03 月光の中の誘い


 なんでここに柏木が……?


 俺は、一瞬だけ戸惑いはしたもののすぐに表情を作る。そして、学校にいる時の俺みたいに、温厚で優しい雰囲気で柏木に話しかけた。



「あれ? たしか同じ学校の柏木さんだよね……? 紅とかよくわからないこと言ってたみたいだけど……どうしたんだい?」

「篠宮くんにちょっと用事があるのよ」

「用事って明日じゃダメかな? 僕はこれから買い物に行かないといけなくてね。だからごめんね」



 俺は丁寧に腰を折り、頭を下げる。

 これで適当に流さればいいんだが……。


 彼女の表情は見えないが、くすりと笑う声が聞こえてきた。



「ふーん。惚けるんだ。言い逃れ出来そうもないのに」

「惚けるも何もわからないからね。知らないことは、答えようもないんだよ」

「それにしても凄いわね」

「……なんのことかな?」

「あの一瞬で、こんなに雰囲気が変えれるんだなぁーって」



「凄い凄い」と感心したような声をあげ、パチパチと手を叩いた。


 けどその目、表情は全然笑っていない。

 ただ俺をじっくりと観察するような、鋭い目だ。


 額にじわりと嫌な汗が滲む。

 ……くそ、やりづらいな全く。


 ってか、どこでバレた?

 撒いたと思ってが、実は後をつけられていた?

 それはなんとなく想像出来るが……、それでも『俺=紅(女装)』までは行き届かない筈。


 ボロを出すような迂闊な行動の覚えがない。


 もし、バレてるのであれば早々に原因を突き止めないといけないんだが……。



「ふふっ。やっぱりね。思った通りだったわ」

「やっぱり? 何か納得することでもあったのかな?」

「私の話す雰囲気が違うのに、全く突っ込まないし、驚きもしないわね」

「……確かに。そうかもしれないね、言われてみればいつもと違うよう——」



 俺の目の前まで距離を詰めてきた柏木は、俺の唇に人差し指を当て、妖艶で挑発するような笑みを浮かべる。


 その雰囲気には、胸が高鳴り言葉を詰まらせてしまった。



「そうじゃない、違うでしょ?」



 顔をさらに近づけ、俺の顔を覗き込むように見てくる。鼓動が激しく脈打ち、経験したことのないぐらい激しさを増してゆく。


 ……流石は天使って呼ばれるだけの可愛さはあるな。

 マジで見た目詐欺だろ。


 俺は内心で悪態をつき、口の端を噛んだ。



「篠宮くんは見たことがあるんでしょ? 私の素の姿を……」

「……そうかな?」

「そうよ。だって普通、同じ学校の人間だったらもっと驚くはずじゃない。自分で言うのもあれだけど、相当猫かぶってるし。今みたいな態度は、人前でとったことなんてないわ。だから——」



 俺はごくりと息を呑む。



「こんな私に驚かないということはという証拠よ」



 ……やられた。

 こいつ、カマをかけていたのかよ。


 確かに普段の彼女を見ていたら、「いつもと違くない?」とか「雰囲気違うね」と言っても良さそうだった。

 柏木も敢えて言いやすいように、俺の雰囲気の違いを引き合いに出していたのに……。


 それでも答えない。

 突っ込まないのは、“後ろめたい何か”があるからだ。

 無意識に人が行う防衛反応を柏木は、逆手に取ったわけだ。


 これからどうすればいい……?


 俺は考えを巡らせ、対処方法を考える。

 だが、そんな俺に時間を与えないように柏木が話を切り出してきた。



「それと。周りくどいのは嫌いだから、単刀直入に言うけど。あなたののよ」



 心臓がドクンと大きく脈を打った。


 思ったよりも喰えない状況にいる自分に、俺は焦燥感に襲われていた。


 いや焦っても、もう無駄か……。


 俺はため息をつき、頭をぽりぽりと掻く。



「……人が悪いな」

「あら? 思ったより怖い顔できるんだ。こっちが本性なの?」

「脅しといてよく言うよ」

「それはどうも。まぁとりあえず、行きましょう」



 ——何が天使だ。

 脅し文句といい、どう見ても悪魔じゃねぇか。


「ついて来て」と言った柏木の後に続けて歩く。


 さっき帰る時に走り抜けた道……。

 どうやら、例の枯れ井戸に向かっているようだ。


 井戸の前に着くと、柏木はこちらを振り向き、こちらに手を差し出してきた。

 そして、見惚れてしまうような笑みを浮かべる。




「ねぇ篠宮くん。私と契約してくれない?」




 誰もいない林の中、木々が葉を擦る音に混じり、彼女の声だけが当たりに響く。


 暗闇が柏木の白い肌を際立たせ、差し込む月光がまるで彼女を輝かせているスポットライトのように見えたのだった。

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