43 なんとなく気まずくて


 あの騒動から数日経ったある日。

 私は、美咲さんの所で書類の整理を手伝っていた。


 机に散らばった書類を分類してゆく。

 主に仕事の依頼、雑誌だったら企画のサンプルなど中には成人向けの企画依頼もあったりする。


 そういうのは目に毒なので、すぐにボッシュートだ。



 あの日起きた事務所の一大事件。

“紅の事件”は、メディアでも大きく取り上げられることとなった。


 葛城プロデューサーが多方面から、人を集めていたから隠すことは当然叶わず、瞬く間に広まってしまったのである。


 テレビで放送されているほとんどが、モデルに対してのイジメ問題や断れない風潮にある仕事の問題。

 今回の件で飛び火をくらった企業も多いかもしれない。


 だが、最も忙しくなったのはこの事務所だろう。

 幸いなことに仕事は減るどころか、見ての通り増えている。


 紅葉の捨て身の作戦が功を奏した結果だ。

 諸手を挙げて喜べないけど……。



「なんだかなぁ……」



 私はため息をつき天を仰いだ。


 知らなかったことを知ったあの日のことを……いや、知ってしまったことで私は気まずくなっていた。


 紅葉とは今まで通りだけど、篠宮くんとは話せていない。

 シャワー室で彼の企てを止め、紅葉の声を聞いた彼は魂が抜けたように呆然と立ち尽くしてしまった。


 紅葉に言われた通りの変装をして、現場から逃げたけど、あれから私とは一言も喋っていない。

 正確には、簡単なやり取りはしてるけど……。


 前みたいな、ちょっとだけお馬鹿な会話はできないでいた。


 まぁでも、知られたくないことを知られたら……そうなるわよね。

 私には、どうしてあそこまでの行動をとろうとしたのか想像はつかないけれど……。

 ただ、複雑な踏み込むのが怖い話が待っていることだけはわかる。



「はぁ、らしくないなぁ……私」



 再びため息をつく。

 もし、ため息で幸せが逃げるなら逃げっぱなしだ。


 そんなことを考えていると、部屋のドアが勢いよく開き、現れた美咲さんが「天ちゃ〜ん、へるぷみ〜」と言いながら私に抱きついてきた。



「美咲さん、大丈夫ですか……? 目にクマが凄いですよ」

「ふっふっふ……今なら二十匹は住んでるわよぉ……」

「うわぁ……本気でやばそうですね。あの、夏場にいい“レモンの蜂蜜漬け”持ってきてますけど……」

「いる!!」

「あ、はい」



 私がタッパーを出して、美咲さんに手渡すと次々と口にレモン入れてゆく。

 最早、口の中に放り込んでいるという表現の方が正しいかもしれない。


 ……流石に心配なんだけど。

 ちょっとは言わないとダメよね。



「美咲さん、少しは休んだ方が……」

「私がへこたれるわけにはいかないのよぉ〜。紅葉の覚悟を無駄にしたくないからねぇ。これからのプラン、そして仕事を選んでいかないと」



 力ないながらも、私に優しく微笑む美咲さん。

 その表情は、本当に優しくまるで母親のようだった。



「美咲さんは知ってたんですか……? 紅葉の背中のこと」

「マネージャーだからねぇ〜」



 美咲さんはそれだけ言うと、レモンをもひもひと食べ進める。

 その姿は、ハムスターを彷彿とさせた。


 理由を言わないのは、私に言うべきではないも思ったのだろう。


 当然、気にはなる。

 最初はなし崩し的に手伝っていると思ってだけど、篠宮くんがあんなことをしようとしてまで、守ろうとしていたんだから……。


 気にならないと言えば嘘だけど。

 ……でも、きっとこれは聞いてはいけないのだろう。


 まだ、私は彼のことを全然知らないのだから。

 そう思うと胸のあたりがチクリと痛んだ。



「はぁ、あんなんじゃそれにしても足りないわぁ〜。周りが止めなければ、あの屑にもう一発、いや十発ぐらい入れたかった……」



 美咲さんは机の上で項垂れ、自分の手を開いては閉じてを繰り返す。



「あの、私は篠宮くんを逃すためにそっちに付きっきりで詳しくは知らないんですけど……。あの後、大丈夫だったんですか?」

「ありゃ? 聞いてないの?」

「……はい。紅葉からは『ありがとー、なんとかなったわぁ』って連絡は来ましたけど」

「まったく、あの子達は……」



 額に手を当て、やれやれと呆れ顔で肩を竦めた。



「本当、あの日は焦ったわぁ……。あそこまで着信があったことないし、揉めた相手側も妙に引かないから終わらなくてねぇ……」

「それって……あの嫌な人の差し金だったってことですよね?」

「そーそー、用意周到よねぇ。その労力を他に回しなさいって感じよぉ」



 美咲さんの足止めに、色々な会社を巻き込んでの戦略。

 いつから計画されていたんだろうってぐらい、追い詰めるために手を尽くしていた。


 だから、美咲さんの言うことはよくわかる。


 それだけパイプがあって動けるのであれば、他のことに使いなさい!

 って私も言いたいところだ。



「まぁなんとか済ませて急いで戻った時は、葛城さんは膝から崩れたところで」

「もう解決してたんですね……」

「そのおかげで崩れた彼に私の右ストレートが綺麗に決まったよっ!」

「え……? まさかの死体蹴りですか……?」



 てっきり立ち尽くす相手に一発入れたと思ってだけど、崩れた相手だったんだ……。



「だってぇ〜、あの子達の将来を潰そうとしたのよぉ? 許せるわけないし、我慢しようとしてたけど、顔を見たらもう手が出てたの……てへっ」

「そんな可愛こぶってもダメですからね……」

「でも葛城さんは根性なかったのよねぇ。一発でダウンしたから、社長室まで引き摺るのが大変だったし」

「運んだんじゃないんだ……」

「ゴミに運ぶ価値はないからねっ」



 ナチュラルに酷いこと言うわよね、美咲さんは……。

 私に話して怒りが再熱したのか、心なしか目つきが鋭くなった気がする。



「あの……美咲さん。ひとつ聞きたいんですけど」

「ん〜っ? どうしたのかな?」

「今回のこと……。篠宮くん、私に対して怒ってますよね……」

「どうしてー?」

「……言われたこと無視しちゃいましたし」



 私はあの時、篠宮くんのお願いを無視しして、すぐに紅葉に連絡してしまった。

 終わり良ければ全てよしとは言うけど、あそこまで拘る篠宮くんが納得する筈もない。


 だから、きっと。

 次に会ったら責められる。


 私はそう思っていた。


 そんな私を美咲さん不思議そうに見る。

 顎に指を当て首を傾げた。



「私は無視して正解だと思うわよぉ? あの子達の極端な行動を諫めてくれて助かったわぁ」

「でも、彼の望む結果にならなかったから……怒ってるんじゃないかって。だから連絡も出来なくて……」

「あ〜もうっ! よしよしっ! 天ちゃんは可愛いなぁ〜!!」

「え、ちょっ、ちょっと美咲さん!?」



 やや乱暴に撫でられ、私は呆気にとられる。

 そして横にいる美咲さんの顔を見ると、満面の笑みを浮かべ今度は優しく撫でてきた。



「大丈夫よ! あの子達は! それに今回のことで天ちゃんを悪く言ったら、私がグーパンチをお見舞いしてあげるんだからっ」



 美咲さんはそう言うと、腕を曲げて力瘤の出た二の腕を、ドスンドスンと叩いて見せた。


 ほんと、美咲さんは凄い人だなぁ。

 悩みとかすぐ見抜くし……こういう女性になれたらかっこいいのかも。


 そんなことを思い、彼女を羨望の目で見ていると、美咲さんは何かを思い出したのか、手をポンと叩いた。



「そういえば、天ちゃん。お金は大丈夫なの? 何か早急に必要みたいだったと思うけどぉ」

「……は、はい」



 覚えてくれてたんだという嬉しさと、焦りが訪れ私は言葉に詰まる。

 それが気まずくて、曖昧な笑いが口から出た。



「よかったら給料の前借りにしようか? 聞いてみないとだけど、大丈夫だったら明日にでも——」

「本当ですか!?」

「あ、でも確定じゃないから連絡待っててねぇ」

「はい!」



 思いもよらない提案に私は心を弾ませた。


 これで希望が見えた気がする。

 今日の帰りに寄って、明日まで待ってもらえるように交渉しよう。


 私はそんなことを考えながら、仕分け作業を進めた。

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