41 役者が語るは、舞台の表


 色々なことがあった今日。

 俺は、目の前にいる人物を見てため息をついていた。


 あれから何があったか、どうなったかは美咲さんに聞いた。

 俺にとっては全く喜ばしくない話を……。


 それなのに今、俺の前には、胡座をかき頬杖をつきながならいつも通りダラけている姉の姿。

 何にも堪えた様子がない姉には、ため息しか出でこないのだ。


 こっちの気もしらないで……。


 あんなことがあったのにも関わらず、微塵もその様子を出さない。

 いや、ほんと面の皮が厚いな……。



「かっかっか! いやぁ、仕事の後の酒は美味いなぁ〜」



 俺のそんな気持ちをわかっていないのか、紅葉は快活に笑い実に男臭く飲み物を飲んだ。

 弟的には、心配になる仕草である。


 女らしさのカケラもねぇな、おい。



「紅葉。リンゴジュースのどこが、酒なんだよ……」

「いいだろー? 気分は酒なんだからさぁ」

「気分ってお前なぁ……」

「だってそうだろ? 何事もなく無事に終わったんだからさ」



 どこが無事なんだよ……。

 屈託のない笑みで笑う姉を見ていると、怒りが湧いてきた。

 勿論、姉ではなく……不甲斐ない自分に。


 でも、自分のせいだとしても……姉の行動に納得がいかなかった。



「なぁ紅葉……あれは、どういうことだ?」



 俺の問いに紅葉は不思議そうに首を傾げ、グラスを机の上に置いた。



「うん? どうもこうも、見ての通りだろー? 万事解決! 性格のわるーい某K氏には美咲の右ストレートが綺麗に決まり、その後は社長に連れてかれる……。うん、勧善懲悪だぜっ!!」

「そうじゃないだろ!!」



 俺は床を拳で叩き、紅葉を睨む。

 紅葉はめんどくさそうに頭を掻いて、目を細めた。



「んだよ、声を荒らげて? 終わりよければ全ていいだろ?」

「それは怒るだろ! 何をしたのかわかっているかよ!!」

「桜士こそ、自分に何をしようとしていたか……わかってんのか?」

「「………………」」



 紅葉の目つきが鋭くなり、睨み合う形でお互いに黙り込む。

 ……やっぱりバレていたか。


 だから、紅葉には連絡したくなかったのだ。

 俺の考えや企みを看破してくるから……。


 邪魔しない時は勿論ある。

 だが、俺が傷つくことを極端に嫌う彼女は“今回みたいな選択”をする可能性があると、必ず横槍を入れてくるのだ。


 ……今回は、バレないように気を遣ったのに。


 俺は嘆息し、肩を竦めた。



「……辞めるのか? モデルの仕事」

「いーや、辞めねぇーよ。一文無しになっても困るし」

「え、でも話では辞めるって言ってたんじゃ……」

「あんなもん、アイツを追い詰めるために決まってんだろ? アタシは泣かねぇし、あの行動をとれば上手く波及すると思ってたから、やっただけだぜ〜」

「けど、そんな上手く行くなんて保証は……」

「いやいや、そうなるに決まってるぜ。だってみんな好きだろ? 弱者を守るという正義の味方が」

「うわぁ、それまで計算づくかよ……」



 ニヤリと笑う紅葉。

 悪魔みたいな笑みだ……。


 いや、今回の一件で人心掌握を果たしたのだから、まさに悪魔の所業と言ってもいいだろう。


 けど、今回で紅が置かれた状況が変わってしまった。


 俺だけではどうしようもできない形に……。

 紅葉が無理してでも出でこないと行けなくなってきてしまったわけだ。


 俺は、真剣な顔で紅葉を見る。



「……いいのかよ、紅葉。まだ体がよくないだろ……?」

「あん? 大丈夫だよ、まだ本調子じゃねぇが、リハビリは順調なんだ。うまく歩いたつもりだぜぇ!」

「いや、それだけじゃない……。傷が明るみに出たら、仕事が……なるくなる……だろ?」



 モデルの身体に傷がある。

 それは致命的な事実に他ならない。


 モデルというのは、女性の憧れであり目標なのだ。

 だから誰よりも美しく、気高くなければならない。


 それに女性の傷は、男性以上に今後へと響いてしまう。


 ……隠したかったのにな。

 俺は、がくっと肩を落としその場で項垂れた。


 そんな俺の頭を紅葉が優しく撫でてくる。



「あのな桜士、傷痕で仕事はなくならねぇよ」

「……そうなのか?」

「まぁ、仕事の内容は変わるかもしれねーけどな」

「うん……?」

「まぁ、アタシは傷痕を晒したことでを手に入れたってことさ。きっと後は、美咲と社長が上手く使ってくれるよ、新しいキャラクターとしてな」



 俺は黙るしかなかった。

 彼女がしたことで、どんなことが起きるか。


 人気モデルの傷痕は、たちまち広がることになるだろう。

 それを周囲はどう思うのか?


 当然、『騙したな!』と言う意見も出ることだろう。

 だが、今回のやり取りを不幸中の幸いと言うべきか、葛城が集めた多くのメディアが目撃している。

 人気モデルの涙ながらの告白、頑張り……。


 それは多くの人の関心を惹きやすいのだ。

 美談として、はたまた不幸の代名詞として……。


 それを彼女は新たな武器として、使うつもりなのだろう。



「それだけじゃない。水着になる前例を作ったんだ。またそんな仕事がくることも……」

「あー、そのことかぁ。まぁ今回の件で美咲がいない時は、肌を見せるような仕事をやらないようになるだろうし。それに背中が出る衣装は私がやればいいだろ?」

「大丈夫なのか……?」

「まぁ、動き回るドラマは無理だから、あくまで撮影だけだけどな! けど、桜士には背中まで化粧というか特殊メイクをお願いしないといけないのは……わりぃな」

「俺のことは別に……。けど、無理はしないでくれ……」



 紅葉は事故に遭って以来、体調を崩すことが多い。

 俺の前では気丈に振る舞ってはいるが、無理してることぐらい……俺にだってわかる。


 今日のことだって……。



「暗い顔すんなよ、桜士」

「でもな、紅葉……」

「お前はもうちょっと、アタシを信用しろ。それに、女性は案外強いんだ。傷ぐらいではへこたれないし、これを寧ろ利用するぐらいでいてやるよ」

「そっか……。紅葉がいいなら、それでいいんだ」

「ああ、だろ〜」



 お互いに無言になる。

 これ以上は、この話は出来ない。

 昔を掘り返してしまうから……。


 それはお互いに避けていた。


 いや、違う。

 逃げてるんだよ、過去から。


 俺が紅となったあの日から、見えない壁が俺達の間には存在してしまっている。

 それは、一生消えることのない背中の傷痕として、俺に語りかけているようだった。



「なぁ桜士ー」

「なんだよ?」

「……芸能界に来ないのか? それでアタシと一緒にさ」

「前も言っただろ? 俺はやらないよ、この先もずっとね」

「そっか……」



 たまに紅葉は、こうやって俺を誘ってくる。

『桜士は桜士としてやったら売れるから』って。


 けど、俺にはその資格がない。

 だから、いつも通り断りを入れる。

 それが恒例のやり取りだ。


 少しの沈黙が訪れ、しんみりとした空気になる。

 すると、紅葉はうーんと背を伸ばし、うつ伏せになってから脚をバタバタとバタつかせた。


 それから、顔だけをこちらに向けると、何故か不服そうな顔をしていた。



「紅葉、今回は——」

「謝罪もお礼もいらねぇからな」

「…………」

「それにお礼を言うなら、別の相手がいんだろ? お前の愚行を止めてくれたんだからさ」



 頭に浮かぶのは、演技が下手な柏木の姿。

 自分のことで手一杯で不器用な彼女の姿だった。


 今回、なんとか騒動が収まったのは彼女のお陰なのだろう。

 それを紅葉は俺に伝えているのだ。



「わかってると思うけどな。桜士はさ、天に感謝しとけよー」

「……うん?」

「あいつがアタシに連絡してくれたんだからさぁ。『篠宮くんがピンチなの、このままだときっと何か……よくないことをする』ってな」

「……何言ってんだか」

「バレてんぞー、桜士」



 俺がシャワー室でやろうとしてたことを全力で止められたもんな……。

 まぁ、バレて無ければあそこまで的確に行動できない……か。


 俺の望んだ形ではないにしろ……。

 また、あいつに助けられてしまったな……。


 何か言いたげな姉の視線を無視するように、俺はため息をつき天を仰いだ。



「……はぁ。借りを作っちまったなぁ」

「かっかっか〜。まぁどうすっかは、ちゃんと考えとけよ〜」

「わかってるよ……」



 借りは返す。

 お互いの秘密を守ってくれた柏木に、返すものがあるなら返さなくてはいけない。


 世話になりっぱなしになるのは嫌だからな……。



「んじゃ、まぁ。気を取り直してパーッとやるかっ!」

「そうだなぁ〜、たまにはそうするか」

「とりあえず天と美咲に声掛けるからなー」

「はいはい。もう勝手にしてくれ」



 俺は適当に返事をして、手をひらつかせる。


 この後、また騒がしくなるなぁ。

 けど不思議と嫌な気はしない。


 今はそんな気分だった。


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