40 計算通りの筈……だった。
「……すいません。今、戻りました」
パーカーを羽織り、さっきと違いかなりラフな恰好で紅は現れた。
ようやく着替えてきたようだ。
後にいる僕の部下は、小さく頷き特に問題がなかったことを伝えてきた。
「待ち兼ねましたよ。『あわよくば逃げよう』と考えているのではと思っていました」
僕は大袈裟に手を広げ、白々しい態度をとる。
そんな僕の挑発に彼女は何も言ってこない。
全てを諦め、まるで憑物が落ちたような……。
そんな儚げな雰囲気を醸し出して、薄く笑うだけだった。
その表情を見て確信した。
今回のことは上手く行ったと……。
工作には時間がかかった。
いつも紅にお願いしない会社に声をかけ、仕事を持ちかけるなどして集めた“目”。
紅の関係者に仕事が回るように、そして揉めるように仕事を進めてきた。
……面倒なことではあった。
だが、それだけ価値があることではある。
水着になることで、彼女の秘密が明るみになっても僕の利益になる。
もし、秘密が明るみにならなくても頑なだった彼女を動かしたことが僕の功績になる。
そう——どちらに転んでも、僕には利益しかない。
「はぁ完璧ですよ、僕は」
誰にも聞こえない小さな声が僕の口から漏れた。
けど、仕方ないことだ。
ここまで上手くいくと、口が緩くなってしまうのは自然なこと。
思い描いたものがその通りに色つき、輝かしいものになってゆくのは実に気分がいい。
でも百パーセント、何の淀みもない清々しい気持ちではない。
負け惜しみの言葉に、去り際の不敵な笑み……。
これが僕に僅かながらしこりを残していた。
あれは、なんでしょうか?
それを考えると妙な胸騒ぎが……いや、問題ない。
僕の計画は完璧な筈です。
あれは彼女の苦し紛れの行動。
紅に出来ることは何もないのだから……。
そう心を納得させ、僕は改めて彼女を見る。
そして、撮影のセットへと移動した彼女を確認し、各カメラマンに撮影許可の合図を出した。
さて……これで、どの角度からも包み隠さず撮ることが出来ますね。
僕は手をひらつかせ、紅に指示を出した。
「ほら、嫌がっていないで早く水着姿になってください」
「……えっと、その」
「いい加減にして貰えませんか? いつまでも待てないんですよ。こちらも、まだ仕事が残ってますからね」
「……どうしてもですか?」
「くどいですね。モデルなら嫌がらずに職務を全うしてください」
「……わかりました」
紅は、嫌がりながらも羽織っている服の前をゆっくりと開ける。
——これで、チェックメイト。
きっと僕の顔には勝ち誇った笑みが張り付いていることだろう。
ひらりと落ちる彼女上着。
そして露わになる彼女の水着姿。
それを見た途端——浮かべていた笑みが消え失せた。
「へ……?」
自分の口から、らしくないマヌケな声が出て、それを慌てて押さえる。
——僕は勘違いしていた。
彼女は水着になることがない。
その理由はきっと……。
『スタイルが悪いのを隠したいのでは?』
『服を着てるのは偽るためでは?』
『体にタトゥーでも入れているのでは?』
みたいな理由があるのだろう。
そう思っていた。
他にも、『実は男では?』と、そんな馬鹿みたいなのも考えたことさえある。
モデルという仕事をしているのにも関わらず、嫌がるのは相応の後ろめたい理由があるからだと……。
だが、違った。
服を脱いで、水着姿を披露した彼女のプロポーションは、類を見ないほど輝いていた。
数多のモデルを見てきた僕が、見惚れてしまうほどに……。
「「「おー……」」」
雑誌の編集者、カメラマン。
普段関わりを持っていない人、目が肥えている人でさえ、彼女の姿を見た途端に感嘆の声をあげた。
……何故ですか?
周りが色めき立つ中、僕一人が焦っていた。
想像していたことと違う……。
その事実が焦燥感を生み、額には汗が浮かんでいた。
背筋には、薄寒さを感じほどである。
「……私は悲しいです」
カメラのフラッシュやライトに照らされた彼女が、徐に口を開いた。
その言葉を受け、さっきまでざわついていたスタジオが一瞬で静まり変える。
それもそうだろう。
私と一部の人間以外、彼女は望んでこの仕事を受けている。
そう思っている。
それなのに、彼女の目からは大粒の涙が流れ、とても撮影が出来るような表情ではなかったのだ。
「……仕事のキャンセルは美咲さんに迷惑がかかるので。だから、仕方なく……引き受けました」
この言葉に周りが戸惑い、さっきとは異なるざわつきが生まれた。
……これはまずい。
僕は、事態が思いもよらない方向に動き出したことを感じ、止めようと声を出そうするが、背中に誰かがぶつかり声を挟むタイミングを逃してしまう。
「……美咲さんが私の水着撮影を断っていた理由は、これです」
正面を向いていた彼女が後を向き、両肩を抱え小刻みに震え出す。
そうして見えた背中には、痛々しい傷痕があった。
「……これは昔、交通事故でついた……、消えない傷痕です」
嗚咽を漏らし始め、涙ぐむ彼女。
その姿は、悲劇のヒロイン。
ライトに照らされる彼女が主役の舞台が……始まったように思えてしまう。
「……だから、それを思い出せないようにとなるべく肌の露出、特に背中が見えないように控えていました。……余計な心配もさせたくなかったので。これは、社長もご存知のはずだったのですが……」「もう結構です。服を着てください」
「……こんな仕打ち、明確な裏切りですよね。契約にもないし、人の古傷をえぐるなんて……」
「いいからこっちに来てください!!」
僕の指示に彼女は首を振り、僕に対して責めるような視線を向けてきた。
「……楽しいですか、葛城さん」
「何のことですか……?」
「……人の秘密を暴いて、貶めようとして……楽しいですか?」
「そ、それは……」
「……自分の思う通りに行って、さぞ愉快でしたよね?」
名指しの質問。
周りの視線が僕と紅を交互に移動する。
その視線はどこか厳しいものになっていた。
「……私は、今日でこの仕事を辞めます」
そんな中、紅から飛び出した爆弾発言に今日一番のざわめきがこのスタジオを包み込む。
動揺が動揺へと波及し、最早収拾がつかないほど騒がしくなった。
なんてことを……っ!
止めないとまずい……。
「紅さん、何もそこまでは……」
「……では聞きますが。こんなことをプロデューサーである葛城さんにされてまで……残りたいと思いますか?」
またも名指しでの問い掛け……いや、これは明確な攻撃だ。
しかも、いつのまにか一対一の戦いではない。
僕を見る周囲の視線が好奇の目から、攻撃的なものに変わってきている。
そんな、状況に拍車をかけるように紅は言葉を連ねてゆく。
まるで僕に隙を与えないように……。
「……出ているCMも雑誌も今あるオファーも……全てお断りします」
「だが、そうすると違約金が発生するかもしれませんよ?」
「……お支払いします。何年かかろうとも……。この傷痕のことを記事にするのであれば、どうぞご勝手に……」
紅はそう言うと、さらに大粒の涙を流す。
普段、気丈に振る舞う彼女が見せた涙。
その異常事態に皆が何も言えず、只々黙って俯いてしまった。
ざわついていたスタジオにまたも静寂が訪れる。
聞こえるのは、彼女のすすり泣く声だけ……。
——しまった……。
完璧にやられた。
冗談では済みませんよこの事態は!?
これじゃ功績にも何もならない!
人気モデルが辞める。
しかも、その原因が僕だと!?
くそ……。
ふざけるなぁぁああっ!!!
こんな彼女の秘密は使い物にならない……。
人の目を惹く、最も効果的な方を優先するのがマスメディアだ。
“紅の背中には、事故による消えない傷痕がある”
確かにこのネタも使えるだろう。
だが……こんなネタより、“現場でイジメが発生していた。それもプロデューサーが率先して”というネタの方をメディアは大きく取り上げてしまう。
会社内で権力を持つ人間の不祥事。
その方が世の関心は強く、また叩くための絶好のネタになる。
弱者に優しい世の中。
弱者を守るという名目を得た人々は、日々の鬱憤を晴らすように、矛先を僕に向けてくることだろう。
——大義名分を得たのだから。
ここから起こるのは、責任の擦りつけ合い。
僕が筆頭になるだろうが……蜥蜴の尻尾切り。
誰かに罪を——
「くーちゃんが……。くーちゃんが辞めるなら私も辞めます!!」
この先の打開策を思いつくより前に、さっきまで黙っていた朱里が紅の元に駆け寄る。
やばい……。
売れている稼ぎ頭が二人も消えたら、責任問題だけでは済まない!
僕は慌てて、彼女を止めようと話しかけた。
「あなたまで何言ってるんですか……」
「くーちゃんがいないなら、私はやる意味はありません!!」
「そんなことをすれば、あなたにも借金が!」
「くーちゃんの分まで、私が全部払いますっ!! 私がくーちゃんを守りますからっ!」
「そんなこと……」
「私、許しませんから……。くーちゃんを泣かしたあなたを絶対に……」
「それは濡れ衣ですよ。私は悪くない、これは全部勘違いで——」
僕の言葉が自然と詰まる。
いつの間にか、僕を見る視線は目の前のモデル二人を含め……全てが責めるものへとなっていた。
違う。
違う違う違う違う……。
こんなの僕の計画にはない!!
「あの……実は、今日……。いいのが撮れるからって葛城さんに言われて……」
誰かがぽろっとそんな言葉を漏らす。
途端に、他の人も私のやりとりを口々に喋り始めた。
ここには、カメラがある。
自分で用意した、紅の秘密を撮るための機器。
それが僕の悪事の証拠を集めてゆく……。
周りから注がれる非難の視線。
その事実に僕は……自分の終わりを悟った。
やめろ、そんな目でもう見るな。
やめろやめろ…………やめてくれ。
「そんな目で僕を見るんじゃない!!」
『無闇に詮索しない方がいいわよ。上手く行ってると、自惚れてる時ほど人は足元をすくわれるのだから……そう、私みたいにね』
旧友の言葉が、何故か脳内に再生される。
それはまるで走馬灯のようにゆっくりと、自分の死期を知らせるかのようだった。
……どうして、こんな。
計算通りの……筈だったのに。
僕は膝から崩れ落ち、スタジオの床を叩いた。
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