第39話 食べ物に釣られて恋人のフリをする
「――というわけで、助けてほしいんだ」
「はぁ? 何それ」
一樹の説明を聞き終えてた明日夏は、呆れたように尋ね返した。
彼の話を要約するとこういうことだった。
一樹には、十二歳も年の離れた姉がいる。もっともその姉は高校を中退して駆け落ち同然に家を出たということで、幼かった明日夏が一樹の家に遊びに行くころには家にいなかったので、明日夏とは面識がない。
経緯はどうあれ、その姉は今では一樹の両親とよりを戻して、生まれた娘を連れて、たまに家に訪れるとのこと。
問題なのはその娘。高校生の年齢で子供を産んだということもあって、もう11歳。一樹とは妹のような年齢差だけど、叔父と姪という間柄になる。
「その子、しずくちゃんって言うんだけど、小さい頃から妙に懐かれて、いわゆるお約束の『大きくなったら、おじちゃんとけっこんする!』って言うような子で。まぁ俺も子供の言うことだし、楽しみにしているよ、みたいな感じで返していたんだけど、この年にもなってもまだ本気というか……さらに悪化したみたいな感じで」
「ふぅん。それは大変だねー」
そのしずくちゃんが、夏休みを利用して一樹の家に泊まりに来ているとのこと。それに苦労している一樹が、明日夏に相談しに来たのだ。
「実はしずくと話しているうちに、じゃあ恋人がいるのか、って話題になって、いるって答えちゃったんだよ。そしたら連れてこいって言われてさ。なもんで、その役をぜひ」
「ぼくにメリットは?」
友人の話でも妥協をしないのが明日夏クオリティ。女の子という立場を安売りしないのだ。
「明日夏が見たいって言っていた野球のアクション映画があるだろ。あれをデートと言う口実で一緒に見に行く。もちろん、チケット・飲食代金は俺が全部持つ」
「のった」
明日夏は即答した。
女の子なので、おごりという言葉に弱いのである。……たぶん。
☆☆☆
というわけで、明日夏は久しぶりに一樹の家へとやってきた。
そういえば、春先はちょくちょく気軽に遊びに行っていたけれど、女の姿になってからは、まだ来ていなかったので、少し懐かしい。
「あらあらあら。あの一樹が、和佳ちゃん以外にもこんなに可愛い子と知り合いなんて。あらまぁ。おほほ。やだぁ。おかーさん、どーしましょう?」
玄関を開けてくれた一樹のお母さんが、明日夏の姿を見てテンパっている。一応これからデートに行くという設定なので、明日夏の方もそれなりにめかしてきたのも関係があるかもしれない。
一樹のおばさんって、こういう人だっけ?
明日夏が圧倒されていると、おばさんはふと気づいたように言った。
「あら、そういえば、どことなく明日夏くんに似ているわね……」
「え、えっと……」
「あ、似ているのは、明日夏のいとこだからじゃないかな」
ようやく家の奥から一樹が顔を出して助け舟を出してくれた。
「そうなんです。えっと、飛鳥あさひと言います。飛鳥が苗字なので、ややこしいですけど」
明日夏はとっさにそう誤魔化した。いつか和佳が友人たちに言ったことの真似だが、もうネタのようなものだ。
「あら、そうなの」
「ええ。そうなんです!」
そんなこんなであいさつを交わし、おばさんの熱っぽい視線にさらされつつも、一樹の後に続いて彼の部屋へと向かった。
「……まったく、またあさひ役をするとは思ってもいなかったよ」
「あはは。悪い悪い。ちょっと先に話をしておいたら、玄関前でスタンバられて先を越されたんだ」
一樹が悪びれずに笑った。
明日夏はため息をつきつつ、聞いた。
「で、例のしずくちゃんは?」
「部屋にいる」
一樹が疲れた口調で言うと、扉が閉められた部屋のドアを開けた。冷房の冷気がさぁっと身体にまとわりつく。
懐かしの一樹の部屋は、前来たときとほとんど変わっていなかった。
そんな、ザ・男子高校生の部屋って感じで散らばった部屋のベッドの上に、ショートパンツ姿で素足の肌色がまぶしい女の子が我が物顔で座っていた。
「……ふぅん。あなたが、一樹おじさまの彼女さん? ふぅん」
じろじろと、明らかに値踏みするような視線を明日夏へとむけてくる。
今まで女子になってからも、他の女性陣との交流をなるたけ避けてきたので、こういう視線や対応に慣れていない明日夏は、やや気後れしてしまった。
一樹の姪のしずくは、小学生とは思えないほど成長しており、露出の大きい服装からは、ちょっとギャルっぽい印象を受けた。
上背も、背の低い明日夏とさほど変わらないほどだ。とはいえさすがにおっぱいの大きさは、現時点では明日夏の方が上回っていた。
なので、明日夏はつい妙な対抗心を燃やして言った。
「ふぅん。あなたが、一樹が言っていたしずくちゃんね。子供っぽくて可愛いわねぇぇ」
明日夏は、あえて胸のふくらみを強調するように胸を張って、大人の余裕を見せつけてみた。
「よろしくね、おばさん。おばさんも高校生の割には子供っぽいねー。そんな身体つきしているんじゃ、すぐしずくの方が追い抜いちゃうかもー」
「ぐぬぬ……」
女の子になって、特にこの容姿や体格に不満はなかったけれど、今はそれが妬ましい。
「で、あなた本当におじさまの彼女さん? もうキスはしたの?」
「いいえ。あたしたちはプラトニックな関係ってお互いに決めているの。何でもかんでも肉体的接触で優劣を語ろうなんて……お・こ・さ・ま♪」
「むぅぅ」
明日夏も言いたい放題である。
「あー。とりあえず、予定通りさっそく映画を見に行くか」
一樹が申し訳なさげに間に入ってきた。
「うん。行こう」
「あたしも付いていくわよ! おじさまにと本当にお付き合いしているのか、ちゃんとふさわしいのか、チェックしてやるんだからっ」
しずくが叫んで立ち上がった。
予定通りの展開とはいえ、明日夏は疲れたようにそっとため息をついた。
おばさんの生暖かい視線に見送られ、明日夏は一樹としずくとともに家を出て映画館がある駅前へと歩いて向かう。
一樹と明日夏が並んで前を歩き、その後ろからしずくがじっと二人の様子を監視しているという形だ。
「それにしても、一樹。ずいぶん好かれてるねー」
明日夏は後ろのしずくに聞かれないよう一樹に顔を近づけて小声で言った。
後ろから見れば、恋人っぽく見えるかもしれないし。ちょうどいいだろう。
盛って言っているのだろうと思っていたけれど、まさに一樹の言う通りの子である。
「……まぁ可愛いし、悪い気はしないんだけど、ちょっと度が過ぎているというか。まだガキんちょだし。そもそも叔父と姪の関係って、アウトだろ」
「だったら、いっそのこと海斗でも紹介してみたら? きっと血の涙を流して喜ぶよ」
「さすがにそれは。なんだかんだで可愛い姪を生け贄にはできない」
「まぁ、そりゃそうだよねー」
「ま、それは置いといて。せっかく恋人同士のフリをしているんだから、手ぐらいつなぐか?」
「残念でした。ぼくたちはプラトニックな関係っていう設定なんだから、おさわりは厳禁だよ」
「まぁまぁ、手ぐらいならいいだろ」
「ちょ、ちょっと」
強引に一樹に手を握られ、明日夏は思わず赤面してしまった。
さすがにこの状態で振り払うのは不自然になってしまうので、仕方なく握ったままだ。
それにしても、自分が女になっているからか、一樹の手がやけに大きく感じた。
そんな二人の様子を、後ろから、じっとしずくが見つめていた。
☆☆☆
映画は面白くて、明日夏は熱中してしまった。スクリーンを見ていればいいので、一樹の相手をする必要もないし。
そんなこんなで、上映終了後。明日夏はトイレへと向かっていた。
こういう時間帯だとたいていトイレは混むもので、特に男子トイレと違って女子トイレは行列ができるほどだ。
さすがに最近は明日夏も慣れてきた。
それに映画の余韻もあって、明日夏は浮かれ気味だ。
「……ずいぶんご機嫌ね」
「うん。だって面白かったじゃん。特にあのパスボールから、一気に三塁を回って、タックルでトライを決めたところ、最高だよねっ」
後ろに並んでいるしずくに向かって、明日夏は熱く語る。
「……野球が途中からラグビーに変わっているところが謎だったじゃん」
「そこがまたいいだよっ。ああいうハチャメチャなストーリーの作品って、ぼく好きなんだ」
「へぇ。変わってるわね」
「あはは。そうかも。ぼくもちょっと自覚しているし」
明日夏は手を頭に当ててからからと笑った。
「ふぅん。あなたって、地では「僕」って言うんだ。へぇー」
「あっ」
明日夏は気づいて慌てて口を押さえたけれど、もう手遅れだった。
このまま一気にねちねちと責められるのかなと明日夏は覚悟する。
けれど意外なことに、しずくは今までの一樹の横で向けていた敵意の表情ではなく、面白おかしそうに頬を緩ませた、笑顔だった。
「あはは。そっか。おじちゃんの前では猫かぶってたんだ。って、あまり隠せてなかったけどねー」
「え、えっと……」
「そこまでするほど、おじちゃんのことが気になるってことかなぁ。うふふ。なんか可愛いー」
今までと違う反応に明日夏が戸惑う。
そんな明日夏の様子を見て、しずくが笑って告げた。
「大丈夫。安心して。あたしがおじちゃんのことを好きってのは、嘘だから」
「……は?」
明日夏の目が点になった。
「えへへ。実はおじちゃんから頼まれたんだ。あなたと仲良くなりたいから、あたしがおじちゃんのことを好きっていう設定にして、嫉妬させてやれ、って」
「……ふぅん。なるほど。そういうことか……」
明日夏が低い声でつぶやいた。
その反応を見て、しずくも状況を理解したようだ。
「あれ? もしかして、あなたも?」
「うん。ぼくは逆に一樹から、しずくちゃんに迫られて困っているから、ぼくに今日一日恋人のフリをしてくれって言われて……」
「なるほど。そういうことだったのね……」
「うん」
明日夏としずくは無言でうなずいた。
トイレを終えて戻ると、シアターホールの入り口のところで、一樹が待っていた。
「よ。お昼はどうする?」
「そうだねー。どこでもいいけれど、とにかく高いお店がいいなぁ。回らないお寿司屋さんとか。もちろん、一樹のおごりで。だって恋人のフリをしないといけないし」
「うん。そうそう。あたしもおじちゃんラブのフリをしなくちゃだから一緒に付いていかないといけないよねー」
うげ、っと一樹が顔をしかめた。
――もちろん、自業自得だけど。
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