠宮くん」とさっきよりも声のトーン落ち真剣な声色に変わる。
ここから本題なのだろう。
俺は口を閉じ、彼女をじっと見つめた。
そして無言のまま数秒が経ち、ようやく柏木が口を開いた。
「篠宮くんって……優良推薦枠って知ってる?」
「初めて聞いたな……。学校にある指定校推薦みたいなもんか?」
「うん、それに近いわ……。でもね、違う部分があって、それで入学すると特別免除があるの…….」
「特別免除?」
「そ。学校側が将来の投資として、資金を出してくれるのよ。学費とか、大学在学中にかかる費用を全てね……。まぁひと席だけなんだけど」
「ひと席ねぇ。ちなみ費用つうのは、奨学金とかじゃなくてか?」
「別枠みたい」
俺の口から「すごっ」と思わず感嘆の声が漏れた。
優秀な人材を輩出している高校。
そんな話は聞いたことがあったが、どういう制度があるか知らなかった……興味がなかったと言えばそれまでだけど。
資金的に困ってる人にしたら、最高の話だよな。
それを利用したいわけか、柏木は。
「私の家ってさっきも言ったけど貧乏だから、それがないと大学に行けないのよ」
「なるほどな。だから、推薦のために学校で演技してるってわけか」
「そういうこと。成績は当然必要だし、学校の模範生として過ごさなくちゃいけないのよ」
曖昧な笑みで笑い、それから頬を赤くする。
恥ずかしそうな素振りを見せてきた。
「今から言う私の夢を笑わないで聞いて」
「笑わねぇよ」
「ありがと……」
笑うわけがない。
俺は黙って、頷いた。
「大学に行って、資格をとって安定した職に就く。そして、一人で頑張って育ててくれるお母さんに恩返しをしたかったんだ」
「これが小さな私の夢」とギリギリ聞こえるような声で呟く。
これ以上は何も望まない。
雰囲気からそういうのが伝わってくる。
その夢が俺にはとても眩しく見えた。
人のため、しかも恩返しって……凄いな、本当に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます