第26話 教育実習生さくらたん


 埼玉県西部に位置する、武西高等学校。来年から共学になるとはいえ、現在はれっきとした男子校である。

 それゆえに代々、若い女性教師は採用されなかった。いるのは校長をはじめとする中年教師と、学食のおばちゃん、掃除のおばちゃんのみである。

 だが来年の共学に向け、数日間という期間限定ではあるが、予行もかねて若い女性教師に来てもらうことになったのだった。



「というわけで、今日から三日間、副担任・国語の教師として勤務してもらうことになった、狭山さくらさんです」

「おーっ」

 担任教師の紹介に、クラスからそれなりの声があがった。

 その反応に、さくらは微笑を浮かべつつ、内心疑問に感じていた。

 クラスの男子の反応が、さくらが思っていたより小さかったからである。

 男子校に咲く紅一点。オタサーの姫どころではないはずだ。男ども巣窟。そんなところに若くて美人な自分が放り込まれたらどうなってしまうのか……と、わくわくしていたのに拍子抜けである。


「さて、それでは自己紹介でも」

「はい」

 さぁ、ここがアピールポイントである。初な男子高校生を手込めにするためにも第一印象は重要だ。


「初めまして。私は……」


 とそのとき、ドタバタと廊下を疾走する音が鳴り響いた。その音はどんどん近づいてきて、この教室の前でぴたりと止まった。

 がらっと乱暴に扉が開き、一人の生徒が姿を見せた。

 走ってきた勢いそのままに、お下げの髪の毛やスカートを揺らしながら、教室に飛び込んできて、担任教師を見つめる。


「先生、セーフッ?」

「いや。もう十分アウトだぞー」

「えー。そんなぁ。荷物落として駅を一本降り過ごしちゃっただけなのにー」


「えっ、ええっ……あの……」

 壇上に立つさくらは戸惑っていた。

 だって教室に入ってきたのは、男子校に存在するはずのない、女子の制服に身を包んだ女子生徒だったのだから。しかもかなりの美少女である。

 その少女の登場に、教室内が盛り上がる。


「せんせー、遅刻した人は上半身裸で廊下に立っているべきだと思いまーす」

「な、何それ、意味分かんないっ」

「ちょっと待て。廊下に立っていたら俺たちが見ること出来ないぞっ」

「心配するな! 俺も一緒に立ってやる」

「一人で立っていろーっ」

「あ、あのっっ!」

 さくらが壇上で声を振り上げる。

 その声にようやく教室内が静けさを取り戻した。

 一方で、少女の方はそこで初めてさくらの存在に気づいたようで、きょとんとした様子で言ってきた。


「……あれ、なんで若い女の人が教室にいるの?」

「そ、それはこっちの台詞ですっ。どうしてこの学校に女子生徒がいるんですかっ?」

 さくらのまっとうなツッコミは、なぜかむなしく響くだけだった。

「あのー。狭山先生には言っていませんでしたっけ。男子生徒が女装して授業を受ける、ということを」

 担任教諭に言われて、思い出した。確かにそんなことは言っていた。とはいえ男子校の中の男子が女装したところで、どうなるわけでもないと聞き流していたのだけれど。


「あ、どうも。秋津明日夏です」

「って、どう見てもふつうに女の子じゃないですかーっ!」


「分かってないなー、先生は」

 男子の一人が、やれやれといった感じで声を上げた。


「こんな可愛い子が女の子のわけがない!」

「おぉぉーぉっっ」

 教室内がそれに同調するかのように盛り上がった。

 そんな中を、慣れた様子で明日夏はすたすたと自分の席に向かっていった。

 その光景に圧倒され、さくらは、呆然と立ち尽くしていた。



  ☆☆☆



 それからというもの、さくらは授業や休み時間など、ことあるごとに秋津明日夏を観察してみた。

 言われてみると確かに、女子と言うより男子っぽい仕草はよく見られる。だが容姿や体型は、どう見ても女の子にしか見えない。

 ならば直接実力行使あるのみ、とさくらは決意して明日夏へと近づいていった。


「ねぇ。秋津くん?」

「はい。何ですか?」

 きょとんと振り返る明日夏に対し、さくらは何の前触れもなく、手を伸ばしてその胸の膨らみに触れようとした。

 が、その直前で、がしっと手首を捕まれてしまった。

「あ、あの……先生、この手は……?」

 掴んだのは当の明日夏本人だった。ノーモーションからの乳揉みに対する、驚くべき反応である。

 さくらは開き直って言った。

「えっとぉ……本当に男の子なのかなぁって」

 男の子なら触っても問題ないはずだし、女の子だとしても女同士なのだから、平気なはず。

 だがそんな彼女をあざ笑うかのように、男子二人組が声をかけてきた。


「ふっふっふ。甘いな、先生」

「その程度のスピードじゃあ、明日夏のおっぱいまではたどり着けないぜっ」

「「なぜなら俺たちだって毎日、狙っているからっ!」」

「高田と馬場、うるさいっ!」

 明日夏が、さくらの手を振り払って叫んだ。

 高田や馬場をはじめとする男子どものセクハラから避けるため、明日夏の防衛力は飛躍的に向上していたため、さくらの手も防げたのだ。


「でも、秋津くんって男の子なのでしょう?」

「……ええ。まぁ」

「だったら触ってもいいんじゃない?」

「その、パットの位置がずれるのが面倒だし、そもそも男だからってむにむに触られるのはあんまり……」

「じゃあ下は? そっちなら一発で男か女か分かるじゃない。仮に女の子だとしても、女同士なら全然オッケーっ」

「な、何言ってるんですかっ」

 さくらの暴走に、明日夏が思わず身を引く。


「少々よろしいでしょうか?」

 そんなさくらの背後から声をかけたのは、英治だった。

 さすが、親友。ピンチを助けてくれたのかと、明日夏は目を輝かす。

 英治は淡々と述べる。

「教師として、特定の生徒をひいきするということは良くないことだと思うのです」

「ま、まぁ……確かに」

「仮に、もし明日夏君の股間を触るのなら、同じように全校生徒男子のすべての股間に触れてもらう必要がありますね」

「おおぉぉっ」

 英治の宣言に、教室内から大きなどよめきが起こった。

 何だかんだで、若い女性に触られたいお年頃なのである。

「……お断りします」

 さくらはしぶしぶ引き下がった。

 だが疑惑が晴れたわけでもなく、ますますその疑いの視線を、明日夏へと向けるのであった。



  ☆☆☆



「ううっ……なんか、あの先生、怖いんだけど」

「うむ。どうやら明日夏の性別のことを疑っているようだな」

「うう……どうしよう?」

 さくらのいない場で、明日夏は一樹に泣きついていた。

 天然の明日夏でも、さくらが明日夏のことを疑っていることは、さすがに気づいている。

 こういう体験は初めてなので、明日夏は動揺していた。今まで全く疑われなかったのもどうかと思うけど。

 頭を抱える明日夏を前に、一樹も首を捻る。

「確かに……男としての証明を見せろって、言われても難しいよな」

「うん。男装くらいじゃ、難癖付けられそうだし……。あ、そうだ。男だったときの写真を見せたらどうかな?」

「うーむ。あの先生のことだ、合成だって言われるかもな」

「うぅ。そうかも」

 そんな感じで頭を悩ましていると、英治が来てあっさりと言った。

「手っ取り早いのは、ちんこを見せることでしょう」

「ストレートすぎっ!」

「まぁ恥ずかしがり屋な明日夏君が抵抗したい気持ちも分かります。でしたら、こっそりと覗かせるといのはどうです?」

「結局、見られるじゃんっ」

「ですが、目の前に立たれてスカートを自らめくるよりはマシでしょう」

「それはそうだけど……」

 相変わらず斜め上を走る英治の意見だけれど、間違ってはいない。

 もっとも英治は知らないが、今の明日夏の身体でそれは、むしろ逆効果である。

 だが一方で、明日夏の秘密を知っているはずの一樹が英治の意見に同調した。

「よし。それしかないな。俺も協力するぜ」

「えっ、本当にするの?」

「ああ。任せておけ」

 狼狽する明日夏に向け、一樹が自信ありげな表情を向けた。



  ☆☆☆



 さくらは意味もなく廊下を歩いていた。すれ違う男子生徒の視線が快感なのだ。

 そんなさくらだったが、あのクラスだけは自身一身に注目を浴びることができなかった。あの、明日夏と呼ばれる男子生徒(?)のせいである。

「……まったく、あれが男子って、あの子たちはいったいどういう目をしているのかしら」

 女子なら女子で、さくらが男子校の紅一点だというバランスが崩れてしまうが、男の娘としてではなく、同じ女子同士の魅力なら、負ける気はしない。

「先生、少しよろしいですか?」

「あ、江古田くん……だったかしら」

 声をかけてきたのは長身長髪で、おしゃれな眼鏡を掛けた男子生徒だった。例の明日夏と同じクラスで、生徒会長を務める生徒だったはず。

 あのクラスにおいて、彼だけが明日夏に興味がなさそうだったので、あえて突っ込んで好みを聞いてみたら、もっと年上が好みと返答があって、内心ガッツポーズをしてしまったのだが、さりげなく自分のことをどう思うか聞いてみたら、残念そうな目で見られてしまい、ちょっとしたトラウマである。

 それはさておき、その男子がさくらに話しかけてきた。


「先生は、明日夏君が女子ではないかと疑っているようですが」

「ええ、まぁ……」

「でしたら、いっそのこと着替えを覗いてみてはいかがです?」

「えっ、ええっ? 何を言って……」

「まぁ私の立場からおおっぴらに言えることではありませんが、明日夏君はあれで抜けているところがあって、更衣室の扉の窓のカーテンを閉め忘れていることがあるのですよ。次が水泳の授業なのでチャンスですよ」

「へぇ、そ、そうなの」

 さくらは曖昧な言葉を返した。

 教師としての立場上、覗きなんてできるわけない。だが確かにこれは千載一遇のチャンスかもしれない。

「それでは私も水泳の着替えがありますので」

 そう言って、彼は去っていった。

 さくらは少し考えてから、女子更衣室へと向かった。



 さりげなく教師陣から聞いた女子更衣室は、三階廊下奥の部屋だ。普通に男子生徒が寄る場所ではないのでしんとしている。覗き目的で男子が向かえば目立つが、自分は女性なので別に女子更衣室に向かっても、言い訳が効く。

 更衣室の扉は閉まっていた。ドアに窓がついているのだが、当然カーテンで隠されている。だがあの男子生徒が言ったように、僅かな隙間があった。

 水泳前の時間。確かに人の気配はある。

 さくらがおそるおそる近づくと、中から声がした。


「はぁ。水泳の授業、着替えるのめんどうくさいなぁ。いちいち女の子の格好をするの、大変なんだよねぇ」

 どこか棒読みっぽい口調に聞こえなくもなかったが、更衣室の中から聞こえる声は、確かに明日夏のものだった。

 さくらは軽く深呼吸すると、息を止めて顔を扉の窓に近づけ、カーテンの隙間から中を窺った。

 顔は見えなかったけど、誰かが一人着替えている姿が何とか見えた。

 意外と広い肩幅。そして頑丈な胸板は、セーラー服を着ていたときの柔らかそうな膨らみとはほど遠いものだった。

 そして男らしい腹筋があって、その下には……

「――誰かいるのっ?」

 部屋の中から明日夏の声。あわててさくらは顔を扉から離した。もうカーテンの隙間から、人影は見えなくなっていた。

 さくらは物音を立てないよう、ゆっくり更衣室から離れた。あの格好なら更衣室を飛び出て追ってくることはできないはずだ。

 もう用は済んだ。一瞬だったけど確かに、さくらの目には男のアレが映ったのだから。



  ☆☆☆



「おっ。どうやら上手く勘違いしてくれたようだな」

 一樹が廊下の外の様子を窺いながら言った。

「……えっと。協力してくれたのは有り難いんだけど、そろそろ服着て欲しいかなぁ」

「まぁいいじゃないか。別に見慣れているだろ」

「最近はご無沙汰してたけど……ていうか、別に見たくないから!」

 明日夏はぷいっと顔を横に背けた。

 何てことはない。さくらが見たのは、一樹の身体だったのだ。明日夏はカーテンの隙間の死角から、声を出していただけである。単純なトリックだけれど、外から見える位置は何度も確認したので、おそらく上手くいっただろう。

「それで、ぼくもそろそろ水着に着替えたいんだけど」

「おう。俺は一向に別にかまわんぞ」

「ぼくがかまうのっ!」

「はっはっは。この為にわざわざすね毛まで剃ったんだから、それくらいのご褒美があってもいいと思うぞ」

「いいから、出てけーっ!」

 明日夏は水着を穿いた一樹を廊下の外に蹴り出した。

 そして扉の鍵を掛け、しっかりと窓をカーテンで覆った。



  ☆☆☆



「しっかし、本当によく化けるわねえ」

 プールサイドで、明日夏の水着姿を見ながら、さくらがしみじみとした口調で言った。

「男の子たちがあなたに夢中になるのも納得だわ。まったく、どこをどうしたら、あの状態からそこまで女の子らしくなれるわけ?」

「あはは……えっと、それは企業秘密、ってことで」

 明日夏は笑ってごまかしつつ話題を変える。

「そ、それより、先生はプールに入らないんですか?」

 さくらはシャツに短パン姿で、水着ではなかった。普段は明日夏に夢中な男どもも、明らかに残念がっている。

 そんな明日夏の問いに、さくらは悟ったような表情を浮かべる。

「ふっ。私は気づいたのよ。男子校であなたのような男の娘が大人気になるってことは、女子校の男装の麗人も同じように大人気になるはず、ってね」

「は、はぁ……」

「そういうことだから、私は女子校教師を目指すことにしたわ。あなたのおかげで気づいたわ。ありがとう。お互いがんばりましょうね」

「は、はい……」

 とりあえず、脅威は去った。

 けれど、来年度の武西高校に美人教師が来る話はなくなってしまったようだった。







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