第28話 男に戻った(一時的に)  後編


「へぇ。そんなことがあったのね……」

 騒ぎを聞いて駆け付けた茜に昨日のことを説明する。

 さすがにマイペースな茜も驚いた様子だった。


「えっと、黙っててごめん」

「うふふ。別にいいのよ。明日夏ちゃんだって、本当かどうか分からなくて不安だったのでしょうし」

「でも、茜姉って、ぼくの女の子の姿が気に入ってたんじゃないの?」

「何言ってるの。前にも言ったかもしれないけれど、どんな姿をしていても明日夏ちゃんは明日夏ちゃんよ」

「茜姉……」

「それに……」

 茜は含み笑いをしながら続けた。

「こうやって、男の子の明日夏ちゃんを見ると、改めて女の子っぽい顔立ちだったんだなぁって。この状態で女物の服を着た方がかえって、良い味が出そうな気もするし」

「良い味ってなにっ?」

 明日夏はびくっと、身を引いた。

 確かに自分でも、わかりやすい部分以外はそれほど変わっている感じじゃなかったのがショックだったので、改めて言われるとそのショックも倍増する。

 そんな感じで騒いでいると、今度は玄関の方から馬鹿でかい声が響いた。


「おいっ! 明日夏が男に戻ったって、本当かっ?」

「えっ……もしかして、一樹? 何で、まだ伝えていないのに」

「私が伝えたのよ」

 驚く明日夏とは対照的に、彩芽が冷静に口にした。

「どうせぎりぎりまで黙っていて、入間さんの反応を楽しもうとしてたんでしょ。変な物見せられた仕返しよ」

「うー。楽しみにしてたのに……」

 まさにその通りだった明日夏は、楽しみを奪われてがくりとした。



  ☆☆☆



「……ほう。そういうことがあったのか。くぅぅ。俺もそこに居たかったな」

 明日夏の説明を受けて、一樹がしみじみと呟いた。

 証拠にと、明日夏は上半身裸になっている。もちろん、そこに以前のような胸の膨らみは存在しない。一樹が以前のそれを実際に見たり触ったりしたことはなかったけれど、あれだけ近くで長く接していれば、その乳が本物だったかどうかぐらいは判断できるだろう。

 ちなみに、下は見せていない。親しき仲にも礼儀あり、だ。調子に乗って彩芽に酷い目に遭わされたし。


「まぁ時間限定と言うのなら、別に問題ないんじゃないか。あ、いや別に明日夏が元に戻ることに反対しているわけではなく、心の準備という物がだな……」

「あはは。心の準備っていう点では、ぼくも似たようなものだしね」

 明日夏が笑って言った。

 前に例の女性を探して東京のスイーツ店を巡ったときにも思ったけれど、完全に女じゃなくなってしまう、となると多少なり躊躇はあったはずだ。


「で、どうするだ。学校は?」

「何言ってるの。もちろん行くよ」

「女子の制服を着てか?」

「まさか。ちゃんと男子の格好をしていくよ」

 明日夏はにこりと笑って答えた。

「そのうち、本当は女子なんじゃないかって疑われかねないし、ここらで一発、ぼくが男の子だと言うことを見せておこうかなって。別に一日くらいなら、それほど文句はないだろうし。女の明日夏は学校を休んだ、って設定でも良いでしょ?」

「なるほど。つまり今日一日は、本物の男の娘、ということだな」

「うん。男の子だよ」

 明日夏は一樹の口にした微妙な漢字の違いに気づかず、大きくうなずいた。



  ☆☆☆



「あっ、あああ、明日夏っ、その格好は――っ」

「んー。たまにはいいでしょ。やっぱ楽だなー」

 男子の制服を着て登場した明日夏の姿に、教室中が震撼した。

 もっとも明日夏としては、女装して学校生活を送るようになってから、こうやって注目されるのにはすっかり慣れてしまったので、周りがどう反応しようとへっちゃらである。


「あー。熱いなー」

 むしろ、わざとらしくワイシャツの胸元を開けて、下敷きでぱたぱたしてみせたりしている。

 高田と馬場がこっそりとその隙間をのぞき込んできて、がっかりしていた。


「一樹、トイレに行こう」

「あ、ああ」

 明日夏は久しぶりの男子トイレに足を踏み入れた。そして小便器に向かう。

「はぁ。懐かしいけど落ち着く~」

 あえて離れてしてみた。

 わざとらしく着いてきた何人かが、わざとらしく明日夏の隣に立つと、明らかに上から明日夏のその部分を見つめてきた。

 明日夏にしてもさすがにこれは恥ずかしいのだけれど、もともと確認させるためだし、わざと見せつけているわけでもないので、気にしないふりをする。

 隣から、これはこれでいいかも、というつぶやきが聞こえたのは、怖かったけれど。


 さて。今日の体育はプールの授業である。

 明日夏は久しぶりの短パン姿になった。

「あー。やっぱりこっちの方が楽でいいや。……ん、って、みんな、どうしたの?」

 なぜか動揺した様子で明日夏と顔を合わせようとしない連中に、明日夏は首をかしげた。

「いや……だって、なぁ?」

「ああ。なんだか、見てはいけないものを見てしまっている気が……」

「やっぱり、男の娘の乳首は隠すべきだったんだぁぁっ」

「って、何なの、その反応っっ! 今のぼく、普通に男の格好しているのにっ」

 思わずツッコミを入れる明日夏。

 その肩にぱさっとパーカーが掛けられた。

「あー。悪いんだが、授業にならないんで男のままということなら、今日は見学にしてもらえると助かる」

「先生までっ?」


 と、こんなことばかりで、一樹の反応が可愛く見えるくらいだった。

 横瀬校長にも呼ばれ、いろいろ文句を言われたり、保険医の保谷に追いかけられたりしたけれど、それでも明日夏は元の男の姿で高校生活を満喫した。

 久しぶりに学食の大盛りを注文し、スカートのひらひらを気にせず校内を走り回り、放課後は野球部の練習に乱入して、男の力でノックを披露した(客観的に見たら女子のときと大差ないけれど)。

 さらには高校の中だけではなく、卒業した中学校に何気なく寄ったふりをして、女装の指南を求めに来た清瀬や、この間学校説明会に来た女子たちに、男子の姿を見せ、さりげなく「男ですよ」アピールまでしてきた。

 ――彩芽に怒鳴られたけど。



  ☆☆☆



「あー。さすがに疲れたぁぁ」

 明日夏は、んーっと伸びをしながら大きく息を吐いた。

 いろいろドタバタしてあっという間の一日だったけれど、事前に考えていたノルマをすべてこなすことができて、満足気な明日夏であった。

「すげぇ、駆け回っていたよなぁ」

 一樹も珍しく引き気味なくらいである。


「まぁね。十時間限定だから、やりたいことは全部したかったし」

「そっか。じゃあそろそろ時間だな。元に戻るところ、見ていいか?」

「やだよ。時間になったらこっそり隠れるから」

 そんなことを話しながら駅を出る。

「そういえば、和佳には会っていかなくていいのか?」

 何気ない一樹の一言に、明日夏は足を止めた。

 確かにこの機会を逃したら、次はいつ、男の姿で彼女と会えるか分からない。

「うう。それなんだよね。迷ってるんだけど……」

「なんだ、会いたくないのかよ」

「そうじゃないんだけど」


 明日夏は口ごもりながら一樹に説明する。

 あさひとしてこの間もお泊り会をして顔を合わせているので、明日夏は現在、それほど和佳分が不足しているわけではない。

 それどころか、あさひとして、本来男の明日夏では知ることのできない部分をかなり知っちゃっているくらいだ。だからどういう顔をして会っていいのか、いまいち踏ん切りがつかないのだ。


「ほう。それはそれで大変だな。ま、そこは明日夏の好きにすればいいさ。そういえば、男としてアレはもうしたのか?」

「あれって?」

 素できょとんとする明日夏に向け、一樹が苦笑いしつつ補足した。

「まぁオブラートに包んだ言い方をすれば、自家発電ってやつだな」

「しっ――してないよっ」


 さすがの明日夏も一樹の言った意味に気づいて、思わず声を上げた。

 そりゃ見た目女っぽくても健全な男子高校生である。

 とはいえ、アレをするのはたいてい夜だし。そもそもアレはしたくなったからするのであって……。

 でも確かにこの機会を逃したら次は……と考えているときだった。

 明日夏たちの背後から、能天気な声がかかったのだ。


「ねぇねぇ、自家発電って、なに?」

「ん、そりゃもちろん……って、お、和佳じゃん」

「えっ、ええっっ」

 一樹の言葉に明日夏は慌てて振り向いた。そこにいたのは、同じく学校帰りだと思われる制服姿の和佳だった。


「やっほー。久しぶり。って、秋津くん、驚きすぎだよ」

「あはは……ごめんごめん」

「で、自家発電って?」

「えっとそれは……ほら、最近災害で停電が多いじゃない? だから各家庭に自家発電が必要か否かという議論をしていて」

「あー。そういうことかぁ。うんうん。うちにも太陽光発電のセールスマンがよく売り込みに来ているみたいだよ」

「へ、へぇ……そうなんだ」

 何とかぎりぎり誤魔化せたようだ。


「じゃ、俺はこっちだから、それじゃな」

 一樹がそう言って、明日夏たちから離れる。珍しく気を遣ってくれたのか、それとも明日夏を和佳と二人きりにして楽しもうとしているのか。おそらく後者っぽいけれど。


「そういえば秋津くんとこうやって顔を合わせるのは野球見に行ったとき以来だねー。あ、そうそう。この間変な電話しちゃって、ごめんね」

 和佳は特に気にした様子もなく、普段通りの口調で話してきた。この間のというのは、あさひと一樹を二人きりにしようとして、明日夏に電話させたあのことだろう。

「あ、うん。あのときね。ぼくも用事があって付き合えなくてごめん。でもあさひから聞いたけど、困ってたよ」

「あはは。ごめんごめん。あ、そうだ。そのあさひちゃんとね、この間お泊り会をしたんだよ」

「へぇ……」

 和佳が楽しそうに、そのときの話を明日夏に伝える。

 もっとも、あの時あさひとして明日夏との関係を突っ込んで聞かれたことには触れてこなかった。もちろん明日夏としても、女の子同士の秘密の会話を口に出すことはできない。

「そうだ。ねぇねぇ今度あさひちゃんと三人で一緒にどこか行こうよ。きっと楽しいよ」

「う、うん……そうだね」

 明日夏が歯切れの悪い返事をする。だってそれは不可能なことだから。

 その反応に、さすがに和佳も何かを感じた様子だったけれど、特に追及することなく、次の交差点で、子供のときと変わらない感じで別れた。


「じゃあ、またねー」

「うん。また……」

 和佳からすれば、明日夏は近所に住んでいるのだし、またいつでも会えると思っているのだろう。

 結局明日夏は何も話せず、呼び止めることもできなかった。


「って、そろそろ時間がやばいしっ」

 どこか自分への言い訳にしつつ、明日夏は近くにある児童公園のトイレの影へと姿を消した。



「おーい。様子はどうだー?」

「なんだ……やっぱり付けてきてたんだ」

 一樹の呼びかけに、明日夏はぶすっとした声を漏らしながら、トイレの建物の後ろから姿を見せた。

「お、ちゃんと戻れたようだな」

「戻れた……っていうか、戻されたというか……」

 明日夏は肩にかかっている髪の毛を払いつつ、手に持ったカバンで胸元を隠した。男子用のワイシャツからは、明らかに太った男子のそれとは違う、胸のふくらみが見て取れた。丸みを帯びたお尻も目立っている。


「で、ちゃんと和佳とは話せたのか?」

「ううう。全然話せなかった」

 明日夏は天を仰いだ。

 やはり、女子になったことを隠している後ろめたさがあるのか、以前のように気楽に言葉を交わせなかった。昔のような関係に戻ってしっかり和佳と話をするためは、やっぱりできるだけ早めに元の体に戻ることを考えないと、と改めて誓う明日夏であった。


「まぁ、それはそれとして。にしても、その身体で男子の制服ってのも妙にエロいよなぁ。明日はその格好で学校に来てみるか?」

「――って、変な目で見るなぁぁっ」

 夕暮れの公園に、すっかり女の声に戻った明日夏の叫び声が響き渡った。



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