39 交差する二人


 撮影までの時間は刻一刻と迫っていた。

 スタジオの準備を遅らせたりをしてみたが、時間はそんなに稼げていない。


 俺以外に撮影されているモデルもいるが、いつになくスムーズに終わっている。

 俺は椅子にもたれかかり、天を仰ぐ。


 口からはため息が漏れ出ていた。



「くーちゃんどうしたんですか? なんだか、顔色が悪いですよ?」



 いつの間にか目の前にいた同僚に視線を移すと、心配そうに俺を見つめていた。

 接近に気がつかないほど、動揺してるのかよ……俺。


 でも、この動揺は仕方ないことだ。

 なるべく平静を装うようにしても、隠せないほど追い詰められている。


 どこかに行くのにも、誰かしらついてくるし……。

 柏木も動いてくれてるけど、目に見えた効果は得られていない。


 美咲さんが来てくれれば、起死回生と行けるが……。

 頼みの綱には、未だに連絡が繋がらずにいた。

 ……いつもはあんなに早いのに、頼むよ。



「……そうかしら?」

「はい。それしても珍しいですね。くーちゃんが水着撮影なんて」

「……手違いなのよ」

「それは、どういうことですか……?」



 朱里に簡単に状況を説明した。

 勿論、何故水着になれないかは言えない。


 朱里からしたら、『モデルなのだから撮影に出ればいいんじゃないか?』と思うことだろう。


 それを仕事しているわけだから、朱里も水着撮影をすることもある。

 だから、なんで頑なに嫌がっているか……きっと理解はしてもらえないだろう。


 朱里は、俺の話を黙って聞く。

 ひと通り聞き終わると、俺に背中を向けた。



「くーちゃんわかりました」

「……朱里?」

「今から、記憶が無くなるぐらい殴ってきます」



 朱里こ目が据わり、二リットルの水が入ったペットボトルを肩に担ぐ。

 それから、「くーちゃんを虐める人は、フフフ」と何やら不穏な笑い方をした。


 俺は慌てて朱里の手を掴む。

 すると、彼女は不服そうにしながらも顔を赤く染めた。



「止めないでください」

「……犯罪者を出してまで、求めていないわ」

「記憶がなくなれば万事解決です」

「……バレるわよ」

「大丈夫ですよ? 闇討ちには自信がありますので……」

「……はぁ、どこも大丈夫じゃないじゃない」

「それとも竹木田家の全勢力を投入しますか?」

「……しないわよ。あなたの家が介入したら、騒ぎが大きくなるから。下手したら新聞の一面に載ってしまうわ」

「私の家ひとつでくーちゃんを守れるなら安いものです」

「……等価交換が偏り過ぎ」



 頰を膨らまし、「えー」と子供っぽく言う彼女。

 どこまで本気かわからない意味のない会話に思えるが……いい気分転換になったよ。


 俺が思わず苦笑すると、朱里も同調するように苦笑した。



「……ちょっと元気が出たわ、ありがと朱里」

「ふふっ。お役に立ててよかったです。それでこの後、私が撮影ですが……何かして欲しいことはありますか?」

「……気持ちを整理する時間が欲しいわね。出来るだけ……」



 胸に詰めるモノを出来るだけ用意して、それから膨らみを見せないようにサポーターとテープ……。


 いや、ダメだ。

 それだけは足りない。


 水着の女装は、リスクがあまりにも高過ぎる。

 バレる可能性の方が圧倒的に高いのだ。


 俺は思考を巡らせて、打開策を考える。

 美咲さんがくればリスクの高い策を打たずに済むが……。



「わかりました。出来る限り、努めてみせます」



 朱里は丁寧に腰を折ると、ライトアップされている場所に向かっていた。



 ◇◇◇



 あれから時間が経った。


 朱里は、珍しく何度も撮り直しを繰り返していた。

 俺のために時間を稼いでくれたのだろう。



 けど、それでも——美咲さんには繋がらなかった。



 額にべとりとした汗が浮かぶ。

 そのタイミングで背後に嫌な気配を感じ、後ろを振り向くと相変わらずの冷めた目が俺を見つめていた。

 だが、口角は憎たらしくあがっていてどこか愉快そうである。


 この状況を楽しんでんな……こいつ。


 そんな葛城を見た柏木が、口を開きそうになるのを俺は静止させ、『ダメだよ』と首を左右に振る。

 柏木は納得がいかないのか、苦虫を噛み潰したような顔をした。



「さぁ紅君。そろそろ時間だよ……。って、おやおや、まだ着替えていないのかい?」

「……着替えます。これから」

「それなら、舞台袖に簡易的な脱衣場所があるからそこにしてくれますか? 時間が押していますので」



 簡易的な着替え場所を指を指し、にやりと不適な笑みを浮かべた。


 ……逃がさないつもりだな、こいつ。

 その徹底ぶりには、感服するよ。

 最悪だけどな。


 俺は内心で悪態をつき、ふぅと息を吐く。


 でも、かなり時間は稼いだ。

 これなら美咲さんが——



「あーそうだ。言い忘れてたけど、美咲君は来ないよ。別の案件に出ているからね」



 俺の心中を見透かしたような言葉。

 抱いていた希望が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてゆく。


 最早、笑いしか出てこない。

 滑稽だ。

 俺は、こいつの手のひらで踊らされていただけ……。


 あー、笑えねぇ。

 もうに出るしかないじゃないか……。

 誰かが来てくれるなんて、甘い考えは捨てろ。


 俺に出来ることは、精神的に追い詰められたモデルのフリをして、自作自演で血を流す。


 ペンは鞄にあるから、それを体に……。

 痛いのは嫌なんだけどなぁ。


 ——でも覚悟を決めろ。

 何も躊躇う必要はない。


 人を守るのに、自分が無傷でいられると思うな。

 嘘を吐き続ける人間が幸福になれると思うな。

 これは俺に対しての試練……、そう思うようにしなければいけない。


 誓っただろ。

 ここを守るって……。

 どんなことをしてでも、今度は壊さないって。


 俺は拳を握り、目を伏せる。

 それからゆっくりと深呼吸をした。



 よし、覚悟は決まった。

 後は……なんとかして、ここを離れてことに及ぼう。


 俺は、葛城に自嘲めいた笑みをみせる。



「……用意周到ですね」

「はは。それは褒め言葉として受け取っておきましょう」



「くーちゃん!」と呼ぶ声と共に撮影が終わった朱里がこちらに手を振りながら走ってくる。

 手にはペットボトルが握られていて、それを左右に揺らしていた。



「くーちゃ〜ん! 私の番が終わりましたよっ! じゃあ、今からくーちゃんの勇姿を——きゃっ!?」



 ペットボトルの蓋を開けると、勢いよく蓋が上に飛び、コーラが噴水にのように飛び散った。


 朱里は濡れることはなかったが……。

 俺と柏木、そして葛城までもが降り注ぐコーラによりベトベトである。


 葛城がプルプルと震え、冷たい彼の目には怒りが見えた。



「何をしてくれるんですか……君は」

「す、すいません!」



 ペコペコと頭を下げる朱里。

 目には涙を滲ませ、申し訳なさそうにしている。


 周りはというと怒る気はないらしく、寧ろ温かい目で『仕方ないなぁ』ぐらいの感じた。

 張り詰めていた空気が、若干ではあるが和らいだ気がする。



「うわぁ〜、くーちゃんの服がベトベトです……。ごめんなさい。そーちゃんも……」

「私はいいわよ。別に。それよりも水着は大丈夫?」

「あー……。幸い、袋に入ってて無事見たいです」



「なるほど、そういうことですか」と葛城は呟いた。

 俺を嘲笑するような、そんな視線を俺に向ける。

 全てが思い通り、そう言いたげだ。



「全く、飛んだ災難ですよ。僕にもかけるなんてね。ま、幸いなことに水着は汚れずに済んだみたいだから撮影に入りますよ。さっさとメイク直しをしてきてください。ベタついたままでは、困りますからね」

「……はい」

「あ、それと紅君。くれぐれも逃げないでくださいね?」

「……逃げませんよ」



 俺は、彼に背を向けシャワー室に向かう。

 朱里のお陰で千載一遇のチャンスが生まれた。


 後には柏木の他に葛城に指示された人がついてきているが……関係ない。

 流石に中までは入らないだろうし、入口を見張るように待機するだけだろう。


 後は、俺が血を流して倒れたところを柏木に上手く運んでもらうだけだ。

 病院に行かずに、家に戻れるかは正直賭けだが……まずはこの場を離れることが先決。


 俺はシャワー室を見渡し、念のため脱出出来そうなところを探す。


 当然、女性用のシャワー室ということもあり、窓はない。どこかのスパイのように、排気口から脱出なんて芸当も出来ない……。


 俺がシャワー室に入ると、カーテンが一つ閉まっていた。

 誰かがシャワーを浴びている音が聞こえる。



「……天も浴びるのかしら?」

「うん、まぁね」



 気を紛らわそうと柏木に声をかけると、案外素っ気なく返される。

 ……柏木、先に俺を発見してくれよ。


 俺は嘆息する姿を見せ、シャワーの場所に入ろうとした。

 そして、手にペンを握りそれを太ももに誘うと下す。


 ……が、寸前のところで後ろにいた柏木に手を押さえられ同時に片方の手で口を塞がれる。

 そして、シャワーの音がする隣の区画に引きずり込まれた。


 無駄に馬鹿力、全く抵抗ができない。


 なんなんだよ、急に!?

 こっちは一刻も早く手を打たないといけないのに——



「……もう準備が出来たわ、行きましょう」



 ……え?

 俺は今の声に耳を疑った。

『何故?』という疑問が頭から離れてゆかない。


 シャワーの音に混じって耳へと届いた微かな声……。

 それは間違いなく——だった。

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