第27話 男に戻った(一時的に) 前編


 それはいつもの学校帰りのことだった。

 明日夏は一人商店街を通って駅へと向かっていた。

 一樹はバイトのため先に帰っており、明日夏は委員会の仕事でいつもより少し遅い時間だ。

 別にいつも一緒に帰っているわけでもないので、こういう日の方が普通である。

 女子になってしまった直後は、女の姿で一人歩くのは心細く一樹に無理やり付き合ってもらっていたこともあったけど、今では普通に町を歩けるようになった。


「へぇ。こんな服もあるのかぁ」

 明日夏は歩みを緩め、商店街の一角にある女性服がメインのショップをのぞき込んだ。学校帰り(女装設定)の状態で女性服を買うわけにはいかないけれど、こうやって目をやるくらいは大丈夫だろう。

 男のときや女子に成り立てのときは、店前にある下着姿のマネキンに恥ずかしがっていたけれど、今では平然とチェックできるまでになった。

 

「もうすっかり慣れた感じですね」

 そんな明日夏に向け、誰かが、やや高めの声色に丁寧な口調で話しかけてきた。

 もしかしてナンパ? と明日夏は一瞬身構えたけれど、声の主は小学校高学年くらいの少年だった。白いシャツに黒の釣り半ズボンという、どこかの私立校の制服のような姿をしている。

「ん、何が?」

 とりあえずナンパじゃなさそうなのにほっとした明日夏は、年上のお姉さんっぽく、余裕を持って聞き返してみた。

 すると少年は微笑んだまま、明日夏を見上げるようにしてさらりとそれを言った。

「はい。姉がその場の勢いだけで、女の子にしてしまったと聞いて、どうなのかなと心配していましたが」

「へっ、お姉さん?」

 明日夏はきょとんと首を傾げ、それからことの重大さを理解した。

「えっ、ちょ、ちょっと待って。それってまさかーー」

「はい。そのまさかです」

 少年はにこりと笑った。



  ☆☆☆



 明日夏と少年は近くの公園に移動した。

 一樹や彩芽たちがいてくれたら心強いんだけど、彼らを呼んでいるうちに少年がいなくなってしまうかもしれないし、そもそもこれは自分の問題だ。

 とにかくこのチャンスを逃がさないよう、慎重に少年を観察しながら、人気のない公園のベンチに腰掛けた。


「えっと……それじゃ早速聞きたいことがあるんだけど」

「はい。何でしょうか」

「うーん。まずは君の名前とお姉さんの名前と……あと君たちがどういう存在で……目的は何なのか……あと」

「まずは、と言いつつたくさん聞きますね」

「あっ、ごめん」

「いえ。構いませんよ。まずは僕の名前ですが、ちくだうあためこるつじみといいます。姉の名は、んぬむ」

「え?」

「もう一度言いましょうか?」

「……ううん。いい」

 明日夏は首を横に振った。

 とても覚えられるような長さじゃないので明日夏は早々にあきらめた。もしかしたらふざけて言った適当な名前かもしれないし。もう一度言われても、微妙に一文字変えられていたとしても、分からないし。

 一方姉の方も三文字なのに、微妙に発音しづらい。しりとりは強そうだけど。

 そんな分かりやすい明日夏の反応に、少年(名前はスルー)が笑った。


「ははは。そりゃ住んでいる世界が違いますからね。奇妙に感じるのは当然ですよ」

「世界が違うって、それってやっぱり神様みたいな存在ってこと?」

「んーどうでしょう。いわゆるあなた方が信仰している神とは違います。むしろあなたに説明するとしたら、そうですね……異世界の住民と言った方が理解できるでしょうか」

 おお、異世界。

 確かに明日夏世代にとっては、こちらの方がイメージがわきやすいかも。


「僕たちは自分たちの世界では、人の性別を変えられるような特殊な力を持っていません。しかしこちらの世界においては、干渉できる権利と力を持っている、というところですね。まぁ僕の口から言えない部分もありますし、そういうものだと思ってくれれば助かります」

「は、はぁ……」


 少年の話は、さすがの明日夏でも、すべて納得して理解はできなかった。

 けれど普通の人ではない、ということは間違いなさそうだ。

 そもそも彼らの正体はそれほど興味がない。

 問題なのは、明日夏自身の身体についてのことだけなのだから。


「それで……ぼくの身体は元に戻せるの?」

「いえ、無理です」

「え」

 明日夏は笑顔のまま絶句してしまった。

 ついに姿を見せた重要人物! ――流れ的には絶対、戻れる展開。

 だと、思っていたのに。


「姉はあなたに手を加え、女性化しました。これを戻すってことは、つまり今度はあなたを男性化させるということですよね。ですが同一個体に、二度力を加えることは不可能なんです」

「えー。そんなぁぁ」

「だって何度も変えてしまったら、原形が分からなくなってしまいますし、きりがないじゃないですか。ですから僕たちの間では禁止されているんですよ」


「ううっ……」

 確かにその理屈は分からないでもない。けれど男に変えるというのが無理なら……。


「じゃあ、なんかこう、チャラっていうか、女の子になっちゃったことを無効にはできないの?」

「はい。出来ますよ」

「そうだよねぇ――って。えっっ、で、出来るのっ?」


 自分で質問しておきながら、あっさりと答えられて、明日夏は動揺する。

「ええ。本当に限定的な無効にするだけなので……そうですね。せいぜいこの世界で言うところの、十時間程度でしょうか」

「十時間……」

 決して長い時間ではない。

「ちなみにこれも一つの力を発動したことになりますから、二度目はありません。限定的ではなく完全に男性に戻りたいというのなら、あなたを女性にした張本人である姉でないと、完全無効にすることはできません」

「そっか……そうなんだ」

 明日夏は肩の力が一気に抜けたようにベンチにもたれかけた。

 やっぱりあの女性(名前はもう忘れた)を探すという方向性は間違っていなかったようだ。

「姉は気まぐれで、ここや他の世界中を飛び回っているので、僕も簡単には連絡を付けられません。ですがもし姉と会ったら、あなたのことを伝えておきますね」

「はい。お願いします」

 明日夏はぺこりと頭を下げた。


「それで、僕による一時的な無効化はどうします?」

「えっと、この無効化によって、完全無効ができなくなっちゃう、ってことはないよね」

「ええ。これとそれは別扱いになります」

「だったらぜひお願いしますっ!」

 明日夏は即答した。

 ただ少し考えて、少年に聞いてみる。


「十時間っていうことだけど、今じゃなくて、少し遅い時間に発動することって出来るかな? 今やると、ほとんど夜になっちゃうから」

 現在午後六時。18:00だから、切れるのは28:00。つまり午前四時になってしまう。それはちょっともったいない気がする。せっかくの男子モードなのに、深夜ではすることも限られる。

「それでしたら、明日あなたが起きる時間にあわせましょうか。きっちり十時間で効力は消えるのでご注意を。じゃ、僕ももう帰りますね」

「えー。もう?」

 もっと色々聞きたい。

 戻れることが分かってその心配がなくなったため、彼らの生態に興味を持つ余裕も出来たのだ。それに一樹や彩芽たちにも会わせたら、面白そうだし。


「そういうのが面倒だからですよ」

 少年はそんな明日夏の心境を読んだかのように苦笑いを浮かべた。

 やっぱりそんなうまい話はないようだ。

「それでは。僕も色々ありますので。もうあなたと二度と会うことはないと思いますが、お元気で」

 少年は一方的にそう言うと、そのままその姿がすぅっと消えた。


「……やっぱり、普通の人間業じゃないなぁ」

 明日夏はぽかーんとしながら、一人つぶやいた。

 後から携帯で写真でも撮っておけば良かったと思ったけど、もう少年の面影は残っていなかった。

「あ、そういえば。朝起きたらってやつは本当に大丈夫なのかな」



  ☆☆☆



 その後、家に帰った明日夏は、彼のことを茜や彩芽、それに一樹にも伝えることはしなかった。

 目の前で消えるところを見たとはいえ、それだけだし、もしかすると一樹あたりが仕組んだたちの悪いドッキリかもしれない。喜ぶのは本当に戻ってからだ。

 何食わぬ顔でお風呂に入る。もうすっかり見慣れてしまった自分の裸を見てふと思う。

「そういえば、男の子に戻ったらこの身体を見てドキドキするのかなぁ。写真でも撮っておこうかな」

 なんてことを考えたけれど、黒歴史になりそうなのでやっぱり止めておいた。

 そんなこんなで、就寝のときを迎えた。


 まだ体に変化はない。果たして本当に彼の言ったことは正しいのか。

 そもそも寝て起きたら男に戻っているって言うことだけれど、寝られなかったらどうなるんだろう。徐々に変化して体が痛かったりしないだろうか。そもそも、こんなに不安で状態で、眠れるわけが……

 

 すぴー。




 目が覚めた。

 カーテンの隙間から光が射し込んでいる。朝だ。

 身体の上に乗っかっているシーツの感覚がいつもと違う気がする。

 明日夏は恐る恐る下半身へと手を伸ばした。

 朝定番のアレにはなっていなかったけれど……確かにそこには懐かしい感触があった。


「戻ったぁぁぁっ!」

 明日夏はベッドから飛び降りて叫んだ。すかさず服を脱いで全裸になる。もともと筋肉質ってわけじゃないから、それほど女子のときと変わらないけれど、特徴的な部分は間違いなく、男のときの状態に戻っていた。

 そんな狂喜乱舞している明日夏がやかましかったのか、寝起きで不機嫌そうな顔をした彩芽がノックもなしに明日夏の部屋へと入ってきた。


「なに、何なの? うるさいんだけど。お兄ちゃん」

「彩芽、ほらほら、見てこれ! 男に戻っ――」

「って、何見せてるのよっ! 馬鹿ぁぁぁあぁっっ!」

「ぐぇっっ」


 彩芽の強烈な蹴りに、明日夏は久しぶりの「男の痛み」を味わうのであった。


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