第5話 女装という設定で登校したけど、馬鹿ばかりだった
「きゃー。可愛い―っ」
通学・通勤前の朝の時間、秋津家の一室に感動したような声が響いた。
声の主は明日夏の姉、茜である。昨夜の明日夏のお風呂タイムに間に合わなかった反動で、明日夏の髪型を決めるのに熱意を燃やしていたのだ。
「はぁ……なんか面倒くさいけど、自分でやるのも面倒くさいし、まぁ悪くはないかな」
鏡の前に座ったまま、お人形さんのように髪を弄られ放題だった明日夏は、鏡に映る己の姿を見て、納得した。
色々な髪型を試された末、最終的には耳の下あたりで二つに結われることになった。ツインテールと言うよりは、お下げに近い髪型だろうか。結わっているゴムには大きめのビーズが付いていて、いいアクセントになっている。
ちょっと子供っぽく見える気もするけど、いきなり女として生活しなくてはならないのなら、大人っぽいより子供っぽい方がまだマシだ。化粧とか面倒そうだし。
それに見た目がどうあれ、耳や首に掛かって鬱陶しかった髪の毛が、まとまっただけでも楽だった。
「……でも可愛いって言われると、やっぱり複雑なんだけど」
「お兄ちゃん、いい加減、諦めて現実をみたら?」
「うっ」
彩芽の冷静な指摘に、明日夏はうなだれた。
確かに今の姿はどうみても女子だ。しかも結構可愛い。
今着ている制服も、昨日よりずっと似合って見える。お尻や腰のくびれ、ブラもしっかり付けているおかげか、体型も女の子っぽくなっている。
この状態で男の格好をして学校に通ったら、逆に浮くと思う。
だが女装しているという設定で通えば、むしろ大歓迎だろう。――それが嫌なんだけど。
ピンポーンと、玄関の呼び鈴が鳴った。
同時に男の声がした。
「おーい。明日夏ー」
「あ、入間さんが来たみたいよ」
「ったく、家まで迎えにくるなんて、小学生か?」
一樹とはいつもは駅で何となく落ち合って一緒に通う程度。お互い見つからなかったら、放って置いて先に電車に乗っていた。それが見事な豹変だ。
「いってらっしゃーい。頑張ってねー」
薄情な姉妹に見送られ、明日夏は毒づきながらも準備をして玄関に向かった。
「おはよー」
「――結婚してくださいっ!」
「やかましいっ」
扉を開けた途端に求婚され、明日夏は反射的に一樹を張り倒した。
だが女性の身体では力が足りないのか、一樹はまったく堪えた様子もなく、むしろ目を輝かして明日夏を見つめてきた。
「すげぇなっ。まるで本物の女の子じゃん!」
「……まぁ、本物の女の子なんだけどね」
明日夏はため息をついた。
「てことは、やっぱり昨日のあの状態のままか?」
「うん。一晩寝たら夢だって、ってなっていれば良かったんだけど」
「そうか……」
明日夏の様子に、一樹のトーンもやや落ち着く。
さすがに急な身体の変化に戸惑う親友を気遣ってくれているんだろう。
だがしんみりとした空気も一瞬。すぐに元に戻った。
「てことはつまり、トイレや風呂もすでに体験したってこ――」
「ノーコメント」
明日夏はきっぱりと言い切ると、一樹に念を押すように言った。
「いい? しばらくこの身体で学校に通うことになるけれど、ぼくが本当の女の子になっちゃったことは、みんなには絶対に内緒だからね。ばれないよう気を付けてよ!」
「ああ。任せろ。なんせ、俺だけしか知らない秘密、ってのはポイント高いからなっ」
一樹が胸を張った。
限りなく頼りなく感じたけれど、今は彼に頼るしかない明日夏であった。
☆☆☆
「おおー」
教室に入るなり(ていうか通学途中からすでにあったけど)、クラスメイトの男どもから、ため息に似たような歓声があがった。
「何これ、昨日より可愛くなってね?」
「おお。おっぱいだ……胸が膨らんでいる……」
「黒髪ロングも良かったけど、ツインテールっぽい髪型も似合うよなぁ。ていうか、顔つきも女っぽくなってねぇか」
「顔だけじゃなく、身体つきっていうか雰囲気も違う気がする。まるで本物の女の子みたいだ」
そんな声が、逐一明日夏の耳に届く。
明日夏が内心の動揺を隠し冷静に気を保とうとしていると、一緒に教室に入った一樹が、不意にクラス中に響く声を上げた。
「みんな、聞いてくれ! 明日夏について言っておきたいことがある!」
その様子に、クラス中の視線が一樹に集まる。
何を言い出すのか聞かされていない明日夏も、クラスメイトと同じように、ドキドキしつつ一樹の言葉に耳を傾ける。
「来年、女の子がこの学校に入学してくるという。だがその女の子の中には、すでに彼氏がいる子も含まれているはずだ」
「まぁ、そりゃそうだな」
一樹の言葉に一同がうなずく。明日夏とは関係ない話だが。
「というわけで、明日夏もその設定にしようと思う! もちろん彼氏役はこの俺で――」
「えーと。やっちゃって」
明日夏が目配せし、高田と馬場が、恋人宣言をした一樹をぼこりだした。
うまく注意を引くためだったのか、本心だったのか分からないけど、まぁこれはこうなっても仕方ないと思う。
だが一樹が生贄になっている間にも、別のクラスメイトが明日夏に群がってくる。
「それにしても、本当に昨日より女っぽくなっているよなぁ。胸も膨らんでいるし」
「当たり前だけど、偽乳だからねっ!」
明日夏は機先を制して言っておいた。もちろん本物であることを知られるわけにはいかない。
「なぁ、触っていい?」
「はぁ?」
「そこに乳があれば触ってみたくなるのが人情だろ」
「そんな人情あってたまるかっ」
明日夏がツッコミを入れる。
だがおっぱいに飢えた男子高校生どもは次々と集まってきて、明日夏は囲まれてしまう。
明日夏も男だったので、おっぱいに触れたい気持ちは理解できる。けれど触られて偽乳じゃないとバレたら大変だし、そうでなくても単純に、男どもに興味本位で揉まれるのは気持ち悪い。
だがこんなとき間に入ってきてくれそうな一樹は、高田と馬場と不毛な争いをしているし。
身長はそれほど変わっていないはずなのに、一回り大きく見えるクラスメイトたちに囲まれて、明日夏は戸惑ってしまう。
(えっと……みんなって、こんなに大きかったっけ……?)
そんな状況の中、一人の男子が声を発した。
「みなさん、落ち着いてください」
「英治?」
明日夏はその声に反応して視線を向けた。
眼鏡のくせに高身長。インテリ風の男子の名は、江古田英治。クラスメイトであり、この学校の生徒会長。一樹同様、彼も中学からの腐れ縁の一人だ。
英治はじっくりと周りの皆を見回して言った。
「いいですか? これは私たちに対する実験なのですよ」
「実験?」
「ええ。もし仮に私たちが我慢できずに、明日夏くんの乳を揉んだとしましょう。これを見て、学校側はどう思うでしょうか。本物女子も被害に遭うのではないかと疑われ、共学化計画が見直しになるかもしれないのですよ」
「む、確かに」
「つまり、一時期の気の迷いによって偽乳を揉んだ結果、来年度の女子新入生――仮に三十人だとしたら、計六十もの本物乳に触れあう機会を失うと言うことですっ!」
おおぉっ、と波打つように、明日夏から男子どもが離れた。
名残惜しそうな視線は向けてくるものも、実行に移す様子はなくなった。
「ど、どうも。ありがと。でもとりあえず助けてもらっておいてなんだけど、あの演説はどうかと思うよ」
明日夏は英治に一応礼を述べた。
「そうですね。私も心にもないことを言いました」
「え?」
てっきり心の叫びだと思っていたので、英治の意外な反応に戸惑ってしまった。
そんな英治はがっかり視線を、明日夏の胸元に向けて言った。
「その程度の胸で乳の魅力を述べるのもおこがましい。せっかく胸を盛っているのにその程度とは、まったく情けない」
「え……そ、そんなに小さいかなぁ」
ちらりと自らの胸元を見て、明日夏はなぜかショックを受けた。
気にしてないと言いつつ、貧乳と言われたら文句を言う女子の気持ちが分かった気がする。
「まぁよいです。そもそもJKの乳には元々期待していません。やはり乳といったら、熟女の豊満な熟れてたぷたぷな巨乳のみ! これこそが大正義なのですっ」
「あー。なるほど……。そーゆーわけね」
英治の主張を、明日夏は醒めた目で見つめた。つまり、彼の目からすれば明日夏の身体は守備範囲外、興味がないってことだろう。
「ええ。そういうことです」
英治はきっぱりと言い切った。
「ですが、入学希望者が増えればそれだけ美人妻が増える可能性はあります。その点では明日夏くんを応援していますので、くれぐれも問題の無いようにお願いしますよ」
「あー。うん。まー、がんばるよ」
変な目で見られることがないのは嬉しいんだけど、どこか不満の残る複雑な気持ちになる明日夏であった。
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