第21話 正体がバレた――のに相手は興味なし?

「はぁ……疲れたぁ」

 女子更衣室にて。明日夏は大きくため息をつきつつ、水に重く肌にくっついている水着の肩紐を引っ張った。

 今日の体育もプールの授業だった。女になってもプールの授業は楽しいんだけれど、体力がなくなったからか一人で泳いでいるからか、けっこう疲れる。しかもまだ一時間目が終わっただけなので、この先の授業もあるのだ。

 だが疲れの面はともかく、着替えに関してはさすがに慣れてきた。楽することも覚えた。

 だから油断していたのかもしれない。


「あっ――しまったぁぁぁっっ!」

 明日夏は思わず更衣室内で叫んでしまった。

 幸い、男子どもが普通に生息している場所から離れた位置にあるので、その声を聞かれることはなかったけれど、もし聞かれたら、奴らが何事かと飛び込んできたかもしれない。

 それはさておき。

 フリル付きスク水を脱いですっぽんぽんの上にプリーツスカートを穿いただけの状態の明日夏は、荷物の中身をみて絶句していた。

 本来スカートの下に着けるべきの下着が……ない。

 それもそのはず。だって家から水着を着て学校に登校したのだから。

 いわゆる、お約束のミスである。


 小学校の頃も同じミスを犯したことのある明日夏だったが、ズボンと違いスカートだと洒落にならない。しかも下着はパンツだけじゃなく、キャミソール、そしてブラも同様に持ってくるのを忘れてしまっていた。

 さすがに胸がぺったんこで見られてもかまわない男子のときと違って、胸も膨らんでいる女の子の状態で、薄い夏服のセーラー服一枚というのは勘弁だ。

 ノーパンノーブラで男子校の生徒に交じって授業を受けるなんて、どこのエロ漫画の世界だと自問自答したい。

 とりあえず、明日夏はセーラー服をそのまま素肌の上に身に着けてみた。


「ううぅ。やっぱり違和感があるかなぁ……」

 外からの見た目は、じっと凝視されない限り、そこまで目立たないかもしれない。もっとも普通の学校ならともかく、ここの男子校は普通じゃない。馬鹿どもは本気でじっと凝視してくるので、全然安全ではない。

 そもそも気づかれなかったとしても、直接素肌の上に制服を身に着けていると、やはり肌触りが気になってしまう。男子のとき素肌ワイシャツしていても全然平気だったのに。

 スカートの方は見た目が全く変わらないので、変に思われることはないだろう。そもそも普通に生活していたらパンチラなんて機会は存在しない。共学だった中学のときも、女子のパンツが偶然見えた、なんてラッキースケベは皆無だった。

 もっともそれは、この学校の馬鹿どもがスカート捲りをしてこない、というのが大前提になるわけで。


「――って、やっぱダメじゃんっ!」

 もし下の女の子の部分を見られたら――

 それを見た男子どもはショック死しかねない。さすがの明日夏も人が目の前で死ぬのは見たくない。ていうかそもそも見られたくないし。

 服の下に着られる体操着があればいいんだけど、プールの授業だと分かっていたので持ってきていない。

 何かいい案がないかと考えてふと思いつく。

「そうだ。保健室に行ったら、替えの下着があるかも……?」



  ☆☆☆



 というわけで明日夏は教室に戻ると、ついさっきまでプールではしゃいでいたのに、体調が悪いと適当に嘘をついて保健室へと向かった。この容姿になってからクラスの皆が優しいので、ちょろいものである。

 もちろんその間も、そして今も、制服の下に下着を着けていない状態のため、心もとなさはピークに達しているけれど、それもあとちょっとの辛抱だ。


「失礼しまーす」

 軽くノックして、明日夏は保健室の扉を開いた。

 部屋の中はたばこのにおいが充満している。不良男子が授業をサボって保健室で喫煙している……のではなく、保健養護教師自身が吸っているのである。

「ん? お、その恰好は、噂の秋津か。どうした」

 椅子をくるりと回して視線を向けてきたのは、たばこを口にくわえたおっさん教師。名前は確か、保谷。三十代くらいで、ごつい風貌の持ち主だ。

 ここは男子校。保健室には美人の若い先生が……なんてパラダイスは存在しないのだ。


「えーと。ちょっと聞きたいんですけど……保健室にパンツって置いてあります?」

「ああ。そこの引き出しに入ってるぞー。勝手に持っていけ」

「どうも」

 明日夏はぺこりと頭を下げて礼を言うと、保谷が指さした引き出しを開けた。

 ……

 …………

「あの……」

「ん、なんだ?」

「なんで置いてあるの、白ブリーフだけなんですか?」

「あぁ? んなの、俺の趣味に決まってるだろ」

 言い切られた。

「……ちなみに、女の子用のは?」

「あるわけねーだろ」

「そーですよねぇ」

「まぁ共学になるからそのうち仕入れとかなきゃいけねーんだろうけど、女子のパンツなんかここに置いておくと、てめら勝手に盗んで行くだろ」

「……そーですね」

 色々実体験をしているので言い返せない明日夏であった。

 とりあえず一枚の白ブリーフを手に取る。まぁトランクスよりは女物のパンツに近いかもしれない。

 明日夏はベッドわきに移動するとカーテンを閉めてから、そのパンツを穿いてみた。実際穿いてみると、男のそれの部分を計算して作られているのか、ちょっと前の部分がぶかぶかしている感じだけれど、何も穿いていないよりはずっとましだ。

 これで下の方は何とかなった。あとは上だけど……

 明日夏はカーテンから首だけ出して、保谷に聞いてみた。


「あのー。ブラジャーなんておいてないですよね」

「ない」

「……。じゃあ、絆創膏を二つくれますか?」

「ん、なんだ。怪我でもしたのか?」

 さすがに腐っても養護教諭である。

 立ち上がって絆創膏を取り出すと、明日夏の元まで持ってきてくれた。

「えっと。まぁ、そんなところです」

 明日夏はそれを受け取ると、さっとカーテンを閉めた。

 少し抵抗があったけど、セーラー服の上着を脱いで上半身裸になる。

 絆創膏にどこまで効果があるか分からないけれど、多少ぽっちが目立たなくなって、衣擦れも楽になればいいのだけれど。


「……でもなんか、こっちの方がむしろ変態っぽいかも……?」

 そう思いつつも、おっぱいの上にちょこんと飛び出ている右の乳首に絆創膏を張ってみた。最近ではすっかり見慣れてきたというのに、何故だろう。中途半端に隠すと、逆にエロく感じる。

 果たしてこれに意味があるのか。片方はどうしようかと明日夏が悩んでいるときだった。

「おい。怪我したんなら消毒もした方がいいぞ」

 と、保谷がさっとカーテンを開けたのである。


「…………」

「…………」

 上半身をさらけ出した明日夏と、保谷が見つめ合ったまま固まってしまう。

 先に反応したのは保谷だった。

 彼は何も言わず、無言で明日夏の腕を掴むと、そのままベッドわきから引っ張っていき、保健室の入り口まで連れていく。そしてがらりと扉を開けると、ぽいっと明日夏を廊下へと放り出した。

「女に用はない、帰れ!」

「って、扱いがひどすぎっっ!」

 がらっと閉められた扉を開いて、明日夏は保健室に転がり込んだ。

 戻りたくなかったけど、上半身裸で胸をさらけ出した状態で男子校内に放り出されるのは勘弁である。


 女にされて一か月ちょい。今まで一樹にしか知られることなく、男子校内の生活を何とか送っていた。

 だがついに、ここにきて正体がバレてしまった――


 という盛り上がる状況なのに。

 その正体を知ってしまった重要なキャラが、やる気が無さすぎだ。


「なんだお前、本当に女だったのか。ちっ、俺の去年一年間のときめきを返せ。ったく、男だからいいんじゃねーか。女じゃ意味ねーだろ」

「……えーと。それってもしかして」

 明日夏は胸元を隠したまま一歩二歩後ろに下がった。

 密室に男と女。でもって女の方は上半身をさらけ出しているというのに、別の意味の恐怖を、明日夏は感じた。

「ん? ああ、安心しろ。俺は、×で言うところの、後ろ側だからな。無理やり襲ったりはしねぇから」

「まさかの、受けっっ?」

「あーあーあ。その童顔っぽい容姿でよ、実はSっぽく攻めてくるのを想像していたのによ。まさか付いてねーなんて」

「あのー。いちおう言っておくけど、そのときは男の子だったんだけど……」


 毒を食らわば皿まで。

 ちょっと意味が違うかもしれないけれど、今は女であるという秘密を知られてしまったのだから、自分の名誉のためにも、例の女性のことも含めてすべてを語ることにした。

 明日夏の話を、保谷は特に馬鹿にすることなく最後まで聞いてくれた。


「ふぅん。まぁそんなことがあったのか」

「……信じるんですか?」

「突拍子もない話だけどよ、去年まで男だった奴が、こうして目の前に明らかな女として話しているんだから、事実は事実なんだろ。去年の時点でこの俺が女を男と見間違えるはずないからな」

「どうも……」

 根拠がアレだけど、信じてくれたようだ。


「まぁそういうわけで、来年の三月までの辛抱なんです。今のところ上手く隠し通せているので、そのときまで先生には黙っていて欲しいなって」

「ん、来年の三月までって、どういうことだ?」

「どういうこと、って。そりゃ、校長先生との約束ですから」


 明日夏が女子生徒として生活するのは、あくまで周りの男どもが女子という存在に慣れるためだ。それと明日夏が女子として生活して不便に感じたことを改善するのが目的だ。

 来年度何人の女子生徒が入学してくれるかは分からないけれど、そのときは彼女らに混じって女子生徒としてではなく、ちゃんとした男子に戻って学校生活を送るという話になっている。

 明日夏としては、ここは絶対に譲れない条件だ。


「いや、それは女装だと思っている横瀬校長とお前との約束だろ」

 だがそんな明日夏の答えを前に、保谷は軽く息を吐くと、たばこを取り出して火をつけながら言った。


「俺が言いたいのは、そっちじゃなくて、お前を女にした謎の女との話だ。お前はそいつに、来年の三月までという話はしたのか? 今の説明を聞いていると、とてもそうには思えなかったんだかが」

「あ」



 明日夏は完全に固まっていた。

 謎の女性は明日夏の女子生徒の制服姿を見て、女の子になりたいと思っていると勘違いして明日夏を女子に変え、そのまま去って行ってしまった。

 ――期限のことなんて、言ってもいないし、向こうも聞いていない!


「ちょ、ちょっと待って。えっ、ええっ。あぁぁぁ、ど、どうしよう……」

「なんだお前、今まで気づいていなかったのか?」

 保谷のあきれた声も、混乱する明日夏の耳には全く届いていなかった。



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