第7話 休日のお買い物1

「はぁぁ。やっと終わったー」


 ばたんと机に寄りかかるように伸びをしながら、明日夏は歓喜の声を上げた。

 鬼門の体育を乗り越え、お昼休みに余計なトラブルに巻き込まれつつも、何とか本当の女子になってしまったことを隠し通したまま、一日が終わった。

 ちなみに今日は金曜日である。それはつまり……


「明日は……休みだー。うう。こんなに休みが嬉しいなんて」

 少なくとも二日は、男子校地獄から逃れることができるのだ。

 そんな明日夏に、一樹が声をかける。

「明日夏、休みはどうするんだ?」

「んー。どうしようかなぁ。ゆっくりしたいけど、家にずっといると茜姉におもちゃにされそうだから、どっか遊びに行きたいんだけど」

 その答えに、一樹はにやりと笑った。


「ほう。それはつまり、その格好でということだよな」

「は?」

 こいつ何を言っているんだという目で、明日夏は一樹を見た。

 だが一樹も同じような目で、見返してきた。

「お前の内心の疑問を、そっくり返すぞ。その身体を見て、冷静になって考えて見ろ」

「うっ」

 確かに一樹の言うとおりだ。

 今は「女装している」という設定だから、学校内では男として振る舞えているけれど、客観的に見れば、容姿も体つきも、明らかに女の子だ。

 休日、男の格好をしていたら逆に違和感がありそうなくらいだ。

 だからといって、学校とは関係ない休日まで女の子の格好をしていたら、それこそ本物の男の娘扱いにされてしまう。


「……もういっそのこと、軽井沢の別荘にでも避難したい」

「あるのかよ」

「ないよ」

 明日夏は大きくため息をついた。

「まぁ、学校の奴らに見つからなければ大丈夫だろ」

「やだ! もう土日は家でごろごろ籠城することに決めたから!」

 というわけで、怠惰な週末生活を送ることを決心した明日夏だった。

 のだけれど……。



  ☆☆☆



「一緒に服の買い物に付き合って欲しい?」

「うん」

 その日の夜、明日夏は一樹に直接電話でお願いしていた。

「もちろんOKだけど、でもなんでまた?」

 一樹も、明日夏の急な方針転換に驚いている様子だ。

 明日夏は大きくため息をついて、言った。

「茜姉の着せかえ人形になるくらいなら、まだ一樹の方がマシだから」

 


 ことの発端は数時間前。

 週末というのに早く会社から帰ってきた茜が、うきうきしながら言ったのだ。

「明日は明日夏ちゃんの服を買いに行かなくちゃね」

「へ? 別にいいよ」

 明日夏は素っ気なく返したのだが、横から彩芽の冷たいつっこみが入った。

「へ? じゃないでしょ、お兄ちゃん。今は外出するにも着ていく服がない状態じゃない。いつまでもあたしの服を貸すってわけにもいかないんだからね」

「うっ。ま、まぁそれは……そうかもしれないけど」

 彩芽の服を借り続けるのは、兄としてのプライドにもかかわる。

「ふふふ。楽しみねぇ。どんな服が明日香ちゃんに似合いそうかしらん」

 茜の瞳は完全に、着せ替え人形のそれを見る目だった。正直、嫌な予感しか感じない。

 そのため、明日夏はとっさにごまかしてしまったのだ。

「あ、あの! 実は明日は一樹との約束があるんだっ」

「あら、そうなの?」

「うん、そうなの! で、明日だけは彩芽から服を借りるとして、そのときについでに服も見てこようかなーなんて」

「そうね。うふふ。それもいいかもしれないわね」

 苦し紛れの言い訳だったが、意外にも茜はあっさりと引き下がった。

 何かを含んだ感じの微笑みが気になったけれど、衣服代としての軍資金の提供までしてくれたのだった。



「……というわけで」

「なるほど。つまりアレだな。俺のセンスが問われているのか。はっはっは」

「……まぁー適当に任せるよ」

 この手のイベントだと、女友達や女姉妹の暴走に巻き込まれるのが定番で、実際茜とそうなりかけた。それよりは一樹の方がマシだろうと任せたんだけど、やっぱり不安になってきた。

「いいか? 男受けする服というのは、派手に露出が多すぎても、地味に清楚すぎてもいけない。そのバランスが、求められるのだ」

「別に男受け狙ってないんだけど」

 明日夏がツッコミを入れるが、一樹はそのまま電話越しに持論を展開する。

「そう。かって流行った『童貞を殺す服』。あれこそがそれを体現したものといえるだろう! 露出を控えめにしつつ、しっかりと胸を強調するという……」

「やだよ、あんなの」

 明日夏はすでに一樹を選んだことに後悔し始めていた。



  ☆☆☆



「お待たせ」

 というわけで翌日。

 茜と彩芽の姉妹の妙な視線に見送られて家を出た明日夏は、駅前で一樹と合流した。

 ところが一樹は明日夏の姿を目にするなり、すごい剣幕で迫ってきた。

「って、なんだ、その服は!」

「ん、彩芽のだけど?」

 明日夏は自分の服装を見て答えた。長袖のシャツに動きやすいパンツ姿。なるべく無難なものを選んできたつもりだ。

「そうじゃなくて、下! なぜズボンなのかと聞いている」

「えー。パンツでも別にいいじゃん」

「良くない。お前はまるで男心を分かっていないっ」

「分からなくていいよっ!」

「――って、お前はそれでいいのか?」

「確かにっ! 良くない、けど……」

 一樹に真顔で返されて、明日夏も気づいた。

 今はこんな身体をしているとはいえ、本来は思春期男子なのだ。男心を忘れて女子に染まってしまったら、いろいろ戻れなくなる。

「だいたい、ぱんつ、なんて、普通の男は恥ずかしくて言えないぞ」

「そうかなぁ」

 上と下の女二人に囲まれて生活してきたからか、服の呼び方も一般的な男子とは異なっているのだろうか。

「そうだ! テレビで、お天気お姉さんが『熱中症』と言うのを聞いているだけで、ドキドキするぐらいだからな」

「ねっ……ちゅう、しよー? あ、そういうことね……」

 明日夏は白い目を向けた。

 これが男心だというのなら、ちょっと無理なような気がした。



 二人がやってきたのは、駅からすぐ近くにある衣服品チェーン店だった。さすがに男と元男のコンビに、おしゃれなアパレル店のようなところは敷居が高すぎる。

 それでも、女性服売場に足を踏み入れたのは二人とも初めてだった。


「ほうほう。これが」

「よくまぁ平然としていられるよねぇ。この格好をしているぼくでさえ、場違い感を半端なく感じているのに」

「確かにな。だが、これはむしろ復讐だ。男性服売場にずかずかと足を踏み入れてくるおばさんどもに対する、な」

「まぁ意味は分かるけど」

 確かに男性服売り場におばちゃんたちの姿は多くて、たまにドキッとする。

 あれはもちろん、自分で着るためではなく、旦那さんや息子のためなんだろうけど。

 そういえば、その逆はあまり聞いたことない。まぁお父さんが年頃の娘の服を買ってきても、キモがられるだけかもしれないけど。哀れだ。


「おお。下着類がこんな無造作に積まれているなんて……」

「ぼくは見慣れているけどねぇ」

 今女子だからではなく、上下を女姉妹に囲まれているからである。

「ねぇ。さっさと決めちゃおうよ。とりあえず二着セットあればいいから」

 後は着回す気、満々の明日夏である。

「そうか。ならまずは下着からだな。よし、さっそく店員さんにブラのサイズを測ってもらおう!」

「あー。そういうの別にいいから」

 明日夏はため息をつく。

「サイズはすでに茜姉に測らされたから。強引に」

「なっ。貴重なイベントがすでに終わっているとか。男心が――」

「はいはい」

 すでにその貴重なイベントは茜がこなしてしまっているのだ。

 何となく一樹の反応が読めた明日夏は、軽くいなした。

 その反応が読めるってことは、つまり男心が分かっているだと、明日夏はうんうんと納得した。

「くぅぅ。ならばブラはともかく、ぱんつの方だな。やはり白は基本だが……うーむ、それにしても定番のはずの縞パンが意外にも見あたらないな」

 諦めの悪い一樹は次なる商品に目を移す。

 そんな彼に向けて、明日夏は声をかけた。

「あのさ。下着は、ぼくだけで決めたいんだけど」

「何でだ?」

「だって仮に今日選んだ下着を穿いたとして。学校でスカートの下にあれを穿いているのかな、とか想像するんでしょ?」

「当たり前だ」

「やっぱ一人で決める」

「おおぃっ」

 少しでも否定があればまだ迷ったかもしれないけれど、一樹の反応はストレートすぎた。

 だがすたすたと先をゆく明日夏の後を、一樹が執拗についてくる。


「えーと何でついてくるの?」

「一人で決めるとは言ったが、付いてくるのが悪いとは言ってないぞ」

「それならこっちにも考えがあるけど」

「なんだ」

「今ぼくがそこの試着室にこもればどうなると思う? 一樹はこの女の園に一人きりで残されるんだよ。周りからどういう目で見られるか……」

「うっ」

 おばさんどもへの復讐などと言っていたけれど、やはり女の明日夏がそばにいない状態で取り残されることには抵抗感があるようだ。

 さすがにひるんだようで、一樹はおとなしく引き下がった。


 明日夏は一樹が戻ってこないうちに、ぱぱぱっと目についたもの(じっくり見るのも恥ずかしいので)を選んで、下着類の購入を終えた。ブラも試着しなかったけどサイズが同じな大丈夫だろう、たぶん。

 ちなみに意図したわけでもないけれど、買った下着は何となく彩芽のものに似てしまっていた。

 おそらく初めて着せられた下着が彩芽のものだったから、それが下着としてのイメージとして定着してしまった結果かもしれないけれど、後でさんざん彩芽に文句を言われるのであった。



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