16 天使の手助け


 ————やばい。


 やばいやばいやばい!!

 完璧にミスった。



 ここで中途半端な嘘をつけば、間違いなく紀人にはバレるし、紀人の戸惑いはクラスの連中に“何かある”と、疑念を抱かせることに繋がるだろう。



 ……だから、嘘はつけない。



 俺は頭をフル回転させて、打開策を巡らせる。

 昼休みの教室、聞く耳を立ててる奴は多くいた。


 そんな人たちをまとめて納得させ————。

 くそ、思考が纏まらない……っ。


 俺は引きつりそうになる顔を、必死になって堪える。



 これは仕事……。

 これは仕事——これは仕事だ!!


 そう暗示をかけるように、自分へと語りかけた。


 俺は、ため息をつくフリをして、深呼吸をする。

 それから肩を竦め、目を少しだけ閉じた。


 他人の目には、『予想外の質問に辟易している』みたいに映ったことだろう。


 けど、今のは違う。

 俺が仕事前に行う“ルーティン”だ。



“深呼吸をして、目を閉じる”


 その動作を行うことで、俺は落ち着き仕事モードに入ることが出来る。



 どんな時も油断してはいけない。

 侮ってはいけない。

 そう思っていた筈なのに……。


 順調に物事が進んでる時ほど、足元をすくわれるということだな。

 これは教訓だ……、次に生かせばいい。


 リスクアセスメントを怠った自分への罰、そしてこれは試練だ。


 そう心に言い聞かせ、改めて紀人を見た。



「え、えっと違うけど? どうしてそんな噂に……?」



 俺は戸惑いの表情を作り、わざと何かを隠すような雰囲気を醸し出す。

 ここを乗り切るには、これが一番だ。



 正直、賭けではあるが……これに賭けるしかない。



 紀人は、「ほぉー」と感心した声をあげ俺を見てくる。



「助けた事実を認めたってことは……。天使さんを抱き抱えて運んでいたっていうのは、本当ってことだよなぁ、、そんな無理して大丈夫なのかよ?」

「そのことだね。うーん、なんと言えばいいか……」

「どうした桜士……。言いづらいなら無理には……」



 紀人は気を利かせてくれたのか、最後の言葉を耳元で小さく囁いた。


 有難い気遣いには、本来だったら涙が出る思いだろう。

 だが、今はその気遣いが逆に不味いんだ!


 話の途中で耳打ち。

 しかもそれをしているのが、仲良くいつも話している紀人だ。


 そうなると周りの心理はこうである……。

『篠宮桜士には、紀人にしか話せない、何か秘密の話がある』って邪推して、妄想を膨らましてしまう。


 そして追い討ちをかけてくるように——



「正直、心配でよ……。桜士が何かやばいことに巻き込まれてんじゃねぇかって……」



 と、俺にしか聞こえないように言ってくる。


 どう見ても、秘密の話をしているようにしか見えない……。


 あーくそっ。

 気遣いは嬉しいけどさっ!


 俺は内心で悪態をつき、時間を稼ごうと——



「篠宮さん、今お時間大丈夫ですか?」



 その声に反応した生徒達がざわつき始める。

 噂の渦中にいる二人が揃ったんだ、興味がないわけがない。

 その証拠に、教室には他のクラスの生徒までやってきて、好奇の目をみんなして俺らに向けてきている。



 ——なんとか、間に合ったか。



 俺は、そっと胸を撫で下ろした。


 このタイミングでの登場。

 そう、俺は紀人と話しながら、さっき柏木に連絡を入れたのだ。


 見ないで操作したから不安はあったが……なんとか、連絡が繋がってくれたみたいだな。



「勿論いいけど、どうしたのかな?」

「この前のお礼を……その、落ち着いてからと思ってましたが、騒ぎになってしまったので……」

「そうだね。まさかこんなことになるなんて。迷惑をかけてごめんね」

「いえ、こちらこそ」



 お互いに頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。


 でもこれは、あくまで今から行うアドリブの合図に他ならない。

 前置きをして、今から行くっていうのをお互いに意思確認しただけだ。


 後は、矛盾が出ないように振る舞うだけ……。

 これが一番難しいが、柏木なら上手くやってくれるだろう。


 ……うん。

 たまに、柏木はポンコツな時があるから不安だけど……今は信じるしかない。



「篠宮さん、今日は顔色が良さそうですね。ではないですか?」

「か、柏木さん! それを言っては……」

「あ、ごめんなさい。私ったらつい、うっかりと」

「……桜士。成果ってなんのことだぁー?」



 俺は恥ずかしそうに顔を赤く染め、自分の腕を隠す。

 それを見た紀人は、ハッとした表情で俺の顔を食い入るように見てきた。



「もしかして……体を鍛えているのか? だから、運べるぐらいにはなったし、心なしか顔も血色がよくて……」



 俺は目を逸らし、それから視線を床に落とした。

 横から「なるほどなぁー」と納得する紀人の声が聞こえてきた。


 そして、はぁと深くため息をつくのが耳に届く。



「水臭いぜぇー桜士。そういうことだったら、隠さずに言ってくれればいいのによぉ」

「紀人……。ほら、これは僕ひとりではなくて……。女性に手伝ってもらってるからさ。男だったら……その」



 口元を腕で隠し、赤面しながら視線だけを紀人から外した。

 そして——



「こんなこと、恥ずかしくて言えないよ……」



 と、消えるような声で呟いた。


 それを聞いた周りからは、「はぁ〜」と惚けるような、うっとりしたようなそんな声が聞こえてくる。


 女子の中には「王子様可愛すぎて辛い!」と、騒ぎ出すやつまでいた。

 さっきまでの好奇の視線から、生温かい目に変わっている。


 ふぅ……これで大丈夫だ。

 どうやら上手くいったみたいだな……。



「私も篠宮さんから、学ばさせていただくことが多いので。あ、これまたお願いします。大変わかりやすくてよかったです」

「うん。ノートをありがとう。こんなんで良ければ幾らでもいいからね」

「では、篠宮さんまた今度お願いします。お手数だとは思いますが……」

「ううん。大丈夫だよ。僕の方こそよろしくね」



 柏木は微笑み、丁寧に腰を折って「失礼しました」と言い、教室を去って行った。



 嘘を言うと、察しのいい紀人には高確率でバレる。


 だが、紀人が勝手に勘違いしてくれるのは自由だし、今回はお互いが嘘を言ってるわけではない。



 成果が出てきた証拠も、学ばせていただくことが多いという発言も嘘ではない。


 学ぶって言葉は“何を”の部分を敢えて言ってないから、周りの人間は以前にあった『力学がどうのってやりとり』から勝手に連想してくれる。


 実際は、“俺の演技から学んだ”ってわけだけどね。

 でも、嘘じゃなければ紀人は納得する筈だ。


 俺は横目で紀人を見る。

 案の定、頭を掻き申し訳なさそうな顔をしていた。



「なんか……すまん、桜士。変に騒ぎ立てたみたいで。それにどうやら嘘はついていないみたいだしさ……」

「紀人は悪くないよ。それにこれは、俺を心配してのことだよね?」

「まぁ……」



 照れ臭そうに笑う紀人に、俺はにこりと笑った。

 なるべく爽やかに、それでいてキメ顔と言ってもいい表情を作る。



「ありがとう。心配してくれて」

「…………」

「どうしたんだい? 黙ったりなんかして」

「まさかと思うが、桜士ってがあるわけじゃねぇよな……?」

「ふふっ。僕は至ってノーマルだよ」



 俺は肩を竦めて見せて、屈託のない微笑を浮かべたのだった。




 ちなみにだが……。

 今回のやりとりの結果でこんな話が流れるようになる。


 篠宮桜士は運動を柏木天に見てもらっている。

 だから、気遣う天使は本当に優しいという話……。


 そして——照れる王子の可愛さは神。


 そんな噂が、新たに広まった。

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