第20話 透けブラの話と、生理の話
※ 今回は短いので、二話構成になっています。
★ 透けブラを選ぶか、暑さを選ぶか
「うーん……」
半袖になったセーラー服を着て鏡の前に立ちながら、明日夏は首をひねっていた。
明日から六月である。
女子にされたのは五月の連休明け。ずいぶん経っている気がするけれど、実際はまだ一ヶ月も経っていないのだ。
そのことを考えると気が遠くなるけれど、今は目の前のこと。
六月と言ったら、そう衣替えの季節である。
今までのセーラー服が半袖になり、上に着ていたカーディガンを脱がなくてはならない。別にそのままでもいいのかもしれないけれど、どのみち暑苦しいし。セーラー服自体も半袖になっただけじゃなく、心なしか生地も薄くなった気がする。
それはそれで涼しそうで良いんだけど、だがそうすると……
家でそれを試着しながら、明日夏は彩芽に聞いてみた。
「ねぇ、彩芽。これって、ブラ透けてないかな?」
「大丈夫。ちゃんと透けてるよ」
「そっか、良かっ……って、ぜんぜん大丈夫じゃないっ!」
「お兄ちゃんって、意外とそういうの気にするよねぇ」
彩芽が呆れた様子で言う。
女歴が長いせいか、彩芽はたまにこうやって悟りきっている面がある。
「彩芽は共学で、周りに同じような女子がいるから大丈夫かもしれないけれど、男子校の男どもの中に一人放り込まれるぼくの身になって考えてほしい」
「そんなに気になるなら、体操着かTシャツでも、下に着込めばいいじゃない」
「うーっ。真夏でそれだと暑そうだなぁ」
「だったら、キャミソールでも着とけば?」
「まぁ透けブラになるよりましかなぁ……。それにして男子に比べてこれって、不公平じゃない?」
「それは諦めなさい」
彩芽にきっぱりと言われて、明日夏は天を仰いだ。女の先輩の言葉は絶対だ。
なんで男のときは上半身裸でも平気なのに、女子は二枚どころか三枚も身につけないといけないのか。
そんな明日夏の様子を見て、女子の苦労を思い知ったかとばかりに彩芽が笑って付け加える。
「夏は夏で大変だけど。逆に冬は、スカートで生足だからね。覚悟しておいてね」
「うげぇっ」
「ま、どうしても寒いって言うのなら、スカートの下にジャージを着込んでおくっていう手もあるけれどね」
彩芽が笑って言う。
まだ冬の寒さに直面していないけれど、スカート姿で登下校しているので、そういう格好をしている女子の気持ちが、明日夏にも理解できた。
ーーとはいえ。
「うーん。でもあれって、端から見ると萎えるから、やりたくないなぁ」
「……そーいうところは、まだ男子なんだね」
彩芽の言葉に、明日夏は力強くうなずいた。
そう、まだ男子なのだ。だからこそ、透けブラは厳禁なのだ。
☆☆☆
「ブラが……す、透けていないっ、……だと」
「へへん。残念でしたっ」
そして六月初日の学校にて。
男子たちも半袖のワイシャツに替わって、一気に明るくなった校内で、予想通り明日夏の透けブラを期待していた男どもが、明日夏の背中を見て驚愕の声を上げていた。
対策はばっちりである。
だが崩れ落ちる男どもを尻目に、一樹が明日夏に尋ねる。
「ひとつ聞きたいんだが、制服の下に着込んでいるのはキャミソールだよな?」
「うん。そうだよ」
明日夏がしてやったりといった感じで答える。
だがそれを聞いた一樹は、なぜかぐっっと拳を握って満面の笑みを浮かべた。
「なるほど。つまり下着だな」
「え?」
「そもそもキャミソールとは下着。ブラも下着。つまりこれは、透けブラと同義と考えても間違いないはずだ!」
「うぉおぉぉぉっっ!」
「さすが、一樹。すげぇぜぃっ」
「えっ、ええぇぇっ。ちょ、ちょっとっ」
明日夏は慌てて両手を背中に伸ばした。
せっかくの防御が急に恥ずかしくなってきた。
そんな明日夏に、とどめを刺すかのように、英治が何気なく告げた。
「どうでもいいですが、体育の体操着から、ちょいちょいブラが透けていましたよ」
「ーーえぇっ」
明日夏はショックで固まった。
すでに男どもの視姦に遭っていたとは、想像もしていなかった。普通は気づきそうなのにそれに気づかない、安定の明日夏クオリティである。
「まぁ、明日夏君が女子として学校生活を送っているのは、男子校の生徒たちに女子の刺激を慣れさせるためですからね。透けブラも披露してもらった方が、学校的には良いかと思いますよ」
「ううっ……」
明日夏はうなだれた。
「まぁ私としても、透けブラしてもらった方が有り難いのですが」
「えっ。英治も?」
明日夏は驚いて聞き返した。
英治は明日夏の身体には無関心だと思っていたのに。
そんな明日夏の疑問を感じ取ったのか、英治が補足を加えた。
「ええ。別に子供っぽい透けブラが見たいわけではありませんが、その方が好都合なんですよ、色々と。どうです? 少し試してみませんか」
英治はそう言うと、悪巧みを仲間に打ち明ける悪代官のような笑みを浮かべた。
☆☆☆
涼しさや楽を追求するか、恥ずかしさを選ぶか。
結局明日夏は、前者を選んだ。透けブラ覚悟で学校生活を送ることにしたのだ。
英治に言われたからというよりは、単純に暑苦しいのはやだだったからである。
暑さは慣れなくても、恥ずかしさは慣れる。
こうやって女子は成長していくのだなと、明日夏はしみじみと思った。
そんな衣替えの出来事から一週間後。
明日夏は生徒会室に呼ばれていた。
中で待っていたのは英治。その机の前には、学校近くのケーキ屋で勝ったと思われる洋菓子が置かれていた。
「どうぞ。生徒会の奢りです」
「ええっ、いいの?」
明日夏は目を丸くした。甘いものは女の子になる前から好物なのだ。
「はい。元々計上していた予算が、丸々浮いたおかげで、生徒会にもかなりのお金が入ったので、せっかくだから使ってしまいましょう」
「へー。予算って、何の?」
さっそくシュークリームにかじり付きながら、明日夏は何気なく聞き返す。
そんな明日夏に、英治はさらりと答えた。
「各教室へのクーラー設置の話ですよ」
「えっ?」
中途半端に古い武西高校では、建物内全ての部屋にクーラーが設置されているわけではない。生徒たちが普段使用している教室も、クーラーの内部屋の一つだ。
もっとも昨年の夏、生徒や授業を行う教師からも不平不満が続出し、昨今の熱中症対策もかねて、今年こそはクーラーが配備されると聞いていたが。
「それが撤回となりましてね」
「えーっ。なんで、どうして?」
「明日夏君のおかげですよ」
「……ぼくの?」
きょとんとする明日夏。少し間をおいて、その理由が思い当たった。
「まさかそれって、透け……」
「ええ。そうです。多数の生徒たちだけではなく、一部の教師からも意見が出ましてね。とりあえず先送りになりました」
「ううっ……馬鹿ばっかりだ……」
明日夏はうなだれた。
涼しい格好をしていたら、逆に暑いままになってしまった。
何という皮肉だろうか。
「そもそも、そんな単純に決めちゃっていいの?」
来年度の新入生から、男女問わず、冷房がなくて暑いというクレームは入らないのだろうか。
「まぁそのときはそのときでしょう。その声で工事することになっても、翌々年は私たちは卒業していますので関係ありませんので」
英治はすがすがしいほどしれっと言い切った。
ちなみに生徒会室は冷房完備なので涼しい。
「まぁ、そうだねー」
どのみちすぐに改善されないのなら、素直に買収されておいてもいいだろう。
明日夏は深く考えず、三個目のシュークリームに手を伸ばした。
★
それは、とある休日のこと。
茜は外出していて、リビングでは彩芽はがレンタルしたDVDの映画を見ていた。
その彩芽のもとに、ゆるいTシャツにゴムのスカートというラフな部屋着姿の明日夏が、ひょこひょことスマホを持って現れた。
「ねー、彩芽、ちょっと聞きたいんだけど?」
「ん、なぁに」
「その、生理ってどんなものなのかなぁって……」
「……はぁ?」
思いっきり不機嫌そうな声が返ってきた。
彩芽の反応にちょっと怖がりつつ、明日夏は彩芽にピンク色のスマホの画面を見せる。
「えっと。実は和佳からこんなメッセージが届いて……」
『えーん。生理つらいよー。助けて~』
「ええっ? 和佳ちゃんって、お兄ちゃんにこんな相談までしちゃうのっ?」
彩芽が驚いた様子で声を上げる。
明日夏は軽く頬を書きながら、補足を加えた。
「えーと。これはぼくというより、『あさひ』に向けて送られてきたものなんだけど」
「あー。お兄ちゃん、そういえば、和佳ちゃんに対して、一人二役してたんだっけ」
彩芽が思い出したように顔を上げる。
「んー。つまり同性のあさひちゃんにメッセージを送ったってことね。女の子同士でもこういうことを言っちゃうのは和佳ちゃんらしいというか……。学校の友達とは違う距離感がいいのかしら」
彩芽は首をひねりつつ、明日夏に向けて解説をする。
「ま、ようは個人差があるからね。辛くて何もかもが面倒くさいっていう人もいれば、逆に構って欲しくなっちゃう人もいるし。和佳ちゃんはそっちタイプなのかな。生理っていっても、人によって辛さもそれぞれだからね」
「ふぅん。そういうもんなんだー」
他人事のようにつぶやく明日夏。
それを見て、彩芽がふと思い出したかのように聞いてきた。
「そういえば、お兄ちゃんって、まだなの?」
「え、何が?」
「……話の流れで察しなさいよ」
彩芽にじっと見つめられて、明日夏は気づいた。生理のことだろう。
確かに今の自分は女の子の訳だから、それがあってもおかしくない。女の子になってから、一か月過ぎているし。
けれど――
「あ、そういえばまだ来てないなぁ」
明日夏がお気楽にそう言うと、なぜか彩芽はぎょっと身体を引いて、警戒するような視線を向けてきた。
「……ま、まさかお兄ちゃん……入間さんとすでにえっちなことしてて、中に……」
「――って、そ、そそんなことないからっ! ていうか女の子がそんなこと言っちゃダメっ」
「――何言ってるの。それくらいの知識があるのは当たり前でしょ」
「うっ、まぁ、そうかもしれないけど……」
顔を真っ赤にしている明日夏とは対照的に、まだ彩芽の方が平然としている。学校における性教育の男女差だろうか。明日夏(男)が受けた授業なんて、すごく適当で、男子が騒いでいるだけだったし。
と、それはさておき。
明日夏は少し考えて答えた。
「もしかするとだけど、ぼくの身体って、普通に生理がないのかも」
「え……どういうこと?」
「ぼくを女の子にした神様っぽい人が言っていたんだけど、『ぼくの理想通りの女の子にした』って」
「それで?」
彩芽にジトっと見つめられたまま、明日夏は言いにくそうに説明を続ける。
上と下と女の姉妹に囲まれて育ってきたため、明日夏は一般的な男子高校生に比べ、女子の現実を知っている。
生理は辛そうし、ムダ毛の手入れもいちいちするの大変そうだし、出かけるたびに化粧して落としての繰り返しだし、そもそもやり方もわけわかんないし……と、女子のプラス部分より、面倒そうなことの方が真っ先に頭に浮かぶ。
ちょっとした変身願望から、可愛い女の子になってみたい、と思う男の人もいるかもしれないけれど、少なくとも明日夏は、上記の三点セットなどの理由で、遠慮したかった。
「――だから女の子にされた際、そういう『負』の部分は無いようにしてくれたのかなぁって。だから肌はさらさらでムダ毛の手入れも化粧も必要ないし。生理もないのかなーって」
明日夏の発言に、彩芽が切れた。
「何それ、ズル過ぎっ!」
「って、ぼくに言わないでよ」
「じゃあ誰に言うのよ」
「そりゃそうだけど」
あの神様? に言いたいところだけど、行方不明だし。
とそれより、話がそれちゃったけど、早く和佳に返信しないと。もう既読ついちゃっているし。
「……で、ぼくはどうすれば」
「自分で考えなさい」
「……はい」
妹に諭されてしまった。もっとも女としては彼女の方が先輩なので、妹であって姉でもあるような存在なのだ。
仕方なく明日夏は「うーん」と一人で考えた。
そして――
「ねぇねぇ、じゃあこんなのでどうかな?」
「どんな感じ?」
『大丈夫ですか? でも病気じゃないし、頑張ってくださいねっ』
「ダメに決まってるでしょっ!」
口にしている途中で、彩芽に怒鳴られてしまった。
「ねぇお兄ちゃん、わざと? わざとなの? よくそこまでダメ回答ができるわね」
「えぇーっ。そんなにダメかなぁ」
「ダメダメよ。まず最初の『大丈夫ですか?』って、ダメだから話しているのにわざわざそんなことを聞かない! 『病気じゃない』? んなの分かってるわよ。病気じゃなきゃ我慢しろって言いたいわけ? 『頑張ってください』? なにそれ、じゃあ今は頑張ってないって思っているわけ?」
彩芽の剣幕に押された明日夏は、その不機嫌さを見て、逆にぽつりと尋ねる。
「……えっと。もしかして、彩芽も和佳と一緒で、今……」
「違うわよっ!」
違っても怒鳴られてしまった。
明日夏からすれば、じゃあどうすればいいんだ状態である。
「いい? 基本的に、まず同意すること。それから気遣い。あと話しててもしょうがない話なんだから、うまく話題を変える。そうやって相手を元気づけるの」
「えー。なんかいっぺんに言われても……」
明日夏は口を尖らせた。
けどこのまま既読スルーするわけにもいかないので、彩芽と相談しながらなんとか文章を完成させて、送信した。
『辛いですよねー。ゆっくり休んで、元気になったら一緒に遊びに行きましょうね』
やっぱり辛かったのか、既読がつくのが遅かったけれど、しばらくしてスタンプが返ってきた。
明日夏の対応に満足してくれたような返信で、かつこれ以上生々しい話に発展することもなさそうなので、明日夏はとにかくほっとした。
彩芽には感謝しっぱなしである。
「あー、なんかすごく疲れたぁ」
明日夏はばたりとソファに背中から倒れこんだ。
「生理が免除されているんだから、これくらい我慢しなさい」
「んー。まぁそれは有難いけど」
そう言いながらソファの上でごろごろしている明日夏を見て、彩芽が眉をしかめる。
「お兄ちゃん、ぱんつ見えてる」
「もー。それくらい別にいいじゃん」
「見たくないものを見せられる身にもなりなさいっ」
ぽすん、とクッションを投げつけられてしまった。
やっぱり生理がなくても、女の子って面倒くさい。
あと、付き合うのも。
そんなに生理免除が気に入らなかったのか、ぷんぷんと不機嫌そうな彩芽を見て、明日夏は大きくため息をついた。
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