25 錦美咲は変態で苦労人で美少女好き 後編



「じゃあ、早速お願いごとを言ってもらってもいいかな?」

「んじゃ、アタシがお願いしたいことは美咲の仕事にアルバイトを入れたいんだよ」

「バイト……? 私の花園に虫を寄越すというの……?」

「そ。頼むぜ美咲~」



 さっきまで、満面の笑みだった美咲さんから表情が抜け落ちる。

 そしてぷるぷると震えだし、机をバンッと叩いた。



「無理無理! 私は鋼の意思で断固拒否しますっ」



 頰を膨らまし、駄々を捏ねる子供のように「嫌々〜」と拒絶する言葉を口にする。


 紅葉はそんな美咲さんの手を握り、彼女の顔を覗き込んだ。



「なぁ頼むよ、美咲……」

「そ、そ、そんな物欲しそうな目で見たって私の決心は……ゆ、揺るがないわ!!」

「美咲……ダメ?」

「う~! すぐにでも撫でたい~!」



 ……鋼っていうより塵の意思だよな。

 目がめっちゃバタフライして揺らぎまくってるし。



「で、でも私、知ってるからっ。紅葉ちゃんは演技して、私を落とそうしてるってことぐらい!!」

「……そっか。信じてもらえないんだ。ま、アタシの今までの行動を考えれば……仕方ないよな」

「え、あれ? 言い返してこないの……?」

「信用問題は解決って難しいよな……ごめんな、美咲」

「ちょっと、泣かないでよ紅葉ちゃん!! あ〜っ! もうっどうしよ〜!!」



 俺と柏木は、二人の様子を俯瞰するように見ていた。


 ……茶番だなぁ。

 まぁ、そうなるように心を誘導するのが、紅葉の演技なんだけど……。

 自分の姉ながら恐ろしいよ、全く。



「マネージャーさんって揺らぎまくってない?」

「まぁ、美咲さんは美少女の頼みが断れない病気を患ってるからな。ああなるのは仕方ないんだよ」

「確かに、歯を食いしばって何か堪えてるようね……。でも、頼むことってのことよね? いい加減言ったほうが――」



 俺に耳打ちした柏木の声を拾った美咲さんが急に立ち上がり、テーブルの上へと身を乗り出してきた。

 そして、柏木の顔をじーっと見つめる。



「天ちゃん……。それって、ほんと?」

「はい……あの私、バイトを探してて。それで紅葉に……。あ、でも難しければ諦めて——」

「もちろんOKよっ! 採用! 即採用!!」



 右手の親指をぐっと突き出し、満面の笑み浮かべる。

 変わり身が早いな、おい。


 美咲さんは紅葉に近寄り、その頬を突いた。



「もう~それならそうと言ってよぉ~。わざと私を焦らせて意地悪しないでさぁ~」

「突くなよお。つーか、猫撫で声は気持ち悪いぜー」

「ふふ、私にとって美少女からの悪口はご褒美! 寧ろ罵倒してくれてもいいよっ」

「げぇ……。ぶれないなぁ美咲は……」



 紅葉はやれやれと肩を竦めて見せて、嘆息した。

 そして、じゃれついてくる美咲さんから距離をとろうとすると、「紅葉ちゃんのいけずぅ~」と不満そうに頬を膨らませた。


 勝手に話は進んでるみたいだけど、その前に——



「でもいいのか、美咲さん。勝手にアルバイト雇うなんて権限はないだろ? 簡単に口約束をして……」

「ふっふっふ……。確かに、勝手な雇用をする権限は私にはないわ!」

「威張ることかよ、それ」



 ……それだったら、安請け合いしちゃだめだろ。

 変に期待させたら柏木が可哀想だし……。

 ほら、案の定バイト出来ないかもという事実に落胆してるじゃないか。


 その様子を見た美咲さんは、しまったという表情で慌てて口を開いた。



「し、心配しなくても大丈夫よ! 私は、美少女のためなら頭は下がるし、靴を舐めろと言われれば舐めてみせる! 採用担当が『YES』と言うまでは、土下座をやめないからっ」

「いや、柏木には悪いけどそこまではしなくていいからな……」

「いざとなったら脅し――こほん。しっかりと交渉するから任せて!」

「言い直しても不穏な単語は消せてないから。ってか、変なことすんなよ?」

「………………」

「ここで無言はやめてくんない!?」



 美咲さんは俺から視線を逸らして、吹けもしない口笛を吹く。

 口からは「ふー。ふー」と空ぶった音が出ているだけだ。


 そんな年甲斐もない仕草が可愛らしくもあるが、同時にあざとく感じた。

 まぁそれがこの人の魅力でもあるんだけど。


 でも、大丈夫か?

 美咲さんは、美少女のことになると無理するから。

 それがちょっと心配なんだよなぁ。

 変に恨みとか買ってそうだし……。


 そんな俺の心配を他所に、美咲さんは微笑みを柏木に向けた。



「こんなお願い、私にとっては問題ないの。そう全く、ノープロブレムよ。いつも桜士ちゃんと紅葉ちゃんに言われることに比べたらねー」

「そうなんですか……?」

「パシリは当たり前だし、仕事の調整もこんな状況だから大変だし……ぐすん」



 わざとらしく涙ぐみ、どこから取り出したのかわからないハンカチを目に当てる。

 どう考えても演技で嘘っぽいんだが、柏木は白い目で俺を見てきた。


 いや、そんな目で見るなら紅葉もだからな?

 あいつのほうがお願いもわがままだし……。


 美咲さんは、大きなため息をつき手で顔を覆った。

 肩が僅かではあるが小刻みに震えている。


 これを見た大半の人は、辛さで泣いていると思うことだろう。

 現に柏木もそう思ったのか、心配そうな目を美咲さんに向けている。



「そうやって、私をいつも困らせて、追い詰めて…………」

「大丈夫ですか? 私からあの双子にガツンと言って……」

「興奮するじゃないのぉぉおお~っ!!! 私のツボを押さえすぎだからっ」

「うわぁ……」



 まぁ実際は、こんな風に興奮しているだけなんだけど。

 いや、本当に残念な人だよね。

 柏木までドン引きしてるし……。



「とりあえず、天ちゃんのバイトは私に任せておいて!」

「あの、その…………はい。ありがとうございます……」



 少しだけ悩んだ柏木には、何かしらの葛藤があったのだろう。

 お礼の言葉を口にした柏木の目には、決意が宿っている気がした。


 確かに、美咲さんの様子を見ていたら心配にもなるよな……。


「あ、こんな時間! 明日も仕事だし、もう少しいたいけど帰らないと~」

「本当ですね。私も帰らないと」

「そうだ天ちゃん! 私、今日は車だからよかったら天ちゃんを送ろっか?」

「もうそんな時間かぁ。そんじゃ美咲、天のことを頼むわ~」

「いえーい! アイアイマム~」



 頭の横にちょこんと敬礼のように手を当てて、笑みを向けてくる。

 残念なことに鼻息が荒くて、不審者にしか見えない。


 柏木はその様子を見て身の危険を感じたのだろう。

 体をぶるっと震わせた。

 それから、帰り支度を始める美咲さんにおずおずと声をかけた。



「大丈夫ですよマネージャーさん。そこまでしてもらうわけには……」

「何言ってるの! こんな夜遅くに美少女を独りで帰らすわけにはいかないわ。どこに狼が潜んでいるかわからないのよ!! ちなみに断っても無理矢理連れてゆくからっ」

「じゃあ……お願いします……」

「任せて! んじゃあ、レッツゴ~!!」



 断る雰囲気を与えず、柏木を連れ去ってしまった。

 あー……止めることも出来なかったな、悪い柏木。


 俺は見えなくなった柏木に合掌する。

 どうか無事でありますように……。



「……一番危険なのは、夜道じゃなくて美咲な気がするけどなぁー」



 的確なことをぶそっと口にする紅葉。

 俺たちは顔を見合わせて、大きなため息をついたのだった。

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