第38話 夏休み、二本立て

「それじゃ、まー、事件だけは起こすなよー」

 担任の中井がいつものように適当に言って、教室を出ていった。

 いよいよ、明日から夏休みである。


「わーい」

 明日夏は浮かれていた。

 けれど、周りの反応はなぜか微妙だった。夏休みだというのに。

「え、どうしたの?」


「……学校がないと女子明日夏に会えない」

「居きる希望がない」

「って、そもそも去年までは平気だったんでしょ」

 明日夏の言葉に、男どもがうめく。


「確かに。だがあのときはまだ明日夏を知らなかったからなぁ」

「ああ。女を知ってしまった俺らは、もうあの夏に戻れないってことさ」

「女を知ったって、ぼく男だからね!」

 いつも通りの反応とはいえ、そこはしっかりとツッコミを入れておいた。



  ☆☆☆



「おはよ。……ん? お兄ちゃん、夏休みに入ったのに制服なの?」

「うん。宿題をやりに、学校までね」

 彩芽の問いかけに、明日夏はきらりと言った。

 いつもより遅く起きてきて、まだパジャマ姿で髪も乱れている彩芽と、きっちりと身だしなみを整えて朝食を食べている明日夏。

 兄としての威厳を守った気分の明日夏であった。

 ちなみに茜は普通に会社があるので、先に家を出ている。

「宿題って、夏休みの? わざわざ学校に行かなくてもいいんじゃないの?」

「ふふふ。学校の方がいいんだな、これが」

 明日夏はにやりと笑って家を出た。



「おはよー」

「おぉぉっ」

 明日夏が教室に姿を見せると、先に教室にいた有志の男どもから声が上がった。

 明日夏は彼らに向かって、営業スマイルを浮かべると、さっそく鞄の中から教材を取り出した。


「はい。じゃあこれが高田の分、こっちは馬場で。あと古典は上石に任せて、残りは神井ってことで」

「おぅ。任せておけ。で、明日夏はどうするんだ?」

「ぼくは試験のときの先生みたいに座っているから」

「お、いいな。ついでに女教師をやってくれないか」

「はぁ。もー。分かったから、ほら、早くやってね」


 というわけで。

 明日夏は意味もなく教室内をうろついて、各々のノートをのぞき込んでは顔を近づけてみたり、黒板に意味のない適当な数式を書き込みつつ、黒板の上の方に手が届かないと言う萌えポイントを演出して見せた。何だかんだで、明日夏の方もノリノリである。

 そもそも学校に若い女教師がいないのが問題なのだ。

 いるのは数名。それも決して若いとは言えない年齢で、さらに英治の好みからも外れるような、女というような性別を捨てた人物ばかりなのだ。


「せんせー、ここが分かりませーん」

「分かりなさい」

「明日夏先生っ。この問題の解き方を教えてください!」

「今は自習の時間でーす」

「スリーサイズを教えてくださいっ」

「セクハラ発言は裁判沙汰になるので気を付けましょうー」

「彼氏は居ますかー」

「い・ま・せ・ん・っ!」


 そんなこんなで宿題はどんどん進んでいく。手分けしているのでかなりのスピードだ。このままなら一気に終わらせることができるかもしれない。まぁ正解かどうかは保証できないけれど、結果より過程を重視するのが宿題というものだと、明日夏は主張したい。

 だがこのまま一気に終わるか、というところで、男どもから声が上がったのだ。


「今気づいたんだが、せっかくの夏休みなのに、これって、いつもと同じじゃね?」

「むぅ……確かに」

「えーっ。だって。それを言い出したのって、そもそもそっちだよねー」

「今から夏休みっぽく、どこか遊びに行くか」

「女を知ってしまった、はどうなったの?」

 明日夏は白い眼を彼らに向けた。


「ふっ。夏休みを思い出したのさ」

「ああ。男の娘じゃない、本物の女子との出会いを目指すのさ」

 彼らはそう言うと、宿題を置いて席を立つ。

 そしてそのまま教室を後にしていった。彼らの顔は一様に、良い顔をしていた。


「……ま、いっか」

 一人残された明日夏も、納得した口調でつぶやいた。

 男どもにやらせただけでも、だいぶ宿題は進んだので、ほぼ目標は達成できたようなものだ。

 女装という設定で、学校に来る必要もなくなったし。もちろん今後は、彼らから連絡が来ても、夏休み期間中と言い張って、会うつもりもないし。

 明日夏も納得した、珍しくwin-winな関係だった。



 ちなみに。

 宿題があらかた終わって油断していた明日夏は、残りの宿題を片づけることなく後回しにしたままその存在を忘れてしまい、結局夏休みの終わり頃に宿題に追われるという夏の風物詩を味わうのであった。





★ 真夏の昼の三姉妹


 八月初旬の一年でも一番暑い時期。

 それは唐突にやってきた。


「れ、冷房が……壊れたーっ!」

 明日夏が断末魔な悲鳴を上げて、部屋から飛び出してきた。

 冷房は確かに動いているのに、生ぬるい風が送られてくるだけで、ぜんぜん部屋の温度が下がらないのだ。

 あっという間に部屋の温度は上昇し、文字通り死活問題である。


「えっ、嘘? 私の部屋もよ」

 彩芽も自室から顔を出した。無造作に結ばれた後ろ髪からのぞくうなじに、汗が浮かんでいる。

「あらら。リビングの方も調子悪いのよね~。もしかして、室外機が原因かしら?」


 今日は休みなので家にいる茜が首をひねった。

 秋津家のマンションは3LDKで、それぞれの部屋とリビングにはエアコンが設置されている。そしてそれらの室外機は、すべて一つの物で管理されているのだ。どうやらそこの調子がおかしくなったせいで、全ての冷房の効果が著しく弱まってしまったようだ。


「修理のお願いをしたわ」

 茜が電話を切って言った。

 電話口での会話のやりとりを聞いた限りでは、やはり室外機が問題のようで、それを直すまでは冷房は復活しないみたいである。


「じゃあ、ぼくは珍しく図書館にでも行って勉強しようかなぁ……」

「私も今日はどこかに電車にも乗って……」

「――うふふ。ちょっと、待った~」

 冷房の効いていない家から脱出を図った明日夏と彩芽だったが、そんな二人の前に茜がにっこりと、けど有無を言わせない気迫で立ちふさがった。


「修理屋さんが来るまで、誰かが待っていなくちゃいけないでしょ。連帯責任よ~」

 修理業者は、出来るだけ早く来ます、と言っていたようだけど、時間設定はかなりアバウトで、早ければ昼前、遅ければ夕方あたりという。

 つまりその時間帯は、最低でも誰か一人が残っていなければならないのだ。仮に修理屋が来たとき留守だったら、下手すると翌日以降に先延ばしされかねない。

 こうして、秋津家一同による、夏の我慢大会が開催されるのであった。



  ☆☆☆



「あー、暑いーっ」

 いったん自室に戻った明日夏だったが、すぐに暑さに耐えかねてリビングへと戻ってきた。同じクーラー不使用でも、空間が広く風が抜けるリビングのほうがまだ涼しいのだ。

 実際、彩芽も同じようにいるし。


「もー。お兄ちゃん、暑いのはわかってるんだから、わざわざ言わなくても――って、何その恰好っ?」

「えー。別にいいじゃん。暑いんだし」


 明日夏はキャミソールの裾をぱたぱたさせながら答えた。

 パジャマから着替えた明日夏は、服を着ることを断念した。そのため、パンツにお腹あたりまでのキャミソールを身に着けただけの格好である。もちろんノーブラだ。どうせそのうち男に戻れるはずなので垂れ乳は気にしなくていいし。見せる相手が身内なら問題ないはず。

 と思ったのだけれど、彩芽には不評のようだ。


「何が悲しくて、お兄ちゃんのパンツ姿を見なくちゃいけないのよっ」

「えー、男のパンツじゃないし。別に平気でしょ?」

「いい? 女同士だとしても、家族同士だとしても、最低限のね――」

「でも、茜姉も。ほら?」

「ん? どーしたのぉ? それより水風呂いいわよー。涼しくて」

「お、お姉ちゃんっ!」

 茜はバスタオル一枚の姿だ。もちろん、その下には何も身に着けていないだろう。

「もー。お姉ちゃんも、ちゃんと服を着てよっ」

「えぇ~。いいじゃない。それより彩芽ちゃんも脱いだほうが涼しいわよ~」

 茜の反撃。

 それ幸いにと、明日夏も迫る。


「ほらほら、茜姉もそう言っているんだし、彩芽も脱いじゃおうよ~」

「ちょ、暑いっ。もぉー、くっつくなぁぁ」


 迫ってきて、素肌をぺたぺたくっ付けてくる明日夏に対して、彩芽が暴れる。

 普段の明日夏ならこのようなことはしないのだが、暑さのせいで変なノリに入っていた。初めて女の子になってしまったとき、彩芽に強引に脱がされることになった仕返しも、若干入っているかもしれない。


「あー、明日夏ちゃん、ずるいぃ。お姉ちゃんもー」

 茜も寄ってきて、明日夏の反対側から彩芽に引っ付くと、肌をすりすりさせる。

「あーもぉーっ。暑いっ! 邪魔! 分かった、わかったから!」

 彩芽は二人を強引に振り払うと、そのままの勢いでシャツを頭から脱いだ。そして下の短パンも足から抜き払う。パン・ブラ姿である。

「おーっ」

「きゃー、かわいい」

「べ、別に、普通でしょ。二人と同じよ」

 彩芽がぷいっと顔をそむけた。



 その後三人は、誰がうちわを仰ぐのかじゃんけんをしたり(クーラーに頼り切っているため、家に扇風機はない)、お昼は素麺にしたいけれど、茹でるのが熱いから、熱湯を使わないようどうやって素麺を作るか、真剣に議論したりと……途中から熱に浮かされてまともな判断になってこなかったけど。

 そんなこんなをしながら、アイスだけでお昼のカロリーに割り当てて過ごしていると、ようやくピンポーン、と玄関から音がした。


「すいませーん。ヤマタ電機の……」

「あっ。修理屋さんよっ。やっと来てくれたわ」

 茜がすっと立ち上がって、玄関へと向かう。――未だにバスタオル一枚の姿のままで。


「ちょ、ちょっと。茜姉っ?」

「お姉ちゃん、服、ふく!」

 明日夏と彩芽が慌てて立ち上がって、茜の後を追う。

 けれどやはり暑さに堪えていたのか、茜は普段と違うスピードで玄関まで向かっていて、扉を開けてしまった。

「どうも。すいません。管理会社様からご依頼を受けてやってきた――」

 そう言って、若いお兄さんは口を開けたまま固まってしまった。

 彼の目に映っているのは、バスタオル一枚巻いただけの肌色高めの姿で玄関前に立っている二十代前半の若い女性。

 そして、下着姿で廊下の奥からくっ付くように駆けてやってくる、あられもない二人の女子中高生の姿だった。



  ☆☆☆



「そ、それでは。修理は終わりましたので」

「はい。ありがとうございました~」

 茜(もちろんちゃんと服を着た)は平然としているが、その後ろにいる明日夏と彩芽は冷房が効き始めているというのに、顔が真っ赤なままだ。こちらももちろんちゃんとした服を着ているけれど、下着姿をばっちり見られてしまったため、修理屋のお兄さんと顔を合わせるのが、気まずすぎるのだ。

 もっともそれは、相手のお兄さんも同じようだけれど。


「もー。お姉ちゃんのせいで、酷い目にあったじゃないのっ」

「まーまー、いいじゃない。楽しかったし~。きっとお兄さんも、仲良し三姉妹って、思ったわよ」

「仲良し三姉妹……ねぇ」

 明日夏は冷房の風の下で顔を見上げた。

 今まではこの姿になっても、頭の中では、姉妹に挟まれた弟・兄という立場のイメージだった。けれど、修理のお兄さんに下着姿をそろって目撃されたときは、確かに茜の言うとおり、どう見ても普通の三姉妹だったはずだ。


「ま、たまにはこんな感じも良かったかな」

 そうしみじみと語る明日夏の横で、「良くない!」と彩芽が一人頭を抱えてうずくまっていた。



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