第6話 体育のお時間

 とりあえず、周りが馬鹿ばっかりのおかげか、誰にも女だとばれることなく第一関門を突破した明日夏であった。

 だが今日は、昨日にはなかったイベントが行われる。体育の授業である。

 授業以前に、まずは体操着に着替えるところから問題である。


「えーと。この部屋、隠しカメラなんて、設置されていませんよね?」

 横瀬校長に案内された部屋の前で、明日夏は警戒しながら尋ねた。

 小学校時代は男子も女子も一緒に、中学のときはたしか時間差で、教室を利用して着替えていた。さすがに高校では女子更衣室が用意されるということで、空き部屋を利用した即席の女子更衣室が出来ていた。

 明日夏の質問に、校長はしれっと答えた。

「私はしていませんが、別の先生が仕掛けている可能性は否定できませんね」

「もうやだこの学校」

 明日夏は頭を抱えた。

 ピュアな女子学生の入学はやっぱり無謀なんじゃないかと思う明日夏であった。


 校長を追い払った後、出来る限り部屋をチェックして、覗き穴などが無いことを確認してから、明日夏は制服を脱ぎ始めた。

 体操着に着替えるだけなら、見られるとしても下着までだから、まだ精神的に楽だ。見られてもぎりぎり誤魔化せるし。

 女子の体操着は、男子と同じ白の上着に、紺のスパッツだった。さすがにマンガでよく見るブルマーではなかった。

 特に問題もなく、明日夏は着替えを終えた。

「うん。まぁ、ふつうに女の子だよなぁ」

 体操着姿の自分を見て、明日夏は嘆息した。胸の膨らみはパットを入れたと言い訳するとしても、腰のくびれやお尻の膨らみはどう説明すればいいのだろう。

 これが男子のまま女装した姿だと誤魔化せたとしても、それはそれで、正真正銘の元男子としては複雑な気持ちだ。

 そんなことを考えながら、明日夏は今更ながら気づいた。


「あ、そういえば、体育ってどうするんだろう?」


 体育の授業は男女別。中学校からの常識だ。男子校のため一般的な高校の常識は知らないが、おそらく高校でも男女別が一般的だろう。

 そうなると女子役の明日夏は、ひとりぽつんとしているだけになってしまう。さすがにそれは寂しすぎる。


「――というわけで。本来なら男女別のところだが、秋津は一人しかいないため、特別に一緒に授業を受けてもらう」

「おおぉーっ」

 体育教師の宣言に、男子どもから歓声が上がった。

 ぼっちは回避されたが、これはこれで複雑な気持ちの明日夏であった。だってみんなが見る目がいらやしいし。

 ていうか男子が女装しているって言う設定なのに、なんで欲情しているわけ。ホモなの? 

 それはそれで、校長のねらい通り、武西高校の共学化のひとつの売りになりそうだけど、当事者の明日夏にとってはいい迷惑だった。



「よし、行くぞ」

「よーし、こーい」

 授業はサッカーだ。

 明日夏は一樹と組んで、パスの練習をする。

 もともと背格好はそれほど変わっていないので、動きに不自由はない。ただ筋肉的には男子から女子になっているせいか、蹴とばしても思った以上にボールが飛んで行かなくて、もどかしい。

 それにそこまで大きくないしブラもしているのだけれど、やっぱり動くと胸の揺れも気になる。――あと、それに向けられる男子の視線も。

 そんなこんなで、形式的な練習が終わると、あとは試合を行って終わりだ。いつも通りの適当な授業である。

 だがそのとき、事件が起こった。

 体育は二組と合同で行っており、サッカーの対戦も明日夏が所属する一組VS二組、の流れになるのだが、その対戦相手の二組の生徒たちから、声があがったのだ。


「我々は、試合前にひとつ要求する!」

「何を?」

 聞き返す一組一同に向かって、彼らは高々に宣言した。


「もし我々が勝ったら、秋津を一日レンタルさせろ!」

「なんでっ?」

 たまらず明日夏が声を上げる。


「その心は――?」

 明日夏の叫びはスルーされ、問いかける一組一同に対し、二組の連中が声をハモらせて叫んだ。

「我々はただ、女子がいる教室で弁当を食いたいだけだぁっ!」

「うんうん。分かるぞ」

「分かるなっ!」

 味方であるはずの一組からの同意の意見に、明日夏はすかさずツッコミを入れたが、その主張も、多数の声によって打ち消されてしまった。

 こうして男子校のノリで、明日夏を賭けたサッカーバトルが勃発するのであった。



  ☆☆☆



「なんかみんな、いつもより気合いが入っているよねぇ」

 白熱する一組と二組のサッカー対決を、明日夏はピッチの外でのんびりと眺めていた。

 ピッチの外で待機しているのは明日夏だけではない。一クラスの人数が11名よりはるかに多いため、前後半でメンバーを総入れ替えするからである。そのため残りのメンバーはのんびり観戦中である。

 それにしても、普段は体育の授業なんてかったるい、って感じで適当に流しているのに、今日に限っては両チームとも気合が入っていて、真っ向からぶつかりあっていた。


「そりゃ、明日夏がかかっているからだろ」

「……あ、そうか」

 一樹に言われるまで、すっかり忘れていた明日夏であった。

「で、どうだ? 自分が賭けられた試合を眺めていて」

「んー。男を手玉に取って立ち回る、悪女の気持ちが分かった気がする?」

「……何だ、それ」

 一樹に白い目で問い返された。

 明日夏にもよく分からなかった。



 試合の方は白熱したまま1ー1の引き分けの状態で、ハーフタイムを迎えた。ここからは明日夏をはじめとする前半でなかったメンバーと入れ替えになる。

「お疲れー。二組はどんな感じ?」

「ちょっときついですね。なかなかボールが奪えないから、攻めようにも攻められない」

 英治が珍しく汗をぬぐいながら言った。

 明日夏に興味はなくても、一応真面目に授業として動き回っていたようだ。


 体育の授業のサッカーでは、たいていサッカー部をはじめとする上手な連中がフォワードをやり、残りの運動神経のない連中が、だらーっと後方に立っている。そのため、一度相手陣地に攻め行ってしまえば、攻撃側が有利に試合を進められる。

 ここまでは一組も二組も同じなのだが、違う点があるとすれば、相手の二組にはサッカー部のディフェンダーの要と正ゴールキーパーがいると言うことである。

 そのため一組の攻撃は早い段階でカットされ、攻撃を受ける時間は長引くという悪循環に陥っていた。もっともそれで1ー1の同点なのは、高田や馬場などの運動神経に優れた主力級が前に後ろにと走り回ったおかげである。

 だがその分、明らかに疲労はたまっている。


「大丈夫! あとはぼくに任せてよっ」

 明日夏が胸を張った。

 特段に運動神経が良いわけでもないが、男(精神的に)として、スポーツ対決でこういう僅差の燃える展開になっていたら、やっぱり気合が入る。

 だがそんな明日夏に向け、一樹がこっそりと告げる。

「頑張るのはいいが、気を付けろよ」

「へ、何を?」

「あいつらきっと、サッカーで事故を装って、お前に体当たりしようとするぞ」

 そう言われて明日夏はちらりと二組の連中に目をやると、明らかに何かを期待する目で見ていた奴らが、露骨に目をそらしやがった。

「なんでっ。ぼく、男だよ。馬鹿なの? ホモなの!?」

「ふっ。男の娘には性別を超越する何かがあるのですよ。明日夏くん」

「もうやだ」

 さっきまでの気合は霧散して、泣きたくなった。


「ですが、それを逆手に取ることが出来るかもしれませんね」

「ん? どういうことだ」

 英治が汗を拭きながら意味深のことを言う。他のチームメイトが集まってくる。

 英治の作戦は、明日夏をフォワードに置き、一樹をはじめとする主力級をディフェンスに回すというものだった。

「これで我々はボールを奪いやすくなります。それに加え、明日夏くんが向こう陣内にいれば、そちらに注目が行って、攻撃の手も弱まるかと」

 それを聞いていた明日夏は露骨に口を尖らせた。

「えー。それってつまり、ぼくを餌にするってことじゃないの?」

「いえ。違います。フォワードを任すということですよ。サッカーの花形ですからね。シュートを決めるチャンスですよ。期待しています」

「分かった! うん。やるっ」

 明日夏はあっさりと籠絡された。明日夏もお馬鹿という点では周りと大差なかった。



 こうして後半戦が始まる。

 明日夏を餌にする作戦は、結果的にかなり有効だった。

 フォワードという花形でやる気になっている明日夏が、前線にボールが放り込まれるたび、右へ左へと走り回るものだから、二組男子からすれば、かなり目に入る。

「しかもいい感じで汗をかいていますからね。美少女男の娘プラス汗というコンビネーションに加え……そろそろ具現化しますよ。あれが」

「まさか、共学でしか見られないと言う、あの伝説の……」

「そう! 透けブラですっ!」

「おおおぉっ」



「くぅぅ。この……」

 そんなベンチの盛り上がりをよそに、明日夏は一人奮闘していた。

 ボールをとられ、明日夏は肩で息をする。

 何となく気づいていたけれど、やはり男のときに比べて体力も運動能力も落ちている。女子の方が動きが素早いなんて、格闘ゲームの中の話であって、現実では筋力のある男子の方が、瞬発力だって優れているのだ。

 だが、女子だからこそ男子相手に有効な手がないわけでもない。元男としてそれはすごく理解している。


「うう。あまりやりたくないけど……やるしかないか」

 明日夏は一つの結論を出すと、気合を入れ直してチャンスを待った。

 しばらくして、ディフェンダーがクリアしたボールが、ぽーんと前線に飛んできた。それが、たまたまマークがはずれていた明日夏の足下に収まる。

 前を向いてゴールに向かう、明日夏。

 だがその前に、サッカー部のセンターバックが立ちふさがる。

「悪いな。ドキドキランチタイムのために、お前を止めさせてもらうぜ」

「ふぅん。そんな余裕あるのかなぁ?」

 明日夏が挑発的に言い返す。

 その反応に、センターバックが怪訝な顔をして明日夏を見返す。

 それこそが、明日夏がねらっていた瞬間だった。

 明日夏は右手をそっと首元に持っていくと、その襟元をくいっと軽く引っ張った。


「必殺――胸チラっ!」

「っ、うぉっっ」


 明らかに、目の前のセンターバックの視線が、サッカーボールがある足下から、そっちへと移動した。

 その隙に、明日夏は軽くボールを蹴り出して、彼の横から抜ける。

 サッカー部の要がまさか抜かれると思っていなかったのか、1対1になったキーパーが困惑気味に構える。

 だが彼もレギュラー。普通にシュートを蹴っても止められる可能性が高い。

 けれどそれも明日夏の計算済み。キーパーと視線が合った瞬間。

 明日夏はにこっと微笑んでウインクしてみせた。

 女性慣れしていないキーパーはそれだけで、隙が生まれた。

 明日夏の方も慣れない仕草をしたため、最後のシュートがほとんど当たり損ないになってしまったが、キーパーは全く動くことが出来ず、ボールはそのままころころとゴールラインを超えて、ネットに軽く包まれた。


「わーい。やったー」

「まぁ結果オーライですが、あれほど女装を嫌がっていたのに、こういうときには利用するのですね」

 プロがやっているみたいに、ベンチまで走って来て喜びを表す明日夏に向け、英治が呆れ気味に言った。

「あはは。まぁね」

「ん? てことは……よし! ひらめいたっ」

「ひらめくな!」

 明日夏がすかさず一樹にツッコミを入れる。

 何をひらめいたか分からないが、どうせろくでもないことだろう。 

 結局試合の方は、明日夏のチラ見せが噂をよんで、期待させることによって見せなくても相手を行動不能に陥れるという「見せ胸チラ(見せない)」のおかげで、一組の圧勝で終わるのだった。

 こうして明日夏の平穏な食事タイムは守られた――と思ったのだが。



「今日は気分を変えて学食で食べようって思っただけなのに、なんでこうなるの~」

「まぁ、こーなるわな」

 明日夏が食堂に現れたという噂があっという間に全校に広がって、その姿を一目見ようと男どもが食堂に殺到し、結局平穏とは程遠いランチタイムにとなるのであった。




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