33 両手に花ですか? いや、地獄です。(後)


 朱里から爆弾投下が投下され、控室は静寂に包まれた。


 腕には温かい熱が伝わって本来だったら、温かく身体が火照ることだろう。

 だが、何故かゾーッと背筋が冷たくなるような気がした。


 恐る恐る柏木を見ると、彼女の目からハイライトが消え、口が弧の字に曲がって一見笑顔に見えるに、恐ろしく怖く見えてしまう。


 俺はあくまで冷静に演技を続け、にこりと微笑む。

 すると、柏木は笑顔のまま訊ねてきた。



「ちょっと、紅さん? 今のはどういうことなのかなぁ……?」

「……落ち着きなさい。誤解よ」

「ふ~ん……」



 あー、信じてない目ですね……それ。


 柏木は、俺の腰を指で抓り地味に攻撃を仕掛けてくる。

 頬抓ったり、顔の辺りを攻撃しないのは、仕事に差し障りのないようにと最低限の配慮なのだろう。


 まぁそれでも痛いんだけど。


 そして、柏木の反対側では『早くしてください』と言いたげな、甘える視線を朱里が送ってくる。

 それに柏木が気づき、また抓る力が強くなってゆく……。


 なんだよ、この無限ループは?

 理不尽にもほどがあるんだが……。


 第一、朱里が言っていることは全くの出鱈目でそんな事実はない。

 紅葉からもそんな百合的なことがあったということは、聞いていないし……。

 強いてそれに近い行為を挙げれば、泣きそうなときに落ち着かせるために頭を撫でたことがあるぐらいだ。


 ……朱里は抱き着いていたから、それをと表現した可能性はある。

 まぁ、拡大解釈を更に誇張させたというだけだろう。


 朱里のことだから、悪気はないと思うんだけど……。



「……いい? 朱里は、あなたと一緒で発言が紛らわしいだけなのよ」

「そう? 火のない所に煙は立たぬって言うわよ?」

「…………そんなことないわ」

「ほらっ。一瞬悩んだじゃない!」



 やけに鋭いな……。

 これが女性の勘というやつなのだろうか。


 柏木も俺が本当に女だったら、ここまで突っかかってこなかっただろうなぁ。

 普通だったら、ただ戯れているだけって流すだろうしね。


 けど、あいにく柏木は————俺を“男”だと知っている。


 女性だからこそ、同性に対しての危機感が強い。

 女性特有の狡猾さ、男の騙されやすさを理解している。

 だからこそ、注意喚起のために俺の行動を窘めているというわけだ。


 まぁ、確かに俺も迂闊だよな。

 けどこれは、紅葉が始めたことらしいから……俺で拒否するわけにはいかないんだよ。


 俺は嘆息し、肩を竦めてみせた。



「……朱里? あなたが言い出して変な誤解が生まれたのだから」

「事実だから仕方ありません」

「……はぁ。芯が強くて負けん気があるのはいいことだけど。嘘はよくないわよね? 『いつものように抱いて』は、していないでしょう。間違えを認めないのなら、これから控室にはいれないから」

「ゔぅ……それは横暴です」

「……いいから、早く言いなさい」



 朱里はぶすっとして、口を尖らせる。

 それでも俺が引かずに彼女を見つめていると、「わかりました、言います」と、彼女はしぶしぶながら言いため息をついた。



「すいません。言い間違えたので、訂正します」

「……まったく。“抱き締めて”なら、まだスキンシップみたいなものだけど。言い間違えには気をつけ——」

「愛を育みましょうの間違えです」

「……悪化してないかしら?」



 ダメだこいつ。

 早くなんとかしないと……。


 ここまで重症だと、そうさせてしまった“紅”のキャラにも問題があるということに。


 出会った当初は、普通だったんだよなぁ~。

 ちょっとおどおどしていて、直ぐに赤くなることはあったけど、ここまでべったりってわけじゃないし。


 ……いや、でも待てよ。

 いつもはそこまでではないのなら、朱里がここまで対抗心を燃やすのには何か理由がある筈だ。


 こうなったキッカケは、俺の隣に見知らぬ人がいて……。


 なるほど、といことは——。



「……朱里はなんでそんなに認めたくないの?」

「何のことですか……?」

「……私と柏木さんが友達というのを疑っているのでしょう?」

「………………」



 俺にそう言われた途端、朱里は目を丸くしてぎゅっと抱き着く腕に力が入る。


 やはり図星か……。

 朱里は、柏木の“友達”、“友人”という言葉に反応していた。

 だからそこに何か彼女にとって譲れないものがあったというわけだ。


 黙る朱里が口を開くまで俺はじっと待つ。

 柏木もキッと睨みながらも黙って見守っていた。


 一分ぐらい無言が続き、朱里はようやく「だって……」と呟き、話を始めた。



「私からしたらおかしいと思います」

「……どこがおかしいと思ったのかしら?」

「だって本当の友人であるなら、くーちゃんを責める前にまずは信じないとダメだと思うのです! これじゃ、まるで付き合いたてのカップル。つまり、人間関係が薄い気がするような気がするんですよっ」

「誰がカップルよっ! それに言い合いが出来るんだから、遠慮が要らない関係ってことじゃない」

「…………」


 反論する柏木を朱里は黙って見つめる。

 何かを探るような視線に、柏木は頬を引きつらせた。



「何よ。急に黙って……。なんかおかしなことでもあった……?」

「そんなことないですよ? ただやっぱり、今の反応を見ても柏木さんは怪しいと思います」

「考えすぎ。てきとーな言いがかりは止めてよね……」

「適当ではないです。何故なら、友人以上って言ってますのに名前で呼び合わないのは——どう考えてもおかしいですよね?」



『『あ、確かに……』』と、俺と柏木の心は恐らくシンクロしていただろう。

 柏木の眼には戸惑いと動揺の色が濃く表れている。


 だが、ここで動揺を見せ黙り込むのは非常に不味い。

 ここでの沈黙は、肯定を意味してしまうから……。


 アドリブで乗り切るしかないか……。

 柏木はアドリブが苦手と言ってたしな、事前の相談なしではきついだろう。



「……朱里? 今は仕事中よ?」

「そうですけど」

「……だったら理由は簡単でしょう。友人と言えど多少は気を遣って、いつものように接しないのは当然じゃない」

「それはわかります。柏木さんが敬称をつけて、くーちゃんを呼ぶのは、他の方がいますので……」

「……じゃあ」

「ですが、くーちゃんが柏木さんをそのままと呼ぶのはおかしいですっ!」

「……そういうことね」



 疑問に思ったのはそのことだったのか。

 確かに、俺は朱里と名前で呼んでいる。

 だが柏木は、演じている時も“柏木さん”だ。


 変な壁があるのではと邪推されても仕方ないな……。

 これは俺のミス……だが、このミスは直ぐに払拭できる。


 だって——



「……そ。じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうわね。いつも呼んでるみたいに……」



 そう、名前を呼べばいいのだから。


 もっと複雑な事情だったら拗れると思っていたが……。

 この程度の理由なら解消は容易い。


 俺は、大事ではなかったことにそっと胸をなで下ろした。



「……じゃあ、仕事場でも名前で呼ぶからよろしくね?」

「………………うん、その。よろしくぅ……」



 おい!

 何でそこで全く顔を真っ赤に染め上げるんだよ!?

 普通に流してくれればいいのに、耳まで赤いじゃないか!



「あの、柏木さん? 何か顔が赤くありませんか?」

「そ、そんなことないわよ!? 全然、全く! あーもうっ! 空調の効きが悪いわねーこの部屋は!!」



 誤魔化し方が下手すぎる……。

 何故この場で動揺するんだよ。


 はぁ……これじゃ余計に疑惑が深まって——



「むむっ、こんな可愛いギャップがあるなんて。これはやはりライバルが出現ということですね……。早く白黒つけないといけません……」



 あ、なんか明後日の方向に勘違いしているな。

 かなり悔しそうな表情をしてるし……。


 いっそのこと、百合で押すのがアリか……?

 いや、でも……妙な噂が立って、仕事が減るのも困るから。


 さて、どうしたもんか……。

 俺は俯く二人を横目で見ながら思考を巡らせた。





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