37 まさかの仕事


「……上達したね、天」

「ちょ、ちょっと動かないでよ。ズレたら美咲さんに怒られるんだから」

「……ふふ、悪かったわね」



 柏木は髪の毛をブローする手を止め、照れ臭そうにしながら文句の言葉を口にした。


 柏木がこのバイトを始めて二週間が経っている。

 初日の朱里の一件以外は、特に問題がなく順調と言っていいだろう。


 仕事を覚えるのがとにかく早い柏木は、美咲さんの代わりに俺のメイクや身支度関係を手伝ってくれている。


 その実力は、二週間近く美咲さんに教わっただけでプロ顔負けとなっていた。

 あまりの飲み込みの早さに、美咲さんが『天才と凡人の差は……はぁ、悲しみ』と落ち込んでしまうほどだ。


 だが、美咲さん一人で対応していたものが柏木に少しずつ分配されて、かなり楽になったらしい。


 その点では、アルバイトとして来てもらったのはかもしれない。

 まぁ困った点があるとすれば、朱里が前以上にぐいぐい迫ってくるぐらいだ。


 くっつく、抱きつくとか……。

 いや、マジで避けるのが大変なんだよね。



「あ〜もう! 今日はなんなのよー!



 控室のドアざ勢いよく開け、美咲さんは入ってくるなり叫んだ。

 椅子にどかっと座ると、まるでヤケ酒をするようにペットボトルの水を飲む。


 それから机の上で項垂れて、はぁと大きなため息をついた。




「……美咲さんどうしたの?」

「なんかスケジュールトラブルを起こしてるみたいで、責任がどうとか……はぁぁ」

「……仕事の予定で揉めたのね」

「そうなのよ。なんかこっちが把握していたのと違うし……。私じゃなくて他の人も……。とにかく、色々と揉めているのよぉ〜。こっちもやることたくさんあるのに……やになっちゃうわー」



 美咲さんは、足をバタつかせて子供のような仕草をとる。

 そういった子供みたいな行動をするときは、元気がある時だが……。


 表情には疲れの色が見て取れて、明らかに空元気であることが窺えた。

 その様子を見た柏木が、自分の手帳を持ち美咲さんの横につく。



「あの、美咲さん? 私に出来ることがあったらやっておきましょうか?」

「でも美少女の撮影を見れないのは辛いし……。ここはいっそのこと、天ちゃんに相手会社との交渉を…………ぎゃっ!?」

「……高校生に何をやらせようとしているのかしら」

「ほお、ひぃぱりゃにぃでー(頰を引っ張らないで〜」



 俺に頰を引っ張られ涙目になる美咲さん。

 けど、少しだけ嬉しそうに口角が上がったから、俺は反射的に手を離した。


 美咲さんは、僅かに赤くなった頰を摩りニコニコと笑みを浮かべる。



「ゔぅ〜痛いわよ〜」

「……その割には嬉しそうだけど?」

「よくわかってるわね、紅ちゃん! 美少女の叱責は私の動力源!!」

「……はぁ。相変わらずね、ため息しか出てこないわ」

「や〜ん、褒めても何も出ないわよ〜」

「……褒めてない」



 俺はため息をつき、肩を竦めた。

 それから、真剣な表情で美咲さんを見る。



「……まぁでも真面目な話。無茶振りをさせるのはダメよ。それは高校生に責任を負わせるには無理な案件でしょ?」

「……わかってはいるけど、撮影を見たかったのよぉー……」

「じゃあ、様子を撮っておきましょうか? 紅の状態をチェックしたいと言えば、その部分だけ撮影大丈夫かもしれませんし」



 今にも消えてなくなりそうなぐらい落ち込んでいた美咲さんだが、柏木の提案を聞いた途端、姿勢がピーンと伸び勢いよく何度も頷くぐらい元気になった。

 ……変わり身早いな、おい。



「グッジョブ天ちゃん! 仕方ないからそれで行くわ!!」

「……美咲さんにデータとして渡すのは不安になるのだけど」

「でも、データなんてチェック以外、何に使うのよ。マネージャーなら当たり前でしょ?」

「……まぁそうね。それは色々と……。とりあえず美咲さんが艶々として戻ってくるとだけいっておくわ」



 俺の言ったことがわからないのだろう。

 柏木は『どういうこと?」と言いたげに可愛らしく小首を傾げた。



「……天はほんと純情ね」

「何よ。褒めても何もないから」

「……言い換えれば無知とも言えるけど」

「バカにしてるのね!?」



 怒ったような顔をして俺を見てくる。

 それを俺が「なんのこと?」と惚けてみせると俺の脇腹を小突いてきた。


 ……軽くなのに絶妙に痛い。



「じゃあとりあえず、天ちゃん。後はよろしくねぇ。何かあったら連絡をして……今日は、帰りまで捕まらないかもだけどぉ……」

「わかりました! 精一杯頑張りますっ!」

「お願いね〜」



 息巻く柏木を見て、一抹の不安を感じながらも『まぁ何かあったらサポートするか』と俺は嘆息した。



 ◇◇◇



 仕事が始まり、スタジオに向かう。

 いつも通りの場所なのに何故か今日は雰囲気が違い、少しピリピリしているように感じた。


 ムードメーカーの美咲さんがいないもんな……。

 ちょっと空気が重くなるのは仕方ないか。


 俺はそう思いながら、撮影場所近くに用意されて椅子に腰をかける。

 その横に柏木がピシッと背筋を伸ばして立った。


 いつもは美咲さんのポジションにいる柏木は、かなり緊張しているようだ。

 何か、ほぐれるようなことを——



「こんにちは紅君。今日もよろしくお願いしますね」

「……こんにちは。よろしくお願いします」



 突然、背後から声をかけられ俺は、反射的に挨拶を返す。

 そして声の主を視線に捕らえると、現場の妙な緊張感の理由を理解した。



「……今日はこちらにいらっしゃったんですね」

「ええ。今日はこっちに大事な用がありますからね。それでこちらに来たわけですよ」

「……お手柔らかにお願いします」

「はは。謙遜しなくていいよ。僕は君に期待していますからね」



 この男は葛城プロデューサー。

 事務所内でそれなりに発言力を持つ人物だ。


 仕事に対してかなり厳しく、けど実績は出すため文句は言えない。

 そんな人物だ。


 ……この人がいたら萎縮するよなぁ。


 俺はこの人が正直なところ苦手だ。

 値踏みをするような、人を人と思っていないように見えるその視線が……。


 まぁ、この人がいるならスタジオのセットも変わるか。

 だからこそ、自分好みの夏撮影セットを……うん?



「どうしました、そんな怪訝な顔をして。何か疑問がありましたか?」

「……あの。何かスタジオのセットがいつもと違う気がするのだけど」

「ああ、なるほど……そのことですか。けど問題ありませんよ」

「……それって、どういう」



 頭の中でアラートが煩く鳴り響く

 このスタジオのセットを見てからずっと感じていた胸騒ぎが、現実となりつつあった。


 聞いてはいけない。

 今すぐ逃げろ。

 と、頭が訴えかけてくるが……。

 そんな、油断から足が動かなかった。



「紅君。今日のあなたの仕事は水着撮影です」



 葛城プロデューサーから言われた思い掛けない仕事の内容に——俺は絶句せずにはいられなかった。

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