32 両手に花ですか? いや、地獄です。(前)


“両手に花”


 みんなは、この言葉を聞いたことがあるだろうか?


 見た目が可愛いらしい美人に囲まれる。

 男であれば、誰しもが一度は夢を見るような状態のことだ。


 その夢みたいの状態が、今まさに起きている。


 柏木天という美少女に、人気上昇中のモデルである朱里。

 その二人に挟まれてような形で椅子に腰掛けているのだ。


 見ようによっては、喩えば美少女を侍らせているようにも見えるし、または三人の美少女が並び仲睦まじい光景にも見えてくることだろう。


 この状況だけを客観的に見れば、男として嬉しくないわけがない。

 歓喜して、小躍りしてしまいそうなぐらい高揚感を感じる筈だ。


 だが、それはあくまで客観的な視線と言うだけで実際はそうではない。

 今の俺が抱いている気持ちは、高揚感というより慄然感というべきだろう。


 ……どうすっかなぁ、マジで。

 口から漏れ出るため息。

 自分で撒いた種とはいえ、収拾がつかなくなりそうな状況に俺は頭を抱えていた。




「朱里さんはくっつき過ぎ。もう少し離れたら? 仕事前でセットが崩れたら困るんじゃない?」

「ご心配なく……。そういう柏木さんも、近いと思いますよ?」

「私はいいのよ。紅さんの親友だから」

「私も同じです」

「へぇ、奇遇ね」

「偶然って怖いですね」

「「ふふふ……」」



 怖っ!?

 何この空間!?


 笑顔なのに怖さしかねぇよ。

 まるで、緊張状態の国同士の国境に立っている気分だ……。


 それに柏木、俺の背中を抓るなよ。

 それと朱里、腕が痛い。

 そんな力入れなくても、俺は逃げないって。


 と、本当は口に出して苦言を呈したいところなのだが……。


 ――うん、入っていける様子がない。

 ってか今、何か言ったら余計にヒートアップしそうだ。


 はぁ……ったく。

 ほんと、溜息しか出てこないな。


 つーか柏木、既に口調が崩れてるじゃないか……。

 流石に化けの皮が剥がれるのが早すぎるだろう。


 あ、でも……もしかしてあれか?

 俺が『友人』と柏木を紹介したから、友人アピールのために口調を変えたみたい……?


 いや……それはないか。

 柏木は意外と抜けてるし、ポンコツなところが多々あるからなぁ~。

 こらえ性がないし、単に対抗心を燃やして、早々に口調が崩れたって可能性の方があり得るわ。


 ったく、またフォローしないと。

 このままじゃ朱里に突っ込まれるだろうし……。



「あの、柏木さん? なんだか、最初にお見かけした時と印象と口調がだいぶ異なる気がしますけど……?」



 ……あ。

 案の定、突っ込まれたか。


 そう言われた柏木は、動揺することもなく涼しい顔で答えた。



「そーね。紅さんのお友達ということだから、遠慮はいらないかなーって思って」

「なるほど、そういうことでしたか。大変勉強になりますね」

「え、勉強?」

「私は、演技が得意ではありませんのでのが苦手なんです。だから羨ましいです――隠し事が上手そうで……」

「じゃあ、よかったら私を参考にしてみて、まだまだ勉強中だけど」

「……はい。そうさせていただきます」



 朱里の棘がある物言いを柏木は軽く往なした。


 あれ……なんだろう?

 今のやりとり……なんか頼りになりそうな雰囲気があるんだけど……。

 強気で堂々としてるし……。


 柏木。 

 さっきは、ポンコツと考えてすまん。


 俺は心の中で柏木に謝罪をした。



 まぁ、それにしても朱里のあの態度……。

 やっぱり俺たちのことが気になってるよなぁ~。


 普段、朱里は温厚に見せ、ここまで棘がある性格と態度は見せない。

 ま、若干の腹黒さを感じることもあるが、それをあくまで見せることはなかった。


 でも、今はそれを前面に出し柏木に対抗心をむき出しにしている。

 原因はどう考えても『友人』っていう発言……。


 今までの俺は、現場に誰かを連れてきたことはなかった。

 マネージャーである美咲さんはいるが、それ以外は誰も。


 普通はメイク、衣装などそれぞれの分野の人が一人のモデルに携わり、コーディネートしてゆく。

 だが俺は、バレる可能性があることから誰も寄せ付けてこなかった。

 アシスタントを雇うようにと何度も言われたことがあるが、全て断ってきた。


 そんな紅を周りは『孤高の存在』と認識していただろう。


 ただ、孤高であっても孤独になってはいけない。

 だから、一線ならず二線は引かせてもらうけど、撮影の場では周りに気を遣って動いてきた。

 紅が近づいて欲しくないのはだけと思ってもらえるように……。


 そういう一連の流れを見てきた朱里が、今の現状を見て『何で急に?』と、疑問に思うことは当然だ。

 今まではマネージャー以外で唯一、紅と仲良くしていた空間に知らない人物が突然現れたのだから……。


 ――何か裏がある?

 ――脅されている?


 朱里の頭の中には、そんな疑念が渦巻いていることだろう。



 だから、バイトとして連れてくるのは嫌だったんだ。


 最初の雰囲気から『何とかなるかも』と甘い考えをしていた自分を責めたい。

 こうなったら、納得するまで朱里は引かないだろうしな。


 さて、どうしたものか……。


 俺が思考を巡らせ、対処方法を模索していると腕をぐいっと引っ張られた。



「そもそもなんでくーちゃんは、急にアシスタントを雇ったんですか?」

「……美咲さんひとりじゃ大変でしょ?」

「それでも今までは、全部断ってきたじゃないですか。だから、私も……」

「……必要になったのよ。最近は特に忙しいから」



 少し突き放すようなセリフだが嘘はつけない。

 忙しいのは本当だし、必要になったのも紅葉が決めたからだ。


 やや強引な言い方だけど、これで納得してくれれば……。


 腕にかかる重みが急に小さくなり、代わりに朱里から消えるような声が聞こえてきた。



「くーちゃん……?」

「……何?」

「その、あの……私じゃダメですか?」



 朱里はそう言うと、目を潤ませてすがるような目で俺を見た。

 口許にはたえず少女のような弱々しい微笑をちらつかせ、俺の心を直接揺さぶってくる。


 この視線を向けられたら、思わず受け入れてしまいそうな……。

 そんな風に心が流されてしまう。


 俺が必死に耐えてると、朱里の反対から「私のせいだから」という声が発せられた。



「私が頼んだのよ。家のことで色々あって……込み入った事情は言えないけど。でも結果はどうであれ、紅さんの優しさに付け入る形になったから、朱里さんに文句を言われても仕方ないと思ってる」

「……柏木さん」



 申し訳なさそうに表情を曇らせる柏木。

 演技とは思えないその様子に、朱里もたじろいだ。


 でも首を左右に振り、両方の手で自分の頬を叩き、小さく「ペチン」と音が鳴る。

 気を取り直すと朱里は、頬を膨らませながら俺の腰の辺りをつついてきた。



「むぅ~! それでも私は納得できません!」

「いやいや、納得しなさいよ。仕方ない事情なんだから」

「簡単には受け入れられません! だって今までは、”何が何でも拒否”だったんですよ!? どう考えても柏木さんだけ優遇されています。急にこんなことになるには、それ以上に深い理由があるはずなんですっ」



 柏木から『それは聞いてないんだけど?』という強い視線が突き刺さる。

 ……いや、マジですまん。


 俺は、コホンと可愛らしく咳ばらいをして、それから朱里の手を持った。

 朱里を落ち着かせるための処置だが、背中に殺気に近い視線を感じる。



「……私は平等に接してるつもりなのだけど」

「いえ、そんなことはありません。私に対する改善要求をしたいですっ!」

「……改善って、具体的に何をすればいいのかしら」

「まず私の乙女心は深く傷がついたので、私の頭をよしよしと撫でてください。話はそれからですっ」

「……はいはい。仕方ないわね」



 要求されるがままに俺は朱里の頭を撫でる。

 撫でられた彼女は、目を細め少しくすぐったそうにしながらも嬉しそうだ。


 和やかな空気に包まれ…………るはずもなく、背後に感じる視線がより鋭くなった。


 柏木、お前が言いたいことはわかる。

『早くなんとかしなさい』ってことだろ?


 けど、無理に拒絶したら余計に拗れるし、紅葉が最初に仲良くなった仕事仲間だから無下には出来ないんだよ……。


 だからまずは朱里をどうにかして、それから――



「はい。ファンサービスはそこまでー」



 俺が何かするより前に柏木が割って入ってきた。

 至福の時を邪魔された朱里は、不満そうに口を尖らせる。



「ちょ、ちょっと邪魔しないで欲しいですっ!」

「私の仕事に引き剥がしも含まれてるから。過度なサービスは許しません」

「そ、それはサイン会とかのファンの引き剥がしですっ! 今の私には関係ありません」

「朱里さんもファンみたいなものでしょ?」

「ゔっ……。それは否定できません。確かにファンクラブの名誉会員でもありますし……」

「……朱里? それ、私も初耳なんだけど……。名誉会員って?」

「ナンデモナイデスヨー」


 うわぁ、すげぇ棒読み。

 朱里に対する不安は積もる一方だが、今は置いておこう。


 雨降って地固まる……。

 二人には言いたいことを言わせて、俺が後々で収束とフォローを図ってゆく。

 ……まぁそうするのが一番、丸く収まるか。


 俺は嘆息し、肩を竦める。


 そんな波風立てないような俺の甘い考えを見透かされたのか、朱里が耳元で「お願いをいいですか?」と囁いてきた。


 嫌な予感が頭をよぎり、引きつりそうになる表情を抑える。

 そして、俺は「なんのこと」と言いたげに首を傾げた。



「くーちゃん。私をいつもみたいに抱いてもらってもいいですか?」



 お前の発言は波しか立てないな、おい……。

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