36 帰り道でのお話 


 仕事が終わった俺と柏木は、青々と生い茂る桜並木の道を歩いていた。

 夏であるにも関わらず、この道には熱風ではない心地よい風が吹いている。


 夏特有の照りつくような日差しは、葉のお陰で大半は防がれ、木漏れ日が光の道のように数本あるだけだ。

 時折、その光が柏木に当たり、さしずめ天使降臨と評してしまいそうな絵になっていた。


 俺が彼女を横目で見ると、髪を耳にかけ、木々の隙間から漏れ出る光を目を細めて眺めていた。



「篠宮くんって、いつもこんな感じなの?」

「ああ。帰りはなぁー」

「大変だね」

「こんなの慣れだよ。俺がやりたくてやってることだし」



 行きは美咲さんが家まで迎えに来るが、帰りは少し離れた商業施設で降ろしてもらっている。

 そこから三十分ほど歩き、自宅に帰っているのだ。


 勿論、帰る時は紅ではなく、篠宮桜士になって帰る。

 こんな面倒なことをするのも、尾行やストーカー対策の一環だ。


 どこで身バレするかわからないからな……。



「まっ、柏木。とりあえず、バイト初日はお疲れさん」

「……うん」

「なんか元気ないけど、やっぱ疲れたか?」

「そーね……。慣れないところだったから流石に疲れたわよ」



 柏木は「ただ、それだけ」と素っ気なく言う。

 しかしそれでも、どこか元気がなくて、俺を避けているに見えるのは事実だ。

 車の中からそんな調子で、あれから何度も考えてみたが、やはり彼女がそんなふうになってしまうような理由に、心当たりはない。


 俺の取り越し苦労って可能性も勿論存在するがけど。



「帰りは着替えるのね。てっきり、違う女装で帰ると思ってたけど?」

「まぁ、そうするときもあるが……。夏場は隠し辛くなるし、色々と厳しいからなぁ」

「でも、だからって私の横で着替えないでよ……さっき」

「悪い悪い。けど他に着替える場所がねーからさ。ってか、下着を脱いだとか素っ裸になったわけじゃないからいいだろ別に」

「それはわかるけど。あんなところで着替えたせいで、美咲さんの運転が乱れたから、怖かったのよ……」

「ま、あの病気もいつものことだ……けど、それはすまん」



 美咲さん、俺が着替える度に鼻血を出すからな。

 恍惚な表情でうっとりとしている姿は、色々と心配になるよ……。


 いつも無事に帰れてるのか?

 まぁ、何食わぬ顔で翌日来るから大丈夫なんだろうけどね。


 そんなことを考えていると、いつの間にか並木道を抜ける。

 さっきまで、遮られていた日の光が一気に降り注いだ。


 柏木は手をかざし、ため息をつく。



「それにしても暑いわよねぇー。太陽出てくんなって感じ」

「わかるわかる日焼けとか困るしなぁ~。肌が荒れないように後で手入れしとかねーと」

「言ってることが完璧女子ね……。その女子力の高さには感服よ」

「いやいや~そういう柏木も女子力高いだろ? 朱里が他の女子を認めるなんて中々ないし。なんだっけ、嫁力だったか?」

「ふんっ。知らないわよそんなの。それに朱里ってば、あの後しつこく付き纏ってきて大変だったんだから!」



 文句を口にしながらも、口角は上がっていてどこか嬉しそうである。

 嫌というよりは照れ隠しみたいだな。

 相変わらず素直じゃない。


 一日で無事打ち解けたようで、朱里は柏木にべったりくっつくようになっていた。

 その日のうちに、料理を教えてもらう日付を決めたんだとか。


 ……朱里の行動力と向上心が高さには、正直驚かされてばかりだ。

 帰り際にも『美味しく作れるようになったら、お弁当を持ってきますからね!』と、鼻息荒くしながら宣言してくるぐらい、随分とやる気もあるようだしね。


 とりあえず、これからは柏木がうまく朱里を相手してくれれば万々歳である。

 仕事先での心配事は、ほぼなくなったと言ってもいいだろう。



「まぁ柏木、連絡先が増えたのは良かっただろ?」

「……うん。まぁないよりは……」

「嬉しいくせに、素直に認めろよなぁ~」

「うっさい! 別に欲しくて貰ったわけじゃないんだからねっ」



 腰に手を当て詰め寄るような姿勢で俺に言う。

 なんともわかりやすいその反応に俺は、思わず苦笑してしまった。


 反応だけはツンデレっぽいんだよなぁ~。

 でもこれに対してツッコミを入れると怒るから、言わないけど……。


 俺は柏木の横顔を何度か見る。

 そしてツンケンした雰囲気が収まった時、何か思い出したのか「あ、そろそろ……」と、呟いた。



「なんかあるのか?」

「うん、ちょっと寄りたいところがあって……寄ってもいいかな? 外から眺めるだけでもいいから!」

「紅葉が腹を空かせると面倒なことに……まぁまだ時間あるし、大丈夫か。んで、どの店?」

「あそこのペットショップ!」

「おっけーおっけー。じゃあ、コンビニに寄った後、俺もそこに行くよ」

「わかった!」



 おやつを目の前にした子供のような目を輝かせた。

 さっきまで暑さで足取り重くなってきたのに、軽快に俺の元から去ってゆく。


 俺は遠ざかる彼女を背中を眺め、子供っぽい彼女の仕草を思い出すと妙に微笑ましい気持ちになったのだった。



 ◇◇◇



 コンビニでアイスを買った俺は、柏木がいるペットショップに向かう。

 店の前に行くと彼女は外でしゃがみ込み、中を真剣な表情で眺めていた。


「可愛いなぁ」と何やら集中して見ている柏木は、呼んでも全く反応しない。

 そこで俺は、買ってきたアイスを彼女の背後から首に当てることにした。



「冷たっ!? ちょっと何すんのよ!」

「ほら、柏木の分のアイス」

「あ……ありがと。でも普通に渡しなさいよね」

「悪い悪い。無邪気な顔で見てたから、ついな」



 俺は二つに分けるタイプのアイスを取り外すと、片方を柏木に渡した。

 不満そうに口をへの字に曲げながらも、彼女はアイスを受け取るとそれをそのまま口に運ぶ。


 夏場のアイスは実に美味いな、うん。



「篠宮くん見て見てこの子、可愛いでしょ?」

「えっと、犬?」

「そうよ! めっちゃ可愛いわよねっ!!」



 その犬を指差しながら、俺の服を引っ張り同意を求めてくる。

 テンションが高く主張する彼女が、俺にはそっちの方が可愛く見えた。


 まぁだが、そんなことを勿論言えるわけないんだけど。



「えっと。似てる犬が色々いる気がするけど……雑種か?」

「違うわよっ! 確かにこの子毛が長くて一般的ではないけど、れっきとしたコーギーなんだから」

「でも、見た目はパ〇ヨンだよなぁ~」

「わかってないなぁ~。そこがまた可愛いの!!」



 一般的なコーギーって、毛が硬そうでそんなに長めのイメージはないが、柏木が見ているコーギーは毛が長くてふさふさ、そしてちょっと大きめだった。


 まぁでも、確かに可愛い。

 別に泣いているわけではないだろうが、潤んだように見える犬の目が真っ直ぐにこちらを捕らえ、見つめてくる。


 その姿は某CMを彷彿とさせた。



「この子は私の癒しなんだぁ」

「癒しってことは、よく来るのか?」

「井戸に行けなかったときは大体ここに来てたし……あ、もちろん両方に行くこともあるわよ」

「井戸セラピーとアニマルセラピーってことね」

「そういうこと。一年生の時、疲れてるときにこの目で見つめられてね……。それから癒しを求めてはここに行くようになったの」

「まぁ、確かにめっちゃ視線を合わせてくるが……」

「見つめられるといいわよね~。もう撫でまわしたくなる」



 えへへ〜と笑う彼女を見ていると自然口元が緩む。

 だが、同時に心配ごともできた。


 ストレス解消って他には存在しないよな?

 変にボロを出していることがあったら、フォローし切れないんだけど……。



「なぁ柏木、疲れてるからと言って色々とはまるなよ? 喩えばホストとかさ」

「はまるわけないでしょ!?」

「いやいや~、動物に直ぐ入れ込むあたり怪しいぞ。知らず知らずの内に貢いだりしてそうだ」

「しないわよ!」



 声を荒らげて否定する彼女だが、そういう人ほど危なかったりする。

 悩みを聞いてもらったりしている内に、ころっと絆されてゆくのはよくあることだ。


 まぁ、でもそんなことより——


「なぁ、柏木」

「何よ」

「……なんかあったのか?」



 何か憂いているような、考えるような……そんな仕草。そして、ストレス解消という名目でこの場所に来た意味。


 それを考えると、何か彼女にあったと思ったのだ。

 そんな俺の問いに柏木は肩を竦めた。



「別にバイト終わって気が抜けただけ。初バイトって緊張すんのよ、あんたと違って度胸があるわけじゃないし」

「いや、それはわかるがそうじゃなくて」

「じゃあ、何よ」

「バイト終わってから、なんか違和感を感じるんだが……。朱里になんか言われたとか?」



 丁寧な口調で接してくる朱里は、人との付き合いに一線を引くことが多い。

 そんな朱里がやたらとべったり……。


 何かあったと思うのが普通だ。

 俺の考え過ぎということもあるけど。


 柏木は、下から俺の顔をじっと見る。

 そして、おかしそうにくすっと笑うと、



「考えすぎよ、バーカ」



 舌をちょこんと出してみせた。

 そんな仕種に思わずつられて、自然に頬が緩んだ気がした。



「じゃあ早くいこ。紅葉がお腹空かせると不機嫌になるんでしょ?」

「あ、やべ……。んじゃ、急ぐか。ほら——」



 俺はしゃがんでいる柏木に手を差し出す。

 すると彼女は少しだけ躊躇いを見せてから、立ち上がるのに俺の手を握った。



「魔性の女がいるなら、あんた魔性の男ね」

「なんだよ、それ」

「ううん。こっちの話」



 なんでもないと、そんな顔をする彼女が俺には妙に引っ掛かりを覚えたのだった。

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