第29話 パンチラ考察、他2本


 埼玉県西部の田舎にある武西高校。一か月前は特に特色もないただの男子校だったが、明日夏という女子生徒(役)の登場してからは、毎日がお祭り騒ぎのようになっていた。

 この間、急に明日夏が男の姿に戻って登校してきて、別の意味で大騒ぎになったが、再び女子生徒の格好をすることで、校内は日常に戻っていた。


 さて。女子生徒を望んでいたのは、生徒たちだけではない。

 教師たちの間にも似たようなことは起こっていた。なんて言っても、今まで縁のなかった貴重な女子生徒なのである。

 というわけで。

 今日の明日夏は、数学教師の大泉に付き合わされ、別のクラスの授業に出張していた。



「さて、数学と聞いて、君たちは何を思うか」

 大泉は三年一組の教壇に立って、生徒たちに問いかけた。


「たいくつ」

「やくにたたない」

「いみふ」

 そんな声が上がる。

 明日夏にとって上級生である三年生も、クラスメイト達と似たようなもののようだ。


「そうだ。だが君たちが思っているほど以上に、数学は社会生活に密接にかかわっているのだ」

 もっとも、その答えは大泉にとっても想定内のようだった。

 大泉は自身の隣に立つ、明日夏を紹介する。

「そこで今日は、教科書とは別に、実例をもって証明しよう」

「どーも。助手の秋津です。で、ぼくは何をすればいいんですか?」

「何もする必要はない。君はただ、そこに立っていればよい」

「はい」

「さて、皆の者、想像してほしい。急な夕立の後の晴れ間。道路にできた水たまり。水面には青空が映し出されているだろう。そしてその水面に近寄るスカート姿の女子高生。そこから導きだされる答えは――言うまでもないだろう」

「帰る」

 パンチラという答えを導き出した明日夏は踵を返して教室を出ようとしたが、さっと大泉に手をつかまれてしまった。

 彼は教室内の生徒に聞こえないよう、小声でそっと明日夏にささやいた。


「……心配する必要はない。この実験、実は見えないという結論なのだ」

「……本当に?」


「では、実際に水面に女子の下着が映るか。数学的に検証していこう」

 大泉は生徒たちに向けてそう言うと、黒板に図を描いていく。

 適当に立っている人間の頭(目の部分)、水たまり、そして女の子の足とスカートとパンツ。

「このとき視線を水たまりに向ける。光の反射によりそこに映るものは、このようになる」

 適当に立っている人の目の部分から水たまりに向けて直線を引き、水たまりの部分で反射して線を引いていく。その直線は、女の子のパンツ……ではなくスカートの横の部分に当たった。


「こ、これはっ。スカートに、防がれた、だとっっ」

「なんと」

「まじかぁぁ。やっぱり見えねえのかよっ」

 生徒から落胆の声があがる。

 こいつら馬鹿だ、と明日夏は思った。上級生だけど。


「うむ。そのとおりである。だがこれは単純な反射角の問題だ。反射角と入射角は等しい値を取るからである」

 先ほど大泉が描いた直線は、目の部分から水たまり、そしてスカートへと、アルフェベットの「V」の字のようになっている。

 大泉は黒板に、目線側の「V」の外側の角度を入射角と、そして反対側の角度を反射角と記す。そしてその二つの角度に「=」と記す。ほかにもいろいろな記号を書いていくけど、明日夏にはさっぱりわからない。

「つまりどういうことかね、誰かわかるものは?」

「はいっ。入射角を上げるため、ぱんつにもっと近づけばいいと思います!」

「うむ。その通りだ」

 大泉が再び黒板にチョークを走らせる。

 目線のスタート時点をより女の子や水たまりの位置へと近づける。そこから水たまりへと直線を伸ばすと、先ほどの線より外側の角度が大きくなる。反射される角度もそれに等しくなるため、先ほどは「V」というより、「へ」の字を逆さにしたような感じだったけれど、今度は本当の「V」の字にようになる。

 そしてその直線は、スカートの壁を下から突破して、パンツへとつながったのだ。


「おおぉぉっ」

「見える! 見えるぞっ。パンツにたどり着いたんだぁっ」

 うん。馬鹿どもである。


「そう。理論上は可能なのだ。だが実際はパンツにたどり着くことはできないのだ。では試してみるとよい」

 大泉はそう言うと、大きめの手鏡を明日夏の足元近くの教壇の上に置いた。

 明日夏から見ると、鏡面にはきれいに教室の天井が映し出されている。果たして本当にスカートの中は見えないのか、不安だったが、大泉の言った言葉を信じてそのまま、立っている。


 さっそくぞろぞろと生徒たちが群がってくる。

 そして彼らは順番に鏡面を覗いていく。

「どうだ。黒くて見えないだろう」

「…………。は、はい。確かに……」

 最初に見た生徒が、どこか戸惑ったような歯切れ悪い口調で返した。ぱんつを期待していたからだろう。残念でした。


「ではなぜ見えないのか。そこで出てくるのが、フレネルの法則。透過率の問題だ」

 また黒板に数式が書かれる。明日夏はさっぱりだ。ていうか、学生たちも多分わかってなさそう。


「まぁ早い話、水面では光を透過してしまう。そのため反射にも限界があるということである」

「マジで? せんせー、もっと試してもいいですか」

「おぅ。好きにしろ」

 次々に生徒がやってくる。そのたびに感嘆の声が漏れる。

 見えないことが分かってそんなに感動しているのだろうか。そんな数学熱心には思えないけれど。

 明日夏は疑問に思って、もう一度鏡面に目をやった。

 こちらからだと、目の前に立つ男子生徒の下からの姿がはっきりと映っている。何となく嫌な予感を覚えた明日夏は一歩前に進み、鏡をほぼまたぐような位置まで行き、鏡を覗き込んだ。

 すると肌色の両脚の先に、見覚えのある色の布地がはっきりと見えた。


「……あの。せんせい、なんか見えてるんですけど」

「む……。そのようなわけが」

 と大泉は言いかけて、「おお」と何かに気づいたような声を上げた。

「ああそうか、先ほどの話はあくまで水面としての話だからな。代用の鏡では当然、公式が変わってくる」


「…………」

「ところで――」

 大泉が言った。


「本当に見えるかどうか、私も試してよいかな?」

「いいわけ、あるかぁぁっっ!」

 こうして今日も必ずどこかで、明日夏の叫び声が響き渡る校内であった。





★ カラオケ


「なぁ、たまにはカラオケにでも、寄っていかないか」

「うん。いいね」

 学校からの帰り道。一緒に帰っている一樹の提案に、明日夏はこくりとうなずいた。

 よく行っている、というほどではないが、一樹をはじめとする学校の友達たちとカラオケを利用したことは何度もある。

 というわけで、二人は商店街にあるカラオケチェーン店に入った。


「おぉーっ。なんか良い雰囲気だなっ」

「え、そう? いつもここを使ってるじゃん。最近来なかったけど。前と変わらないと思うけど」

「いやいや。やっぱり、女の子と一緒に入るってだけで、何て言うの……優越感?」

「ああ、なるほど。うん。ぼくも勉強になったよ」

「ん、何が?」

「カラオケを利用している男女二人組の中には、別に恋人同士でも何でもなくて、ただの腐れ縁な二人組も存在しているんだなーって」

「おぉぃっ」

 一樹のつっこみは無視した。

「む、だがそういうことは。町にあふれているカップルの中には、元男だった女の子たちも混ざっている、ってことか?」

「そんなの、一般的にあってたまるかっ」



 そんなこんなで受付を終えて、明日夏たちは個室へと入った。

 久しぶりに入った部屋は、妙に広く感じられ、ソファも大きく見えた。

「あ、そっか。そういえば、この姿になってからカラオケに来たのは初めてだっけ」

 荷物を置きながら、明日夏は思い起こした。


「もともと声は高めだったけどな」

「うーっ。それは言わないでよ」

 明日夏のカラオケレパートリーは女性歌手の歌が多めだ。男性の渋くて低く重い声を出すのは苦手なのだ。高いパートの方が声は出しやすい。

「でも今は、もっと女子っぽくなっているよな」

「うん。まぁね……」

 あまり認めたくないけれど、事実なので明日夏は素直にうなずいた。

 それに女の子になってしまっている今と前が変わらなかったのなら、男のときの声が女の子そのものと言うことになってしまうし。


「ん? 可愛い女声が出せるってことは、今ならあの歌を歌えるんじゃないか?」

「あの歌って、まさか……」

 一樹の言いたいことに気づいて、明日夏はおののいた。

「ああ、あの『せーの』から始まる――でもそんなんじゃだめな歌だ」

「おおぉっ……」

 明日夏は思わず感動してしまった。

 カラオケのアニソンランキングを見ると、常に人気上位に位置している曲だ。馬鹿ノリして男どもが野太い声で歌ってブーイングの嵐というのがお約束流れである。

 明日夏は、似合ってしまったら逆に嫌なので、今まで歌ったことのない曲だったが、女の子の今なら、似合っても問題ない。歌っても構わないはず。


「……やるか?」

「うん。任せて。とびっきり可愛く歌い上げてみせるから」

 一樹と明日夏は何故か必殺な仕事人みたいな目配せを交わすと、さっそく例の歌をセットした。

 すでに甘々な雰囲気を醸し出したイントロが流れる。

 明日夏は手にしたマイクをきゅっと握った。


「よし、じゃあ行くよ。――せーの♪」

 歌ってみた(熱唱中)


「はぁはぁ、ってこれ、意外と難しいっ」

 得点が表示された。初めての歌なので、この点数がいいのか悪いのかは分からないけれど、全国平均はだいぶ下回っていた。

「うう。悔しい。でも感覚は分かったから、次はいけそう」

「お、じゃあもう一回行くか?」

「うん、もちろん!」


 こうして明日夏は何度も「せーの」と熱唱した。

 ゆったりしているようでハイテンポの歌詞を、できるだけ可愛らしく歌って。間奏中には、歌っているアニメキャラになり切って、ほとんどノリで台詞を言ってみたり。

 さすがにそれを何曲も連続して繰り返してした結果、のども痛くなり、自分は何していたんだろうという気分になった。分泌していた怪しい脳内物質が一気に途切れたような感じだ。


「ううー。疲れたー」

 明日夏はぱたんとソファに倒れ込んだ。

「そのまま横になって寝るか?」

「やだよ。そしたら一樹、絶対ぼくに何かするでしょ」

「はっはっは。安心しろ。そんなことはしないぞ」

 一樹が笑った。

「……信用できない」

「大丈夫だって。仮に明日夏と和佳がいて、和佳が横で眠ってしまったからと言って、明日夏は和佳に手を出せるか? もちろん男のときだと仮定して」

「うっ。そりゃ……しない、けど」

 明日夏は軽く頬を膨らませながら答えた。

 それは人として確かに出来ない。まぁ半分は、積極的になれないヘタレに対する言い訳かもしれないけれど。

 だとすると、一樹の場合はどうなのか。

 まんま草食系の明日夏と違い、がつがつしてくる肉食系だとしたら、今の説は正しくないのではなかろうか……

 などと、頭の中で考えを巡らし、さらに集中するためと、ぎゅっと目を閉じて考えて――

 気づいたら、明日夏は寝てしまっていた。



「――はっ」

「お、起きたか」

「……そりゃ、すぐ横で、松崎しげるを熱唱されていたら、ねぇ」

 明日夏はあきれ気味に言った。もちろんカラオケは歌を歌うためのものなので、文句はいえないけど。

 時計を確認する。どうやら寝てしまったのは、十分程度のようだ。

「で、何もしなかったようだね」

 特に服が変になっている感じもないし、スカートもめくれていなかったので、明日夏はほっとした。

「ああ、可愛い寝顔を激写した意外くらいかな」

 一樹がスマホを取り出した。そこに映っているのは、眠りこけた明日夏のアホ面(明日夏視点)だった。

「わぁっ、ダメっ。消してーっ」


  



★ 調理実習


 武西高校のカリキュラムの中には、生徒たちが自由に選べる選択授業もある。

 その中の一つである家庭科の授業は、いつもなら不人気なのだが、今日に限っては大盛況だった。

「……何これ」

 いつも静かな授業なのに、と明日夏はうめいた。

「そりゃ、もちろん!」

「明日夏の手料理を食べたいからだっ!」

 高田と馬場が叫んだ。

「……あっそ」

 明日夏はため息をついた。

 けれどいつものノリなので特に気にすることなく、明日夏は課題である肉じゃがを手際よく作っていく。


「むっ。これは女の子っぽく、やはり料理が上手なパターンか?」

「いやいや。まだ分からないぞ。最後に砂糖と塩を間違えるドジっ子属性の可能性もあるっ」

「メシマズ男の娘というジャンルもまだまだ捨ててないぞ。俺なら、どんなに不味くても食えるっ」

「おおぉーっ。すげぇぇ。男だっ」

「俺は、包丁で指を切って、その血が少し混じった料理を食いたい!」

「それはさすがに……」


「――って、外野、うるさいっ!!」

 後ろで好き勝手に騒ぐ上石や神井たちに向け、明日夏は一喝した。


「もー。ただ突っ立ってるだけじゃなくて、少しでもいいから手伝ってよねっ。ほら、一樹はどんどんジャガイモの皮をむいて。ちゃんと芽を取らなくちゃ駄目だよ」

「お、おお……」

 とまぁこんな感じで、明日夏の指導の元、料理は作られていく。

 そもそも両親不在のため、明日夏は茜が会社から帰るのが遅い日は代わりに料理を作っているのである。彩芽は味にうるさいし、何だかんだで鍛えられているのだ。


「う、美味いっ」

「えへへ。でしょ」

 出来上がった肉じゃがを食べ感動している男どもに向け、明日夏は胸を張った。こんな男どもでも作った料理を美味しく食べてもらえるのは、やっぱり嬉しいものだ。姉と妹という女性二人に比べて、食べっぷりも良いし。

 メシマズ派も美味しければ良いのか、結局好評だった。

 こうして家庭科の調理実習は終わったのだが。


「ふっふっふ。いい物を見ちゃった」

 たまたま通りかかった廊下の外から、その光景をこっそりと眺めている人物がいたのだった。




「明日夏ちゃん。みりんはこれくらい入れればいいの?」

「あ、はい。えっとこんな大量に作ったことはないから分量は……はい。そのくらいで」

「すごい人よ。珍しいわね」

 食堂のおばさんが食堂内を見渡して笑った。

 学校内にある学生食堂。普段でもそこそこ人でにぎわう食堂内が今日に限っては、入りきらないくらい溢れかえっていて、廊下に並んでいる生徒もいるくらいだ。

 彼らの目当てはもちろん、限定メニュー「秋津明日夏プロデュース定食」である。

 明日夏の食事が好評だったのを見た横瀬校長が、呼びかけたものである。高校側としては学食利用者が増えるのは有り難いことである。

「別にぼくがメニューを考案しただけで、作るわけでもないのにねー」

「何言ってるの、ほら。明日夏ちゃんも手伝うのよ。ほらほら、野菜切って」

「えーっ」

 結局、おばちゃんたちに巻き込まれて、ただ考案するだけではなく料理もさせられて苦労はしたけれど、それなりのバイト料はもらえて満足な明日夏であった。


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