09 天使は毎日大忙し
あれから二週間が経った。
その間は、特に柏木が自爆することも、俺がミスることもなく、平穏と言っても差し支えのない日々を送っていた。
俺と柏木の噂は大きくはないが、“もしかしたら”程度には疑われている。
ここで急に話さなくなると、違和感しか生まないことから勉強の話だけは人前でそれとなくするようにしていた。
まぁ、そうは言っても人前で話す内容は事前に示し合わせたモノなので、ただ単に演技をしているだけ。
その方が、アドリブがあまり得意とは言えない柏木にちょうどいいと思ったからだ。
だからあれからは違和感なく、少しずつやりとりをしている。
徐々に仲良くなっているように見えるような、印象操作だ。
「いや〜桜士! 今日も天使さんは凄いなぁ。相変わらずの人集りだし、さっきは用務員さんの手伝いとかもしてぞ」
「あの頑張りは、僕にも真似できないよ。“圧巻”の一言に尽きるね」
「だよなっ! まさに慈愛の女神……、あれだけ可愛くて性格もいい子が世の中にいたんだって、驚きしかねぇよ! マジでみんなに愛され過ぎだ」
「ふふ、そうだね」
……性格がいいかはわからないけどな。
バレたら容赦なく脅しをかけるようなやつだし。
けど、その奉仕の精神だけは認めざるを得ない。
嬉々としてやっているわけではないと思うが、高一から今までずっと続けられるほど、我慢強いのは事実だ。
何か打算的な考えはあるんだろうが——俺だったらこんな面倒なことはしない。
人の手伝い、奉仕に努めるということは、人に関わる機会をそれだけ増やすことになる。
人と接する機会が増えれば増えるほど、演技は見破られる可能性に気を付けないといけない。
当然、引くに引けなくなる。
柏木のように、天使や女神と他学年からも認められる存在になってしまうのは、失敗した時にそれだけリスクが高くなってしまう。
それは柏木だってわかってそうなんだけど。
なんか意図的に、全校生徒に存在を知らしめている節がある気がしていた。
まぁ、あくまで最近接してきて感じたことで、確証はないが……。
俺がそんなことを考えていると、紀人が「あ」と思い出したように声をだし、それからため息をついた。
「紀人、どうかしたのかな?」
「いや、天使さんにも天敵がいるってこと思い出しちゃって……」
「それは知らなかった……。誰なんだい?」
俺は首を傾げ、初耳と言いたげな表情を作る。
聞かなくてもわかる……。
十中八九“遠藤先生”のことだろう。
「いやな、英語担当の遠藤先生が天使さんにめっちゃ厳しいって噂なんだよ」
「……噂?」
「あくまで噂だけどな。天使さんが課題提出をよく先生に出しているのを見るから、もしかしたら特別課題を課せられてるんじゃないかって」
「そうなんだ」
噂っていうのは妙だ。
紀人は顔が広い方で、交流関係も幅広い。
そんな人物が噂だけ……。
確かに、噂だけを聞いたら『周りの人に気を遣って、柏木さんを特別扱いしているのを隠し、成長させるために課題をこそこそと出させている』って考えるのが普通だ。
柏木が嫌な顔をしているのを見ないから、余計にそう思うことだろう。
——柏木の話を聞く前だったら。
聞いてしまった後だと、遠藤先生が面倒見の良い先生という前提が揺らいでいる気がする。
俺も直接見たわけではないから、判断はつかないが……。
「それだけ期待されているっていうのは、凄い話だよなぁ。あの先生って結構凄いらしいし、色々求められるっていうのは、認められてることだろうからさ」
「体育会系的な考え方だね」
「俺的にはびしばしと鍛えてくれって感じだ!」
「ははっ。それは紀人らしいね」
俺は微笑みかけ、からっと爽やかな笑みを浮かべた。
……やっぱり。
周囲はそういう判断だよな。
◇◇◇
——それから数日経ったある日の放課後。
俺は家に帰らずに、生徒があまり来ない所に隠れるようにしていた。
と、言うのも柏木の一週間の奉仕の流れ、時間帯的に通るルート、それから人通りが少ない時間と場所。
それらを加味した上で、ここで待っている。
人を疑うのは気分がいいモノではないが……、ここ数日は同じように潜んでいる。
——柏木に内緒で真意を確かめているのだ。
まぁ、これで何も見つからなければ杞憂なだけってことで、別にいいんだが……。
だが、すぐに杞憂ではなかったことを思い知ることになった。
「柏木さんちょっといいかしら?」
「はい先生。どうかしましたか?」
いつも通りの笑みを崩さない柏木の表情。
それに対して、先生の目は酷く冷たいものに見えてしまった。
「この前の答えだけど、私が教えた内容じゃないわよね?」
「確かにそうですけど……」
「ふんっ。やっぱりそうね。私が教えた内容以外で書くなんて何考えてるのっ!!」
「すいません……」
「いくら勉強できるからって、やっていいこととダメなことがあるわ。だから……この英作文は全てやり直し。今までのも全部ね……」
「……そんな」
「柏木さんって字も汚いし読みづらいわ……あ、そうだ」
先生は何か思いついたのか、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。
そして、袋から紙の束を取り出すと、それをそのまま柏木に手渡す。
「パソコンで全部打ってきなさいよ。その方が癖がなくていいわ」
「私、パソコンを持ってないのですが……」
「やらない言い訳をしないで。じゃあよろしく」
呆然と立ち尽くし、先生の背中を見つめる。
握る拳には力が入っているようだ。
「なんでよ……。なんで私だけ……」
彼女はそう呟き、俺が身を隠している曲がり角を素通りし、走り去って行った。
目には大粒の涙を滲ませて、口元は歪んでいた……。
俺の横を通り過ぎたのに、気が付かないほど心が乱れているようである。
——嫌な姿を見てしまった……。
あんなのを毎回開けてたら愚痴のひとつも言いたくなるよな。
「仕方ない……」
俺は腰に手を当て、それから天を仰いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます