42 役者は踊る、それは舞台の裏で


 は重たい身体を動かし、ストレッチをする。

 それから歩く練習をして、それがひと通り終わるとソファーにごらんと横になった。



「早く帰って来ないかなぁ、桜士」



 私は動画でも見ようとスマホを手に取った。

 そして、画面を見て「げっ」と固まってしまった。


 うわぁ……不在通知がたくさん。


 まるでホラーである。

 これが見ず知らずの番号だと、怖さで震え上がっていたことだろう。



「なんだ、天か……よかった」



 たくさんの連絡をしてきたのが、私の話相手だとわかりそっと胸を撫で下ろす。

 それから、電話をかけるとワンコールもしないうちに天は電話に応じ、慌てた様子で私に話しかけてきた。



『紅葉、聞いて! お願い!!』

「……どうしたんだぁ慌ててよ〜」



 私はいつも通りの声と喋り方で言葉を返す。

 怠そうな、めんどくさそうな……そんな声で。


 そんな様子を電話の天は気にすることなく、話を続けてきた。



『篠宮くんがピンチなの、このままだときっと何か……よくないことをする』

「天、それはどういうことだ……?」

『水着の撮影、なんか変な嫌な……今にも殴ってやりたい相手に……とにかく! 嵌められたみたいなのよっ!!』

「美咲はどうした?」

『連絡が繋がらないの!』

「マジかよ。マズいな、それ……」

『それから、それからね——』



 柏木は私に畳み掛けるように話続ける。


 相当慌てるのだろう。

 残念ながら、話が上手く入ってこない。


 だけど“水着撮影”、そして“美咲不在”その言葉だけで状況の悪さだけは理解した。


 美咲は、私が受けられない仕事を絶対に持ってこない。

 圧力にも臆しないし、有名な会社でも、大きな仕事でも、私が背中を見せる案件になりそうなのは全て断ってきた。


 そんな美咲が、水着撮影に協力するのは有り得ないことだ。

 でも、その有り得ない事態が起きている……。


 もしかしたら、その予兆はあったのかもしれない。

 だが、美咲を遠ざけたことを考えると、相当な根回しをしたのだろう。

 それだけ、相手も本気だということだ。


 だとしたら——天が言う通り、桜士は最悪な手に出るかもしれない……。


 それを想像した途端、私の顔から血の気が引くのを感じた。



 ——このままでは、まずい。



 私は足りない頭を捻らせ、打開策を考える。

 桜士も救って、紅も守る方法。


 ふと浮かんだ一つの方法。

 それは出来なくはないように思えた……。


 でも、それを行うのは時間が足りな過ぎる。

 けど、やるしかない……っ。


 打てる最善の手はこれしかない。

 バレない保証はない、だけどやるしか……。


 私は深呼吸をして、話し始めるのを黙って待つ天に指示を出した。



「私は今からタクシーで向かう。天は、今日いるモデルの名前を教えて」

『わ、わかったけど……どうするの?』

「来ていないモデルに変装する。それだけじゃ怪しまれるかもしれねぇから、アタシが着く頃を見計らって、天が入口まで迎えに来てくれ。天なら桜士よりは動けそうだろ?」

『う、うん。たぶん……』

「それから、時間を稼げそうか?」

『そ、それは篠宮くんに言われて、出来る限りやってみてるけど……』

「厳しいか……」

『……うん』



 申し訳なさそうな天の声。

 彼女は謝る必要はない。


 それだけよくやってくれてるし、本当に時間を稼いでいるのだろう。


 時間を稼ぐなら……そうだ。



「なぁ天。今日は朱里がいるか?」

『いるみたいだけど……。仕事中じゃ電話に出ないだろうし……』

「なら、朱里を探してくれ。あいつなら、状況を見たら“紅”が困ってると気がつく筈だ」

『わかったわ。でも、その後はどうするの……?』

「時間さえ稼げれば、アタシと桜士が入れ替わる。そうだな……桜士の性格を考えて、あいつの演出を考えると控室はあり得ない。だから……シャワー室がいいな。あいつが考えそうなことなら、そこが濃厚だ」

『でもシャワー室に、どうやって行くの? 私たちは行けるけど、篠宮くんに対する監視の目は強いわよ』



 どこに行くにもついてくるのか……。

 この作戦を考えた奴は、相当性格が悪い。


 でも、関係ない。


 その条件は達成できる。

 時間が経って、相手が自分の勝利を確信すればするほど……足元をすくえるから。



「とりあえず天は、桜士と一緒にシャワー室に来れるようにしてくれればいい。御膳立ては朱里がなんとかする……。アイツなら状況を察して嫌がらせついでに離脱させてくれるさ…………たぶんだけど。まぁ、その理由は詳しくは言えねぇけど」

『……う、うん? でもなんで言えないの?』

「あー、それは……。桜士は知らねぇけど、アタシは中立なんだよ」

『意味がわからないんだけど……?』



 呆れたような天の声。

 けど、私の話を聞いて落ち着いたみたいだ。



「じゃあ、天。後は頼むな」

『わかった! 任せておい——』



 言い切る前に電話は切れた。

 その、そそっかしさはちょっと心配になるけど……。

 後は私次第だ。



「……動こう」



 私は重い腰を上げ服を脱ぎ、背中の傷を鏡で見る。



 できることなら、これは見せたくない。



 私が水着を断っていたのも、桜士の変装がバレるから……。

 バレたら責められるのは、間違いなく桜士になる。

 それは避けたい。


 けど、最も大きな理由はこの傷痕を見せることで…… 桜士に罪を感じて欲しくないからだ。

 自分をもう、責めて欲しくないから……。



 でも、この傷痕を利用しないと、もうこの騒動は収まりそうにないだろう。



 周りには“水着にならない理由に対する疑問の種”が撒かれてしまったのだから……。

 納得する理由がないと、また今回の奴みたいに探ろうとする人が出てくるに違いない。

 中途半端な理由は火に油を注ぐ結果となってしまう。



 だから、私はこれを使って自分を新たにプロデュースする。


“過去と戦う、大きな傷痕があっても可憐な女性”として。

 立ち直った強い女性として、自分を演出してゆく。



「桜士を守る……絶対に」



 私は拳に力を入れ、おぼつかない脚を違和感が見えないように動かすイメージをする。



 私が考えていることは、卑怯の極みだろう。

 周りの同情を誘い、他人を潰してでも守ろうとするのだから。


 でもそんな自分の強みを使ってでも、周りを巻き込むような演技をしてでも——守ってみせる。

 そのためなら、自分を曝け出すことは何でもしよう。



「……弟を貶める奴に、私は容赦しないから」



 謝りはしない。

 人生を壊すことになってごめんなさいなんて言わない。


 人を呪わば穴二つ。

 いずれ自分が同じ目にあっても、それが私であれば別にいい。


 やるなら徹底的に。

 根も残さないほど徹底的にやる。


 涙、身体、同情。

 女の武器を全て使って、そいつを堕としてやる。


 罪悪感?

 そんなの感じない。


 それはもう過去に置いて来た。

 私の存在理由は弟のため。


 弟の将来のために人を殺せと言われれば、私は躊躇いなく殺せる。

 その覚悟はある。



「ごめんね、桜士。あなたが守ってる紅なのに、またお姉ちゃんが台無しにして……」



 誰もいない家にその声が寂しく響き渡ったのだった。



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